第14話 デビューに向けて
やると決まったからには、後はトントン拍子だ。
メグリの手を借りてデバイスの調整をしたり、本来の朝食ができあがったので食べたり、顔を洗って外出着に着替えたり。慌ただしく動いているうちに、時間はあっという間に過ぎ去っていった。
「そろそろ出発しましょうか」
「う、うん……」
ノリの利いたシャツとズボンが息苦しい。形状記憶繊維の効果で、袖を通した直後には長年着古したように体に馴染んでいたが、ボロしか着たことのなかったスラム育ちには十分すぎるほど窮屈に感じられた。
ランは首まで閉めたボタンをソワソワといじりながら、メグリに連れられて屋敷の外に出る。
玄関前には、真っ赤なボディの高級車が停められていた。
運転手だというスーツの女性がドアを開けてくれたので乗り込むと、車はわずかな震動を帯びて滑るように走り出した。体にGがかかり、景色が前から後ろへとスゴいスピードで流れていく。
自動車というものにランは生まれて初めて乗ったが、意外にもオネイロニシアにはそういう住民が一定数いたりする。この国自体が小さな島の集合であり、比較的大きなカケン島でも鍛えている人間であれば徒歩でも楽に縦断できてしまう程度で、車の必要性が低いというのが第一の理由だ。モルフィングのテレポートは飛べる場所が限られているが、テレポート地点からの移動を考慮に入れても車よりはずっと早いし事故も少ない。
モルフェウス環境が整っている都市内で、あえて自動車を使うとしたらコスト面の理由(MTRは安全保障と消費電力の問題で利用料が高め)か、車に乗るのが好きだからかのどちらかと考えられるだろう。
「会場に着くまでの間に、ひとつ確認しておきましょうか」
見るものすべてが物珍しくて窓に張り付いていたランを、引き戻すようにメグリは言った。
「ランくんはモルフィング状態についてどんな風に理解しているかしら?」
「え? えっ、と……」
ランは戸惑うように瞬きをして、記憶を呼び起こす。昨日、モルフィングした自分がどうなったのか、を。
「……幽霊、みたいな感じ。他人から見えなくなって、宙に浮かべて、壁とかもすり抜けられて」
「そうね。だいたい合ってるかな」
モルフィングデバイスを使用すると、肉体が消失する代わりに電脳世界に形成された仮想ボディで活動することになる。モルフェウス・ネットワークは現実世界と重なるようにして展開されており、現実の人や物を見聞きしたり地形に沿って移動したりできるので忘れがちだが、同じ世界に存在しているわけではない。生身の人間に電脳は知覚できないし、プログラムされていない限り障害物も重力も関係なしに動き回ることができるのだ。
理屈にすると難解だが、幽霊という『この世の理から外れた存在』として認識するのは、あながち的外れとも言えなかった。
「モルファイトでは、それ専用に作られた電脳ステージで戦うことになるわ。建物とかも全部電脳のものだから、すり抜けは基本的に無理なの」
「じゃあ……飛べるってことだけ?」
「そうね。それ以外は現実と同じ感覚で動けると思ってくれていいわ。他に特別なところがあるとしたら、ダメージを受けた時ね」
「ダメ―ジ……」
ギャングや警務官から攻撃された際のことを思い出す。
あの時は、痛みこそ感じなかったものの、攻撃を受けた箇所がフリーズして動かなくなってしまったのだ。
「仮想ボディには自動修復システムが搭載されているの。データが壊れちゃうと、モルフィングを解除した時にちゃんと元通りの肉体に戻れないかもしれないからってね。それで、ある程度のダメージが溜まると回復を優先するために他のあらゆる行動がストップしちゃうわけ」
「回復……時間が経ったら、治る?」
「賢いわね、ランくん」
要点を突いた発言に、メグリは目を細めてランの頭を撫でた。
髪をかき乱される感覚は入浴時のことを彷彿とさせて恥ずかしかったが、同時に褒められた誇らしさもあって、ランはされるがままに任せる。
「最初に覚えておいて欲しいのは、この二つ。
1つ、鳥や魚のように飛び回ることができること。
2つ、攻撃されても痛くないし、ちょっと待てば治るんだから怖がらずにいこう!
――ってね」
「はい……あれ?」
ランは頷いて、それから首を傾げた。
確認するべきことは、これだけか?
攻撃を受けた場合のことはわかったが、こちらから攻撃するにはどうしたらいいんだろう。
しかし、メグリは質問を受け付けることもなく、ランから視線を外してしまった。
「見えてきたわね。あそこが試合会場――ハイロースタジアムよ」
窓の外を見ると、建ち並ぶ高層ビルの間から銀に輝くドーム状の屋根が姿を現わしたところだった。
ランたちを乗せた車は幹道から逸れて、緩やかにスピードを落としながらスタジアムの正面ゲートをくぐる。
敷地内は数多くの来場者で溢れかえっており、スタジアムを背景に記念撮影する若者や、入り口前の出店でグッズを買っている家族連れ、大型バスからゾロゾロと下りているお祭りムードの集団、彼らに怪しい者が混ざっていないか目を光らせる警備員と、枚挙にいとまがない。
「すご……こんなに、人がたくさん……」
「大きい大会だからね。試合はいくつかのブロックに分かれてるから、ランくんと戦ったり観戦したりする人は、あの10分の1もいないはずよ」
「……え、僕が出るのって、そんなスゴイの、なんですか?」
聞いていた話と違う気がしてきた。
胡乱な目を向けるランに、メグリは何でもないような顔で軽々しく答える。
「まあ、スゴイかもしれないわね。オネイロ・スターダム杯といえば、メディアに取り上げられることも多いから」
「オネッ……スタッ……!?」
明かされたビッグタイトルに、ランは魂が消える思いがした。
頭をぶつける勢いで仰天して、破損した仮想ボディでもないのにフリーズしたまま、車は地下駐車場へと入っていってエンジンが切れる。
「到着いたしました。どうぞお降りください」
「ま……まって待って!?」
運転手が外からドアを開けてくれたが、それどころではない。
ランは血相を変えて取り乱し、メグリに縋り付いた。
「き、聞いてない、です!」
「そう? ちゃんと言ったわよ。初心者が集まるって」
オネイロ・スターダム杯は、新人発掘を目的とした大会である。
公的な実績を持たないことが参加条件なので、メグリの言い方も間違ってはいない。
「で、でも……1億エンとか、上級市民になれるとか……」
「優勝したら、ね。おやおや? ランくんってば、優勝するつもりなんだ。いいじゃない、男の子はそうでなくっちゃ」
そうじゃない。そういうことじゃない。
たった一回、勢いでモルフィングしたことがあるだけで何を教わったこともない浮浪児が、その日の思い付きで、世界的に注目される大会に出るという事実は、あまりにも重すぎた。
野山しか知らない仔ウサギがサメのいる海域に放り込まれたみたいな顔をするランに、メグリはからかうようなニヤニヤを消すと、真面目な声色に変える。
「確かに、急な話ね。だけど、チャンスは今日だけなのよ? 来年に先延ばしはできない。しようとするなら、その間は公式大会に一切参加しないってことになるけど、それは現実的じゃないでしょうね」
挑むにしても、逃げるにしても、今日を逃せば二度と挑戦権は手に入らない。
その上でどうするのか、とメグリは問うてくる。
「わたしの説明が足りなかった、っていうのは確かにその通りね。謝るわ、ごめんなさい。やっぱり嫌だって言うのなら、このまま家に帰るけど、ランくんはどうする?」
「う……僕、は……」
大会の規模の大きさに不安が激増して潰れそうだし、言葉足らずでダマされた感があるのは業腹だ。
しかし、ランはすでにやると決めて一歩踏み出した後だった。
決意をひるがえすに足る理由はあるだろうか、と自問して、納得できる答えは出てこない。
「……やり、ます」
腹を括って、車を降りる。
車高は低く、子どもでも楽に乗り降りできる造りになっていたが、ランには千尋の谷から身を投げるような心地がした。
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