第25話 ウリエル vs. ラファエル
またも場面は地下トレーニングエリア、コンピュータールーム。
メグリとイドがやる気満々、モルフィングデバイスを首に装着して対峙するのを、ランは壁際で見守っていた。
「あの、止めなくても……?」
「ほっほっほっ。お嬢様の決めたことですからな」
オキがついてきたものの、のんきに笑っているばかりで止める様子は微塵もない。
「イド様には感謝いたしておりますよ。メグリお嬢様はお立場もあるので、あそこまで遠慮なくじゃれ合えるご友人は希少なのです」
「そう、なんですか?」
「意外ですかな? ラン様と一緒にいる時は、いつも無邪気なお姿でいらっしゃいますからな。その意味では、ラン様にも御礼申し上げねばなりません」
などと、優しい目をするオキを見上げているうちに、戦いの準備も整ったようだ。
キーボードを叩いていたメグリが、イドに問いかける。
「ルールはいつも通りでいいわよね?」
「ん。長くしても仕方ないし」
「オブジェクトはなし。3分1ラウンド制。オプションデッキは1枚……っと。じゃあ始めましょうか」
エンターキーを高らかに鳴らして、メグリはホルダーからモルフィングカードを取り出した。イドも同じくカードを手挟んで、二人同時にデバイスへと接続する。
――モルフィング・イン!
カードから発せられる電気信号が、デバイス内部のオネイロン結晶を刺激して力場を生成。肉体を非物質のエネルギー体へと変換し、コンピューターで作り出した電脳世界に仮想ボディを形成する。
モニターが点灯した。
映し出されたのは、白一色でだだっ広いだけの空間だ。
大会予選の舞台になった廃墟街のリアリティとは比較にもならないが、以前にメグリから聞いたところによると、あれはハイロースタジアムの超高性能コンピューターだからこそ可能なのだという。現実と見紛うほどのデザインや物理現象の再現を行うには、上流階級とはいえ一家庭にある機材では容量も演算速度もまったく足りないのだ。
「何もない」としか形容しようのない色違いの宇宙みたいな空間に、バトルユニホームをまとった二人の女性だけが浮かぶ。
メグリは朱と銀の軽鎧。対するイドは、より動きやすさを意識した柔軟な毛皮であった。雪山の猛獣を思わせるモノクロカラーで、尻から右脚へと獣尾のような紋様が描かれているのが特徴的だ。
「ラン様。刮目してご覧なさいますよう」
戦闘開始までのカウントダウンを見ながら、オキが言った。
「お二人の勝負は、スピーディーですので」
――3、2……Ready Fihgt!
「火天に見惚れなさい。――【
ゴングとともに先制したのはメグリ。
即座にオプションを発動して紅蓮の火球を生み出すと、前方全面の広範囲に放射した。
「大きい!」
一瞬にしてモニターを埋め尽くすほどに巨大化した紅炎に、ランは息を飲む。
大きさもさることながら、恐るべきは拡大する速度だ。
自分でもやってみたからわかる。【陽焔】は意思ひとつで大きくすることが可能であるが、それは炎を構成する『粒子』を一粒ずつ追加していくような感覚だ。チュートリアルモードのホログラムで試してみたのは一回だけだが、人間サイズまで大きくするのに数秒は要した。果たして、練習をどれだけ積めばメグリと同等の規模までたどり着けるのだろうか。
「大きいですが、薄い」
改めて驚嘆するランに答えるように、オキが呟く。その言葉の意味は、イドの行動によって明らかになった。
デッキ展開。
一枚きりの光のカードが砕けて散って、イドの体に吸い込まれていく。
「飛天は目にも止まらない。――【
津波のごとく襲いくる大火には逃げ場がなく、だから逃げることなく自ら飛び込んだ。
雪獣のごとき白黒のユニホームが紅蓮に飲まれ、真っ向から突っ切って――抜ける! 全身を焼かれてノイズにまみれながらも、ダメージは軽微。若干はフリーズして動きが鈍っているはずだが、【加速】のエンチャントは補って余りあるスピードで炎を突破し、メグリへと肉薄する。
捨身による最速最短でのストレートパンチ。
武器系オプションを使わない、素手の攻撃は破壊力に欠ける。とはいえ、【加速】の乗った高速の拳は、相手に反応する間すら与えず仮想ボディの真芯に打ち込まれ――…………
「ぐっ!?」
顔を歪めたのは、イドの方だった。
ジャストヒットしたはずの右手が、濃密なノイズに覆われて完全にフリーズしてしまっている。
見れば、メグリの胸元には煌々と燃ゆる紅の盾が浮かんでいた。
超高密度に圧縮した【陽焔】の『粒子』は、もはや固形の武器と遜色ない強度と破壊力を持ち、強引に突破することなど許さない。
「……チッ」
舌打ちを残して、イドは姿を消した。
まさしく言葉の通り、目にも止まらぬ高速機動でメグリの背後を取っての上段回し蹴り――は、側頭部に炎盾が構えられるのを見切って寸止め。急ブレーキをかけた反動をもう片方の脚に伝えて逆回転の中段蹴りを見舞うも、メグリは身を翻して回避する。
二段蹴りを躱したメグリは火炎放射で反撃するが、イドはすでに背後にはいない。
真上だ。
脳天を強襲する踵落としを、メグリは左に跳んで逃れるが、踊った髪先を掠めて美しい長髪にノイズがこびりつく。
「いつ見ても、イド様の格闘術は素晴らしいですな。【加速】を使用した全速力であそこまで正確に間合いを計り、精緻な動作を行えるファイターは、世界でもそうはおりません。まともに移動・停止をコントロールするだけでも、苦労する者が多いというのに」
オキの称賛する言葉を、ランはほとんど聞いていなかった。
ウリエルとラファエルの一騎討ち。その凄まじさに、瞬きはおろか呼吸すら忘れて見入っていたのだ。
イドはスピードの優位を活かし、片時も止まることなく戦場を飛び回って、メグリを全方位から攻め立てる。フェイントも織り交ぜ容赦なく死角を突く拳打脚蹴の連打は、嵐のごとく苛烈だった。
到底人知の及ぶとは思えない神速を、しかしメグリは一撃たりとも受けることなく捌き続けていた。【陽焔】を凝縮した盾は五枚にまで増えており、不規則な軌道で周回しながら術者を守護している。もちろん全てを防ぐことはできず、盾の隙間を突いた攻撃が来ることもあるが、猛スピードのそれをメグリは予め知っていたかのように最小限の動きで回避しては、カウンターを狙って紅炎を撃ち返した。
攻め一辺倒のイドがリードしているように見えて、完璧に対応しているメグリの方がペースを作っているようにも見えるが、イドも盾との接触ダメージやカウンター攻撃はキチンと避けているのでやはり優勢と言えるかもしれない。
どっちがどっちとも判別困難な高い次元で実力の拮抗した戦いは、永遠に釣り合い続けるかとも思われたが、唐突に終幕は訪れた。
「……あっ!?」
防御をかいくぐったイドの左フックが、メグリのこめかみを捉えた。
衝撃でメグリは大きくのけぞり、制御を失なった炎盾は糸の切れた凧よろしくてんでバラバラに飛び散っていってしまう。
「メグリさ……っ!」
思わずランは声を上げる。
体勢を崩したメグリは顔の半分をノイズに覆われて、攻めも守りもままならない。ここぞとばかりに、イドはもう一度左拳を振りかぶ――らずに瞬動。
直後の残像を、飛び去ったと思っていた炎盾が斬り裂いた。
「あら?」
「……あんなワザとらしいのには、引っかからない」
メグリの背後に、無傷のイドが現れる。
姑息な罠は見抜いた。今度こそ、決定打を叩き込みさえすれば勝利は確実だ。
――爆!?
炸裂した紅炎が、イドの足から頭まで一気に丸呑みした。
薄く広げた、攻撃範囲があるだけの薄っぺらな炎ではない。しっかりと破壊力も備えた業火で、イドの仮想ボディを焼き蝕んでいく。
それはつまり、初手の広域拡散のような即席ではなく、前もって『粒子』の密度を充填していた、ということだ。
「わたしも、引っかからないと思ってたわ」
「初めから、こっちを狙って……!」
「今日の読み合いは、わたしの勝ちだったわね」
不敵に舌を出して笑うメグリに、イドは歯噛みするも、すでにフリーズが全身に回っていた。指の一本も動かすことはできず、追撃の火球によって戦闘不能に追い込まれたのだった。
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