第20話 試合後は人知れず・表と裏
『試合しゅ――りょ――ッ! 八つのブロックすべての試合が終了しました。熱い戦いを見せてくれた1683名の選手たちへ、どうぞ皆さま拍手をお願いいたします!』
わーッ!!
モニターの向こうで、割れんばかりの拍手が巻き起こる。
戦いを終えたランは、電脳世界から現実の出場者準備ルームに戻ってきて、床にへたり込んで中継映像を眺めていた。
長い夢から覚めたような、どこか心地よい虚脱感に満たされて呆然としていると、「ピコリン」と通知音が鳴って天使のホログラムが出現する。
『失礼いたします、ラン選手。メグリさまの観戦ルームより招待されましたが、いかがなさいますか?』
「メグリさんから……」
名前に反応して立ち上がる。
エレベーターに直結しているドアが開いて、揺られることしばらく。
次にドアが開くと、目の前にはたわわな胸が待っていて、
「ランくーん! おめでとう――――っ!!」
「むぎぅ!?」
出会い頭に抱き潰された。
しなやかな両腕が巻き付いてきて、広がった長髪が顔にかかってメグリの匂いに満たされる。
固まってしまうランを、メグリは軽々と抱き上げて、朗らかに笑いながらクルクルと舞い踊った。
「スゴいスゴい! 本当にスゴいわ。あんなところから勝っちゃうなんて! ランくんってば天才。もう最っ高!」
くっついた頬から、晴れ渡った空より明るい声が響いてくる。
メグリはひとしきりランを振り回し、やがて足をもつれさせるように体勢を崩すと、そのままソファへとダイブした。
本革張りのスプリングが二人の体重を受け止めて鈍く軋み、衝撃で密着が離れたランの顔を、繊細な手の平が挟んで捕まえる。
ごく間近から、メグリの瞳が覗き込んできていた。
息つく間もなく、息を飲んだ。
宝石箱か、満天の星か、彼女の目の中には喜びがいっぱいに詰まっていてキラキラと光り輝いている。
吸い込まれてしまいそうな――あるいは本当に吸い込まれてしまったかと錯覚するほどの、美しい瞳だった。
「【
「……。……え、あっ……うん」
言い当てられたことで、我を取り戻した。
今になって思い返すと、そこまで具体的に考えていたわけではない。
ただ、ミサイルの追尾機能と探知を遮断できる【隠密】の相性が良さそうだから使ってみただけで、後の結果はすべて運だ。
ミサイル群が直撃せずに首の皮一枚で生き延びられたのも。
追尾対象を失ったミサイルに捕捉されてコスプレ男たちが都合よく相討してくれたのも。
動けなくなったランがトドメを刺される前に、脱落人数が規定に達して試合終了のゴングが鳴ったのも。
どれを取っても幸運に恵まれただけのことで、サイコロの出目が少し違っていたらランも脱落者の側に回っていたはずだ。
「運次第で勝つか負けるか、ってところまで持っていけたなら、十分すぎるくらいの大活躍よ」
「あうぅ……」
メグリはまたランを力いっぱい抱きしめて、白髪を撫でくり回した。
極楽浄土のような圧迫感に包まれて、いつまでも浸っていたい気持ちになるが、そうも言っていられない。
ランは心を鋼鉄にして身をよじり、振りほどこうとしたらメグリは不思議そうに目を丸くした。
「メグリさん……ちょっと、放して……」
「あら、ごめんなさい。嫌だった」
「う……嫌ってわけじゃ……」
謝られると、こちらが悪いような気がしてしまうが、道理ならちゃんとある。
ランは口ごもりながらも、試合でコスプレ男に絡まれたことをメグリに伝えた。
「……そう。ヤキモチを妬かれてしまったの」
「うん……だから、こういうのはあんまり……」
「ランくんには迷惑をかけちゃったわね。これからは気をつけるわ」
「あの……メグリ、さん?」
「大変だったのに、あれだけ頑張れて偉いえらい」
「ちょっと、止まって……」
「よーし、よしよし」
言葉とは裏腹に、メグリは腕に力を込めたままで、ランを解放することもなく頭を撫で続けている。
抗議の声を上げると、返ってきたのは満面の笑みで、
「ハグしてるところを他人に見られたら困るんでしょ? わかってるわかってる…………だけど、ね」
と、一度言葉を切って、顔を寄せてきた。
ヒタ、と頬がくっつき合って、耳たぶを吐息がくすぐる。
「今は、二人っきりなんだからいいじゃない」
得体の知れない甘美な痺れが、鼓膜から背筋を駆け抜けた。
ヘンなしゃっくりをして体を震わせるランに、メグリは腹の底から楽しそうに大笑する。
からかわれたのだ、と察してランはむくれるが、何より不本意なことに、これっぽっちも悪い気がしない。
怒ることも泣くこともままならず、忸怩たる唸り声を漏らしてメグの温もりに顔をうずめることしかできなかった。
*
部屋の中で椅子に座っていたのは、ナメレス一人だけだった。
ランが初めてモルフィングをした時に通って、ギャングからの攻撃に巻き込んでしまった喫煙室である。
紫煙の染み着いた壁には窓がなく、照明も残らず破壊されていたので、充電式のランタンを持ち込んでいる。傘の下で力強く発光する電球が、シルクハットを被った鳥仮面のシルエットを背後の壁にオドロオドロしく映し出していた。
「…………ぅう……」
椅子が苦しげに呻いた。
それは生きた椅子であった。いかつい男ばかり数人、叩きのめした状態で積み上げたところに腰を下ろしているのだ。
身じろぎした男を咎めるように踵で蹴って、ナメレスは深々とため息を吐いた。
『ボクはねッ。秩序ってダイジだと思うンダッ』
悪さをした子どもでも説教するような口ぶりで、機械を通した声が淡々と語る。
『キミたちが香水店のフリをシテ、ヘンなタバコを売ってタのは知ってタさッ。外ナラともかく、スラムの中ならイイカって見逃シテあげてたノニ……面ト向かって歯向かわれタラ、潰スしかナイよねッ』
「な、何を……」
「テメーらの方から、ケンカ打ってきたんだろうが」
『不幸な行キ違イがあったんダッテねッ。……デモ、さッ!』
グゥン! と、上体が前に倒れて、股抜きに上下反対になった鳥仮面が、男たちを睨み付けた。
『キチンと筋を通シテくれたら、保障ダッテしてアゲたのにッ。銃やら何やら持ち出しタラ、ダメじゃナイかッ! オカゲで、他のおバカさんにまで気を回せナクなって大メイワクしたよッ!』
その時、下階から物音がした。
罵り声とともに何人もが上がってくる。ナメレス配下のギャングと、彼らに縛り上げられた五人の男女――制服こそ着ていないが、ランを捕らえ損ねた警務官たちだ。
「ナメレスさん、連れてきやしたぜ」
『ああ、アリガトウッ』
ナメレスは椅子への関心をまるっきり失くして、配下たちに手を振った。
五人の警務官は床に投げ捨てられて、なんとか顔だけ上げたのをナメレスに向けた。
「こ、この悪党がっ! 警務隊に手を出して、タダて済むと思うなよ!」
『その悪党に味方してタ連中が言ってモ、説得力がナイねッ』
強がりなど歯牙にもかけず、ナメレスは立ち上がると警務官の鼻先まで歩み寄る。
『キミたちさァ。子供を捕マエられなかったナラ、スグに言いナヨッ。ナンで今まで隠シてたのさッ?』
「べ、別に隠してたつもりは……」
「あの場では逃したが、すぐに捕まえられる算段だったんだよ」
『言うコトが、イチイチ三流だねッ』
ため息交じりにダンッ! と足を踏み鳴らすと、ランタンが反応して壁に画像を投影した。
ランの写真だ。
廃墟街の空を身一つで飛翔しているところ。オネイロ・スターダム杯の予選に出場している写真の、SNSにアップされている一覧である。
『大会ニ出てるってコトは、正規のデバイスを使ッテるってコト。じゃあ、ウチから掠め盗った方のデバイスは、ドコに行ったノカッ?』
問いかけながら、再び靴を鳴らすと写真が切り替わる。
受付カウンターで抱きしめられているシーン。笑顔のメグリと、恥ずかしがるランの2ショットだ。
『当然、子供を保護シタ”火天のウリエル”ダよねッ。彼女は顔ガ広いノデ有名だカラ、もう他所ニ渡ってルかもしれないッ』
答えは明白ッ! とポーズを取って、直後に低くしゃがむと警務官の襟首を掴むと、額に仮面を突き付けた。
『子供を捕マエても、トックの昔に手遅れってコトだよッ! あのデバイスは特別ダッタんだッ。わざわざ仕事の度に焼却処理シテ、証拠を残さナイようにシテたのに、コレで台無しダヨッ!』
上辺だけでも装っていた怒気があらわになって、警務官たちは震えあがる。
しかし、彼らを恐怖させたところで何が変わるわけでもなく、ナメレスは無念そうに首を振って手を離すと、懐から小さな装置を取り出した。
形状はUSBメモリに近い。
ただのデータ保存媒体のようだが、その用途を誰よりも理解している警務官たちは、いよいよ取り乱した。
「ままま、待て。待ってくれ!」
『言ったデショ。モウ手遅れナンだよッ』
命乞いも虚しく、ナメレスは即座に装置を起動した。
――ィン!
広がる波動。
それはモルフィングデバイスを起動した時のものと同質だが、規模がケタ違いだった。
起動者本人だけでなく、喫煙室全体にまで拡大すると、ナメレスの設定に基づいて対象を指定し、モルフィング現象に取り込んでいく。
五人の警務官、椅子になっていた男たち――そして配下のギャングまでも。
「ひえっ!?」
「なんで俺らまで……!?」
まさか自分たちまで対象になるとは思っていなかったギャングたちは階段へと逃げるが、事前に宣言された通り、手遅れだった。
指定された全員が平等にモルフィング、非物質のエネルギー体へと変換され、USBメモリへと吸い込まれていく。
一瞬の後。
喫煙室にはナメレス一人だけで、他の誰もがいなくなっていた。
『こうなったラ、スラムの親分ナンテ気取ってられナイねッ。ちょっと早いケド、計画ヲ始めようカッ』
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