ハンナとカンナ

樫ゆうや

ハンナとカンナ(SS)

※この小説は表現された一切の内容について推奨、勧誘、幇助するものではありません。

※性的な描写、死の描写を含みます。未成年者は閲覧しないでください。


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 ハジメテは、好きな人に捧げたい。


 屋上の隅、二メートルの柵を乗り越えた場所でハンナはぷらぷらとその細い脚を青い空に浸していた。

「ハンナ、またそんなところにいたの……」

「乗り越えられる柵作るセンコーが悪いでしょ」

 菱形に組まれた金網は、強く爪先を突き立てれば少女一人の体重を支えることなど容易だ。塗り直されたばかりなのか、光沢のあるチープな緑色。微かに塗料の凹凸がみえる網の向こうに、制服を肌蹴たハンナが座っている。白銀に脱色された髪が日光を透かし、左右不均等なツインテールの毛先を紫外線に晒す。きっと前ボタンは相当開けられているのだろう、ずり落ちたブラウスは、その白い項を、背骨の隆起を、ほつれかけた黒いレースの下着をのぞかせていた。彼女の傍らには、脱ぎ捨てられたままの白い靴下がある。半切された林檎の刺繍が、本来踝の上に来る場所に施されているものだ。中学三年の年、彼女の誕生日にそれを贈った。丁寧に履いてくれているとはいえ、もう何度も四十三キロに擦り付けられたそれは、爪先が薄くなり、少し黒ずんでしまっている。


 早朝の学校は、死んだように静かだ。桃と蒼が混ざって白色になり、地平線はオレンジに。絵の具をぶちまけたならきっともっと煩いであろう色彩は、しかし現実として、酷く儚い。


 ひび割れたコンクリートの上を、薄っぺらい底の上靴で歩く。背中を金網にもたれるようにして止まれば、風上にいるハンナから微かな汗の匂いと、ヘアスプレーの甘ったるい香りが漂ってくる。

「飛び降りたら死ねるかな」

 その声に私が振り向くとともに、あ、やべ、と焦った声が聞こえる。

「ハンナッ!」

 がしゃんと金網に肩がぶつかり、派手な音を立てた。しかしハンナは相変わらず、ブラジャーの見えた背中を私に向け、じっと下をのぞき込んでいた。産毛が朝日を受けて白く輝き、彼女の輪郭を空気に溶け込ませてしまっている。

「靴落としたわ」

 両手を身体の横について、ハンナが片足を振り上げる。綺麗に脱毛された素足の先には、引っ掛けていたはずのローファーがない。白く筋を浮かす薄い足の先に、真っ青に塗られた爪が息苦しそうに並んでいた。綺麗に形を整えられて、表面を平滑にコーティングされた爪が。

 はっと身体から力が抜けて、私はへたり込んだ。というより、腰が抜けてしまったのだ。

「見えね~、探すのマジ怠いんだけど。カンナ探してきてくんね?」

「嫌よ、自分で探しなさいよ」

 そもそもあんたのせいで立てないわ。私はそう返すと、片手をスカートの中に突っ込んだ。慌てて駆けだしたせいでずれた下着を引っ張って元の位置に戻していると、くす、と金網の向こうから笑い声がした。

「何よ」

「いや、セックスするときもカンナはそうやってジョーチョのカケラもねーパンツの脱ぎ方すんのかなって」

「っは、なにそれ」

 なにそれ──私がもう一度そう言いかけたときだった。


「ショジョソーシツって痛いのかねえ」


 まるで、弁当の中身なんだろね、と聞くみたいな声が、風に揉まれて消えた。

 私が最後に見たのは、逆さまに立ち上がったツインテールの毛先。

 ガシャン、とまた金網が鳴った。睫毛が網に触れて、塗装が結膜を傷つけた。

「……ハンナ……?」


 階段を駆け下り校舎一階、進路指導室の目の前で。服を乱した彼女は事切れていた。

 命の処女の破瓜の血は、案外と少ない。私は生きていては不可能な程に開いてしまった太腿をそっと手のひらの上に戴くと、丁寧に二本揃えて伸ばしてやった。


 どうしてか。涙より先に、はしたないでしょ、と声が出た。

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ハンナとカンナ 樫ゆうや @y_uya83

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