第9話 ホーム

最終下校時刻を過ぎて十数分。辺りはすでに暗くなっている。


風はほんの微かに吹いている程度。

だが、肌を摩るような寒さでもコートを着ていない体には少し厳しい。


すでに陽が沈んでいるとは言え、この時期でこの寒さ。本格的な冬になったらどうなってしまうのだろうかと思わされる。


「おまたせしました、蒼井先輩」

「いや、全然。中3は先に帰ってもらったよ」

「いえ、ありがとうございます」


教師に注意を受けないよう、一応学校の敷地から出て、校外である校門の前に立っていた俺の方に斎藤が小走りで寄ってきた。


振り返って見えた校舎はすでに大部分の灯りが消えていて、放課後も終えた時間であることを感じさせている。


「これ、置いてっただろ」


斎藤が生徒会室に置いたままにしていたので、鍵を閉めてしまう関係上持ってきた二つの私物――リュックとペンケースを斎藤に渡す。


「あっ、どうもです」

「あぁさ」


斎藤は、リュックを受け取り前に片方の肩で背負った。そして上のファスナーを開け、ペンケースと抱えていたパソコンをしまって普通の後ろの背負い方にした。


「じゃあ、帰ろうか」

「そうですね」


俺たちは校門を後にした。


***


時間が遅いので、通学路にはもう本校生徒の影はない。

学校に直結する民家が連ねるだけの裏道はそもそも人気が少ない。ゆえに電灯が白線を照らしているのみだったが、県道のある表通りまで出てくるとそこそこに人も車も通っている。


「先輩、あの二人どうです?」


学校から横断歩道をいくつか超え、駅近の商店街を抜けた駅前の大きな十字の交差点前で斎藤は訊いてきた。


「どうって?」

「いえ、後輩として」

「後輩として?」

「はい。あっ、緑ですよ」


眼の前の交差点の信号が変わり、車が通らなくなったので歩みを再開する。


「そう、でどう思いますか?」

「中3のだよね」

「えぇ」


少し困ってしまった。俺は人を覚えるのが苦手だ。名前も趣味も。

人に興味がないわけではないのだが、どうしても他人より覚えづらい。

しかし彼女に取っては大切な後輩。覚えていた方が良いに決まっている。ゆえに適当に言って誤魔化した。


「中々……いいメンツしてるんじゃない?」

「そうですか?」

「あぁ」

「例えばどこら辺です?」

「例えばかぁ」

「……髪結んでる男は初めて見た気がする」

「なるほど」

「……あとは軍歌を好きな歌に挙げる女子も初めて見たと思う」

「確かに珍しいかもしれないですね」

「そんな……もんだな。二人とも少し癖強い」

「まぁ、そんなもんですよね。会って30分もなかった感じですし」

「そうだね」

「私も、彼らは良い人達だと思ってますよ」


駅前のバス停がいくつかあるロータリー周りの歩道を抜け、改札に差し掛かる。

定期券をポケットから取り出して、改札にかざして駅に入った。

改札入ってすぐの電光掲示板には上下線の出発時刻が書かれていて、それを根拠に「一番線にしようか」と斉藤に伝える。斉藤とは家の方向が一緒だ。


横須賀線上り、横浜方面に行くホームを二人で歩く。


「私も彼らに不満はありません」

「うん? 」

「それでもね」

「それでも? 」

「えぇ、率直に言いますね」

「あぁ」


斎藤は少し溜めてから、発言を一瞬躊躇ったようにも見えたーー幾秒かの空白の後、次の言葉を言った。


「仕事が回ってないです」


斉藤は続けて言った。


「言っておきますが、彼らのせいではないですよ。一年目の新人を戦力としてカウントするほど、私は楽観的な人間ではないですから」


斎藤は淡々と続ける。


「かと言って、一度自信の意志でやめた蒼井先輩に無理に主力を張ってもらうこともお願いしたくないんです」

「そうなんだ」

「そうですよ。私は優しさの塊ですから、先輩」

「なんだ、それ」

「草野先輩は私に言ってくれました。斎藤は優しさの塊だって」


 それを言って斎藤は立ち止まり、「ここにしましょう」と乗車位置を示す表示を指さす。


「結構先頭まで来たね」

「こっちの方がこの時間帯は空いてますからね」


周りを見ても、電車を待つ他の客はいない。

昔ながらの蛍光灯が静かに辺りを照らしているのみだ。


「で、なんだっけ」

「私が優しいって話です」

「いや、メンツの話」

「えぇ、はい」


斎藤は一呼吸挟んで言った。


「草野先輩が死んじゃってから、何もかもが狂ってしまった気がします」

「生徒が自殺するなんて、学校からしたら重大事故です。幸いと言ってよいのかは分かりませんけれども、遺書もあって彼女個人の問題である証明がついたことと、生徒会に好感を持ってくださっていた先生方の協力で何とかウチは残っています」

「遺書があったのか」

「はい。生徒会室の棚に置かれていました」

「斎藤は読んだのか」

「えぇ。ただ先輩にお見せすることはできません」

「なぜだ」

「そう、書いてあるからです。先輩に見せるな、と」


 遺書があると言うことはこの1ヶ月、話題にもならなかった。

 それだけ管理が徹底されたのだろう。死人の遺物なんて勝手に漁るべきものではないのだから、それが正しい。


「だいぶ気持ちの整理もついてきました」

「そうか……」

「それでも、身近な人が亡くなる、というのはなんだか悲しいの一言では収まらないものですね」

「あぁ、そうだな」


その時、煩いほどの警笛が響く。


「あぁ、来ましたね」


暗い線路の向こうから、レールの音を響かせながら電車が入線してくる。

ホームに差し込む、眩いほどの光。

斎藤の頬が少し煌めいた。

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