第26話 姉として
勝敗が決してから、ランが再び呼吸をするまでピッタリ3秒かかった。
詰まっていた息を吐き出すと、体が熱い汗を噴いて、自分が戦っていたかのように脱力して壁にもたれかかる。
「……すご、かった」
「裏の裏の裏をかいたメグリお嬢様の勝利ですな」
隣ではオキが、目を細めて頷く。
「メグリさんが、やられたと思ったら、何か色々あって……あれ、ワザと?」
「いか様。隙ができたと見せかけて、イド様の意識をトドメを刺すことへと誘導し、逆に隙を作ろうとしたわけですな。あまりにあからさまだったので、イド様は乗らずに死角からの攻撃を躱したはいいものの、その後の動きまでメグリお嬢様は計算していたのです」
「ん……。……ぜんぜん、わからなかった」
「ほっほっほっ。戦いにおいてフェイントなどの『虚実』はとても重要ですが、会得するには多くの知識と経験を要します。見抜くことは難しく、使いこなすのはさらに難しい。少しずつ学んでいくしかありませんな」
「少しずつ……」
それでは、大会本戦には間に合わない。
悩ましげにランがうつむいていると、オキが「ところで」と思い出したように言った。
「メグリお嬢様がお勝ちになられましたが、安心なさいましたか?」
「え……何が、ですか?」
「勝った方が、ラン様の指導をするという約束ではなかったかと」
「……あ」
二人の試合に見惚れて忘れていたが、もともとはそういう話だった。
ランは口を半開きにした状態で視線をさ迷わせる。リアルタイムで観戦したことで、【
どう答えたものかわからずに逡巡しているうちに、戦いを終えた二人の天使が電脳から現実世界へと帰ってきた。
上機嫌なメグリと、対してイドはわかりやすいくらいに落ち込んでいて、戻ってくるなり膝を抱えてしゃがみ込んでしまう。
「イド姉、だいじょうぶ?」
あまりのヘコみっぷりに、心配事したランが駆け寄る。顔を上げたイドは口をへの字に曲げて、いきなり抱きついてきた。
「わっ!?」
「悔しい。ラン、取られた。頑張ったのに。公式戦で負けるより悔しい」
「え、えっと……よしよし?」
イドが胸元に額を擦り付けてくる。
まるで子どもが拗ねたみたいな、格好の付かない甘え方はスラム時代には見た記憶がなくて、ランは少し戸惑いながらも彼女の頭を撫でてやった。
「ラン、ごめん。イド姉、弱くて」
「ううん。イド姉はカッコ良かった。【
「……もっと褒めて」
などとやっていたら、今度は背中に柔らかな重みがのしかかってくる。
「イドちゃん、ズルーい。いつまでも独り占めしてないで、そろそろ換わってちょうだい」
「めめ、メグリさん!?」
メグリは後ろから、イドごと抱えるようにしてランに腕を回す。前後から立派な大人の女性にサンドイッチされたランは、目を白黒させるばかりだ。
「……メグリ、邪魔。今は家族の触れ合いの最中」
「ちょっと長すぎだと思うんですけど? わたしだって頑張ったんだから、ランくんによしよしして欲しいわ」
「メグリだと、やらしくなるからダメ」
「あ、あの……二人とも。動けない……」
メグリもイドも、離れるどころか両者ともに意固地になって、より一層密着してくる。
異なる体格、匂い、体温に挟まれて、ランはたまらず悶えるが、抜けようにも抜け出せないまま、見かねたオキが声をかけるまでその状態は続いたのだった。
*
二人がかりでランを抱き潰した後、落ち着きを取り戻したイドはいったん自宅に帰ることになった。
「……もう行っちゃうの?」
「ランに会うからって、色々と放って来ちゃったから」
名残り惜しくはあったが、ランも同じくらい寂しそうにしてくれたのは嬉しくもあったし、メグリからは「いつでも遊びに来ていい」との言質を取ったので、晴れやかな気分でヒツルギ邸を後にすることができた。
車で送ろうという提案はありがたく遠慮して、閑静な高級住宅街を一人でブラブラと歩きながら、イドはメグリから聞いた話を思い返していた。
ランの話を捕捉する、重要な情報だ。
セキュリティの効かないモルフィングデバイス。当人に聞かせることはないと、試合後の電脳空間で二人きりの状態で伝えられた。
「……ナメレス。警務隊まで使って、何しようとしてる?」
正体不明の鳥仮面を虚空に睨みつけて、イドは唸った。
昔から、あいつのことは気に入らなかったのだ。
素顔も素性も、スラムを牛耳るようになった経緯も、すべてが不明瞭なのに、圧倒的な力でもって支配体制を敷き続けている。
年寄りによれば、ナメレス統治の前はもっと酷かったらしいが知ったことか。イドを排除してランと会えなくしたのは許せないし、人攫いが頻発しているのに自分に従う者しか守らないというのも汚いやり方だ。
「僕の方でも、調べてみよ」
ナメレスの悪事を邪魔して、ついでに警務隊のスキャンダルまで暴けるというならば、これほど胸のすく話はない。
それに何より、たった一人の弟分が巻き込まれているのだ。悪い噂に惑わされることなく、いまだに「イド姉」と呼んで慕ってくれる少年のために力を尽くさなくて、どうして家族を名乗れるだろう。
涼やかな美貌の内に熱い決意を宿して、イドは風の向こうへと進んでいった。
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