夏の終わり

藤原 清蓮

八月最後の日曜日に



 タロさん、タロさん。

 祭りのお知らせです。

 八月最後の日曜日の夜、天狗様のお社へ来てください。


 いいですね、夏の終わりの八月最後の夜ですよ。


 忘れないで、来てくださいね。

 タロさんに喜んでもらえるよう

 最大のおもてなしをしますから。


 きっと、来てくださいね。

 夏の終わりの夜、天狗様のお社へ。



 ♢♢♢



 ある日の朝、糸原名いとはら めいは不思議な夢を見て目が覚めた。


 名前の名が「タロ」と見えるため、仲間内では「タロ」と呼ばれている。珍しい名前のため、一回で「メイ」と呼ばれることは、まずない。それもあってか、名は誰に「タロ」と呼ばれても、今までずっと否定もせずに返答をしてきた。


 そして、夢の中の姿が見えない人物もまた、名を「タロ」と呼んだ。

 

 あれは、一体誰の声だっただろうか。

 

 聞き覚えのない、ふわりとした綿菓子の様に柔らかな声。


 名は、眠気眼を擦りながら、布団から起き上がって蚊帳を上げる。今時、蚊帳を使っている人など、なかなか居ないであろう。実際、ホームセンターで探したが、どこにも置いておらず、ネットで注文した代物だ。


 そんな風流な物を使っておきながら、畳部屋には不釣り合いな遮光カーテンを開けた。

 瞬間、眩しい日差しが目に入り視界が真っ白になる。


 その白さに、先程まで見ていた夢を思い出す。


 その夢は、真っ白な空間。しかし、怖さは無く不快でも無い、心地の良い空間に、名は漂っていた。


 ふわふわと、水に浮く様な。柔らかな不思議な感覚が、今も身体に残っている。

 

 名は、ぼんやりとした思考の中で、夢の中の声を思い出す。


「天狗様のお社って、裏山の上にあるって聞いたけど……。そういえば、行った事がなかったな……」


 仕事の都合で田舎へ越して来た。


 たまたま母の故郷であった事から、親戚の空き家を格安で借りる事が出来た。

 一人で暮らすには広すぎるが、静かで過ごしやすいと、名は気に入っていた。

 

 引越してきて間も無く四か月になる。

 その間、一度も裏山へ行った事は無かった。

 

「土地神様だ。挨拶くらいは、しておかないとなぁ……」


 洗面所へ向かい顔を洗うと、コップに水を入れ、そのまま二杯続けて飲む。

 軽く息を吐き、濡れたままの顔をタオルで拭う。


 台所へ行き、簡単な朝食を済ませると居間の柱に付けられた年季の入った振り子時計を見上げる。出社まで時間はじゅうぶんある。出社前に裏山へ行ってみるかと思い立ち、身支度を整え家を出た。


 家を出て、十分足らずで裏山の入り口へ辿り着く。

 山といっても小高い丘のような高さで、石の階段があり、錆びた鉄の手摺りもある。木々は幾重にも重なって、日の光が僅かしか差し込まない。

 朝だというのに仄暗い山の入り口は、如何にも天狗が出て来そうな雰囲気で、自然と畏れ敬う気持ちが湧き上がる。

 階段前には苔がついた石の鳥居があり、階段を登る前に、名は一礼をしなくてはと思い、深く頭を下げてから足を踏み入れた。


 歩みを進めると、空気が冷んやりとして気持ちが良く、土や樹々の香りも強くなり出した。少し湿った様な石の色に、足を滑らせない様、気を付けて階段を登る。


 そこそこの段数がある階段をゆっくり登り、辿り着いた頂上には、緑に囲まれた厳かな雰囲気のお社がある。薄暗く、誰かが手入れをしているのだろう、寂れてはいるが掃除がされており、参道は綺麗だ。

 お社は扉が閉まっており、中を見る事は出来ない。

 名は財布から小銭を出すと、賽銭箱へそれを放った。

 鈴は無いので柏手を打って礼をする。


「挨拶が遅れて、すみません。四月に越して来ました。よろしくお願いします」


 再び一礼して、お社を見上げる。

 よく見ると、随分と見事な彫刻がされている。


 あれは、獏だろうか。鼻の長い象のような架空の生き物。あれは、麒麟だろう。


 そんな事を思いながら、名はゆっくりとお社の周りを散策した。

 裏側へ回ると、そこにも小さなお社があり、小さな小さな白い狐と黒い狐の置物あった。


「これはお狐さんの社か」


 前屈みになって、その置物を見つめる。一体は鍵を咥えており、もう一体は玉を右前足で押さえている姿勢のお狐様だ。

 

「珍しいな。初めて見る。お狐さんは、少し怖いけど、このお狐さんは、なんだか可愛らしい」


 名は財布から小銭を出し、小さな賽銭箱に入れた。


「いつも見守りくださり、ありがとう」


 そう言って、お狐さんを見ると、何となく。ほんの僅かに、細い目がキラリと光った様に見えた。


「え?」


 名は驚いて、前屈みになり目を凝らして見つめたが、何の変化もなかった。

 どうやら、気のせいだったようだと、名は少しドキドキした胸に手を当て、小さく息をついた。


 腕時計を見ると、もう職場へ向かわなくては行けない時間になっていた。

 そんなに長居をしたつもりは無かったが、階段を慎重に登っていたから、時間が掛かったのだろうと、一人納得をしながらお社を後にした。



***



 数日が経ち、名は夢の事などすっかり忘れていた。


 その日はヤケに蒸し暑く、なかなか寝付けない夜だった。

 寝苦しさから、夢と現を行ったり来たりしていると、どこか遠くの方から、笛の音と太鼓を打つ音が聞こえる気がした。

 どこかで祭りでもしているのだろうか。

 そんな事を思いながら、名はゆっくり起き上がり、台所へ向かった。

 冷蔵庫から冷えた麦茶を出してコップに注ぐ。

 一気に飲み干すと、体の内側を冷たい麦茶が流れていくのが分かる気がした。

 ふう、と息を吐き、もう一杯注ごうとした時だった。


 先程、ぼんやりと聞こえた気がした笛の音が、今度は、はっきりと聞こえてきた。

 名は麦茶を注ぐのをやめ、冷蔵庫に仕舞うと、何となく、祭りを見たくなった。


 祭りなど、どのくらい行って無かったろう。音に誘われるように玄関を出て、笛と太鼓の音の道を辿る。


 音がする方へ歩みを進めると、裏山の入り口へやって来た。


「あ……。天狗さんの社……」


 名は、数日前に見た不思議な夢を思い出した。

 今日は、八月も終わりだっただろうか。

 すると、階段を一人の子供が降りて来るのが見えた。


 子供が持つランタンの様なものが、オレンジ色の光を放ちながら、ゆらゆら揺れる。とても不思議な光だと、ぼんやり眺めながら名は思った。


 子供が近づくにつれ、その姿がハッキリと分かる。


 山伏の様な格好をして、天狗の面を付けている。

 まさしく、小天狗だ。

 その小天狗が面を付けたまま、名の目の前で立ち止まる。


「タロさまですね。お待ちしておりました。ご案内します。わたしについて来てください」


 名は、おや、と思った。


 なぜなら、この小天狗の声が、夢の中の声に、よく似ていたからだ。


 小天狗は「暗いですので、お足元に気を付けてください」と、ランタンを名の足元へ寄せて照らす。

 ランタンは、よく見ると鬼灯ほおずきだ。

 今の時期、鬼灯はまだあったのか、小天狗の鬼灯は橙色だ。とても美しい色をしたそれを見つめながら、名は階段を登った。

 小天狗は「今日は、もうおいでにならないかと思いました」と、少し安心したよな声で言う。


「すまないね、今夜が八月最後の日曜日だと、忘れていたんだ。笛の音と太鼓の音で、思い出したよ」


 と、名は本当と嘘を織り交ぜて伝えると、小天狗は「それは良かった! みな、笛も太鼓もタロさまのために、一生懸命に練習をしたのですから」と、面の中で笑った。ように、名は思った。

 その素顔は見えないが、名は小天狗が満面の笑みであると、なぜかそう思えたのだ。


 最後の一段を登ると、名は目の前の光景に、その瞳を大きく見開いた。


 数日前に来た時は、寂れた少し畏れすら感じた境内が、たくさんの橙色の鬼灯のランタンで照らされ、華やいで見える。狭く感じていた境内には夜店が出ていて、天狗や狐の格好をした大人達が店を切り盛りし、小天狗や白や黒い狐の格好をした子供達が遊んでいる。

 お社の前では、天狗や狐の格好をした子供や大人が笛や太鼓を演奏している。

 着ぐるみにしては、どの天狗様もお狐様も、とても良く出来ていて、まるで本物かと見間違えるほどだと、名は一人驚き思った。

 

 何とも不思議な光景に、名は瞬きを繰り返す。これは夢なのか、と。

 驚きのあまり、声も出さずに境内を見回していると、一人の天狗の格好をした大人が名の前にやって来た。

 随分と背の高い、恰幅のいい男だ。一本下駄でバランスよく立ち、背中には天使の様な白い翼まで付けている。コスプレにしては随分と手が込んでいて、圧巻だ。

 名は、その天狗姿の男を見上げる。


「メイ殿、ようこそいらしてくれた」


 腹の底に響くような、低く重い声に身体が固まる。


「あ……、いえ、あの……こ、こんばんは」と、名の震えた声に、天狗は一拍置いて、笑いながら「ああ、こんばんは」と返した。


「まぁ、そんな硬くなりなさんな。今宵はメイ殿に礼をするため、色々と用意をしている。楽しんでいってくれ」


 そういうと、天狗は立ち去ろうとしたが、名はその背中に声を掛け呼び止める。


「あ、あの!」


 足を止めて振り向くと「なんだ?」と返す。


「あの、お礼って、何のことですか……? 僕には、身に覚えがなくて……」


 そう伝えると、天狗男は再び名に向き直った。


「メイ殿は、以前、我が子を助けてくれた。その礼だ」

「あなたの、お子さん、ですか?」

「ああ、先程、メイ殿を案内した小天狗だ」


 名は瞬きを繰り返し、首を傾げる。

 なぜなら、子供を助けた記憶が無いのだ。


「あの……。大変、申し訳ないが、それはきっと僕では無いです。僕には、後にも先にも、子供を助けた記憶が無いですから」


 名の言葉に、天狗男は「ふむ」と息を漏らすと、背中に刺していてたヤツデの様な形をした羽団扇を手に取り、名の額にそっと当てた。


「目を閉じてみろ」

「は、はい」


 名は言われるがままに目を閉じる。すると、両目に冷たい心地よい風が当たった気がした。



♢♢♢


「だいじょうぶ? どこか痛いの?」

「ううん」

「かなしいこと、あったの?」

「うん」

「どうしたの?」

「ぼくの、だいじなヤツデ扇子が、こわれちゃったんだ……」

「ヤツデセンス?」

「これ……」


(これは、子供の頃の僕?)


 名は、空にふわふわと浮いたような、俯瞰した状態でお社の前で会話する子供二人を眺めていた。


「ヤツデ扇子は、とてもだいじだから。これがこわれたら、ぼく、帰れなくなっちゃう」


 小天狗が手に持つ扇子は、持ち手の部分が折れてしまっていた。子供の名は、小天狗の隣に座って頭を撫でながら、話を聞いていた。


「お父さんに、おこられちゃうの?」

「うん……」


 泣きながら頷く小天狗に、子供の頃の名が何か提案をした。そこからの声が、なぜか聞こえない。名は、小天狗を置いてどこかへ走り去って、暫くして再び戻ってきた。

 小天狗の扇子を預かり、何かをしている。


「さぁ、これできっと大丈夫だ!」


 子供の頃の名が、自信満々で言い放つ。

 小天狗にそれを渡すと、小天狗は恐る恐るとヤツデ扇子を一振りする。すると、強風がザッと音を立てて境内を駆け抜けていく。


「なおった! なおったぞ!」


 喜び飛び跳ねる小天狗と共に、子供の名も笑っている。


 その姿を見て、微笑ましく思っていると、急に背中を引っ張られるような感覚に、目を見開いた。


 目の前には、大きな大人の天狗男が立って名を見下ろしている。


「メイ殿、思い出されたかな?」

「……随分と昔のことで、忘れていました」


 そう答えると、天狗男は声を上げて笑った。


「確かに、人間の時間にすれば昔のこと」

「あなたは、本物の天狗様なのですか?」


 名は、天狗男に訊ねる。

 天狗男は、にっこりと口角を持ち上げた。面だと思っていたその顔は、面では無いのだと、ぼんやりと思った。

 

 本物の天狗様なのだ。


「さぁ、話はこの辺にして、祭りを楽しんでくれ」


 天狗様は、名の背中を優しく押す。

 名は小さく「はい、ありがとうございます」というと、夜店に目を向けた。


 射的、綿菓子、金魚掬い、型取り、水風船、輪投げ、旨そうな香りがする屋台。


 人間の祭りの夜店と同じ様に、神様達の祭りも子供が楽しめる物が多いのだと、感じた。


 名が手前の焼き団子の屋台へいくと、白狐様が細い目をますます細め「いらっしゃいませ、おひとついかがかな?」と、串に刺さった焼き団子を差し出す。


「頂きたいのは山々ですが、残念ながらお金を持って来ていないのです」

「ああ、それなら大丈夫です。貴方様は天狗様の客人。お好きなだけ、お好きな物を召し上がってください。さあ、どうぞお一つ」


 白狐様の言葉に恐縮しながらも、名は焼き団子を受け取った。

 その場で一口食べると、とても柔らかく、まるで赤子の頬っぺたの様だ。甘辛い醤油のタレも食欲をそそり、旨かった。


「とても旨い」と、正直に伝えると、白狐様はにこにこしながら、何度も頷いた。


 名は、ゆっくりと色んな屋台を見て、食べて歩いた。引いた福引は当たり紙で、周りにいた小天狗や小狐に祝われながら、名は久々に声を上げて笑った。

 どのくらい、そうしていただろう。

 案内した小天狗の親だと言っていた、大柄の天狗様が「皆様方」と声を上げる。


「皆様方、間も無く祭りも終わりの時。最後に、小天狗と小狐がたくさん練習をした舞で、祭りを終いにする。さあ、舞が見える場所へ集まっておくれ。さあ、メイ殿、こちらへ」


 名は誘われた席に腰を掛ける。

 お社の真正面。

 なぜか少し緊張をしつつ、名は舞台を見つめた。

 笛の音が響く。柔らかな風が、ふわりと通り過ぎて、舞が始まった。

 どこからとも無く、花弁が舞う。笛と太鼓にあわせ小天狗達が踊る姿を、名は夢心地で眺めていた。



♢♢♢



「今宵は、来てくれて感謝する」

「いえ、こちらこそ。お招き頂き、ありがとうございました」

「また社へ来ておくれ」

「ええ、ぜひ。遊びに来ます」

「待っているぞ」

「はい」


 名は天狗様に礼を言うと、家へ帰ることにした。案内してくれた小天狗が、再び帰り道を鬼灯のランタンで照らしてくれた。


 家に帰ると、名は急に強い睡魔に襲われて、布団の中に倒れ込んだ。



***


 目が覚めたとき、時計の針は普段起きる時間よりも二時間ほど過ぎていた。

 名は少し焦ってカレンダーをみると、今日は休みだったと気が付き、ホッとした。

 

 起き上がって洗面所へ向かう。

 顔を洗い、歯を磨く。

 台所へ行って、麦茶を飲もうと冷蔵庫に手を伸ばす。


「そういえば、随分と不思議な夢を見ていたな……」


 そう呟きながら、麦茶を飲む。

 冷たい液体が、喉を通り身体の奥へと流れていく。


 小さく息を吐き、窓の外を見る。

 よく晴れた青空に、洗濯日和だと思い、洗濯をすることにした。部屋へ戻って着ていたTシャツを脱ぎ、ズボンを脱ぐと、パサと何かが落ちた。

 名はそれを拾い上げ、目を見開いた。



 【大当たり】



 その紙をみて、名は驚いたが、すぐにクスリと笑った。


「また、お社へ遊びに行かなくては。そうだな、お狐様には油揚げか。天狗様は何が良いのか。あの大天狗様は、酒を飲んでいたな。ならば、美味い酒を持っていこうか」


 名は大事に【大当たり】のぐじを、財布の中に入れた。


「さて、なんの酒にしようか」


 そう呟きながらも、思考は日常生活へと戻っていった。

 


〈終わり〉

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夏の終わり 藤原 清蓮 @seiren_fujiwara

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