第8話 ”火天のウリエル”
曲線美豊かな、スタイルのよい女性だ。
大きな電脳サングラスとつば広帽子で顔を隠しているが、すらりと脚を伸ばして胸を張った立ち姿は自信に満ち満ちており、お忍び中のセレブリティといった隠しきれないオーラがにじみ出ている。
(……誰?)
「……何者だ?」
警務官がランの疑問を代弁した。
脅すような声色で、肝の小さい人間ならばそれだけで竦み上がってしまいそうだが、乱入してきた女性はわずかも臆することなく言い返す。
「訊ねるなら、まず自分から名乗るべきじゃない?」
「はあ? この格好を見てわからんのか?」
「わかるから言ってるのよ。警務隊員なら、IDを見せる義務があるはずでしょ」
「……チッ、うるさい女だ」
規則を盾に取った指摘に、警務官は舌打ちをしてIDを提示する。
投影されるホログラム。警務隊のエンブレムには複製防止のデジタル加工が施されており、所属と階級、氏名とともに24ケタの番号が振られた顔写真は本人のものだ。
女性はホログラムをじっくり観察して、「ふうん」と意外そうに呟いた。
「びっくり。本物だわ」
「これで満足か?」
「ええ。ごめんなさいね、まさか本当にお巡りさんだったなんて夢にも思わなくて」
女性は手で口許を隠して、おどけたように笑った。
「お仕事中だったの?」
「その通りだ。我々はこの子どもを連行しなければならん。まだ邪魔をするというなら、公務執行妨害で貴様も逮捕するぞ」
「あらあら。お忙しいところを、重ね重ねごめんなさい」
悪びれた様子もなくコロコロと肩を揺すりながら、
「ところで、質問なんだけど……」
何気ない所作で、サングラスの縁を叩く。
『ギャングどもめ。こんなガキ一匹捕まえるために俺たちを動かすなんて、何様のつもりかね?』
『言ってやるんじゃないよ。プロのあたしらと違って、スラムのゴロツキには荷が重いんだろうさ』
「これのどこが公務なのかしら?」
「ッ!? てめー、聞いてやがったのか!」
録音データを見せ付けられて、警務官たちに動揺が走った。どうするかと顔を見合わせ、「聞かれたからには放置できない」と判断するが、もう遅い。
吹き抜ける突風につば広帽子がさらわれて、川面に落ちて波紋を作る。
「捕獲装備てんか――」
――――【モルフィング・イン】
彼らが行動に移ろうとした時点で、すでに女性はチョーカー型デバイスを首に装着してカードをセットしていた。
一瞬の波動を経て、肉体が非物質へ変化する。
エネルギー状態になった体は、仮想ボディとして電脳空間に再構築。試合用にデザインされた、朱と銀のバトルコスチュームがあらわになった。
「火天に見蕩れなさい――【
直後、道幅いっぱいの巨大な火柱が立ち上った。
あくまで電脳の炎であり、物理的な熱は放っていないはずなのに、ランは肌が焙られるような錯覚を覚えた。
火柱は出現と同じく唐突に消失し、視界が開けたところには、警務官たちがノイズに侵された体を引きずりながら、女性を包囲するのが見えた。
皆、全身にダメージを負ってはいるが軽傷な様子。だが、女性の両翼からライフル銃を向ける彼らの表情は歪んでいる。
「ふ、【陽焔】オプションだと!?」
「しかも、その格好にその顔……まさか本物か!?」
「そうよ。あなたたちと同じく、ね」
帽子の中にまとめられていた長髪が解き放たれ、風をはらむように雄々しくたなびいた。
朱の下地に、スタイリッシュな流線形の銀鎧。美しい脚線に合わせてスカート状に垂れた草摺がシャラリと鳴って、胸当てには猛禽の翼と天使の輪を組み合わせたエンブレムが輝く。
「ビビるな! 四天使だろうが、無敵じゃねーんだ。数で押しきれる!」
仲間を鼓舞するためか、はたまた恐怖の裏返しか、どちらにせよ一人が怒鳴ったのが合図となった。
ひき金にかけられた指に力がこもり――女性の姿がかき消える。
「焦りすぎ。挟み撃ちは悪手よ」
上空からの声と入れ違いに、複数のうめき声が上がった。
真上に飛んで回避した女性は、獲物を失った散弾によって同士討ちした警務官たちを冷たく見下ろして、銃口が慌てて旋回するひまも与えず、掲げた手の平に火球を精製。先の火柱とは違って極小ながら目もくらむ程に煌々と燃え盛る球体を放射する。
五閃!
手から離れた火球は分かたれて鋭矢となり、五人の警務官を脳天から撃ち貫いた。
穿たれた警務官はビクンッと痙攣し、中途半端にライフル銃を構えた体勢のまま動かなくなった。完全にフリーズした仮想ボディに、女性はもう一度火球をぶつけて人間松明よろしく炎で包み込んでから、元の位置に着地する。
(……キレイ)
強いとかスゴイとかよりも先に、ランが抱いた感想はそれだった。
チラチラ火の粉が舞い散る中で悠然と立つ姿。
乱れた髪をかき上げて耳の後ろに流す仕草。
天から遣わされた戦天使と言われれば信じてしまいそうな程に神々しく、絵心のある者であれば筆を取らずにはいられないような、芸術的なまでの美しさを前にしては他の言葉など出てくるはずもない。
【修復中……修復中…………仮想ボディ復旧】【自己診断開始】
【警告】【メインバッテリー残量低下】【安全装置起動】
(っ?)
茫然と心奪われていたら、いきなり新たなエラーメッセージが出現した。アラート音を立てながら、宙に浮いていた体がゆっくりと地面に落下していく。
――【モルフィング・アウト】
有無を言わせず、ランを変化が襲った。
エネルギー体から物質体へ。浮遊感が消え、数分ぶりに戻ってきた体重を持て余して尻餅をつく。ノイズもなくなって、体が自由に動かせるようになる。
そして、顔を上げると世界もまた元通りになっていた。
空間を満たしていた電脳を感じることができない。飛び交うデータも、フリーズした警務官たちも見えなくて、何の変哲もない川沿いの無人道路にラン一人がへたり込んでいるだけだ。
……夢でも見ていたのか。
なんて気すらしてくるが、首元を触ってみればカードを差したままのチョーカー型装置が現実のものとして存在している。
それに、間を置かず虚空に波動が生じたかと思うと、あの女性がすぐ目の前に出現したのだ。モルフィングを解いたので、バトルコスチュームではなく帽子にサングラスのお忍びスタイルに戻っている。
「きみ、大丈夫? 気分が悪かったりしない?」
女性は腰をかがめて、優しく声をかけた。
彼女の声。
レコーダー越しに何度も聞いてきた声を、ランは初めて直接耳にした。チラ、とずらしたサングラスの下から覗く明るい瞳が、自分のことを映しているという事実に熱い感情が湧きあがってくる。
「ぁ……う、ウリエ…………」
「しっ」
どうにか言葉を紡ごうとしたら、女性は薄い唇に人差し指を当てて、それから手を差し出してきた。ランは握り返そうとして、触れた指先に伝わった感触があまりに柔らかいことに息を呑む。つい引っ込めようとした手を、女性はすばやく捕まえて、輪をかけて硬直してしまうランをそのまま抱き寄せた。
ふわ、と。
豊かな長髪が胸に抱かれたランの頭に流れかかった。
髪のカーテンによって、視界は女性と二人きりに閉ざされてしまう。伝わってくる、経験したことのない柔らかさと温もり。甘い香り。心の鼓動は、果たしてどちらの音だろう。
五感のすべてを満たされて夢中に落ちていくランを抱えて、女性は電脳サングラスで周囲を窺いながらビルの隙間へと入っていく。
物陰に身を潜めて程なく、五人の警務官たちもモルフィングを解いて現実世界の路上に戻ってきた。
「クソッタレ! あの女、余計なマネを!」
「ご丁寧に【陽焔】の目隠しまで残してくれやがって……どこ行きやがった?」
「急いで探せっ! 逃がしたら、俺たちの身が危ないぞ!」
「あのクソガキも、見つけたらぶっ殺してやる!」
「あーらら、ずいぶんとお怒りだこと」
聞いているランは夢見心地に冷水をぶっかけられた気持ちだったが、女性はのん気に笑みまで浮かべて、安心させるように頭を撫でた。
「お姉さんに任せて。絶対に守ってあげるから」
囁きが、耳をくすぐる。
不思議と、彼女のことは信じられる気がした。信じ合うとか助け合うとか、スラムでは長い間してこなかったのに、彼女の言葉は掛け値なしに受け入れることができた。
肩の力を抜いて身を預けるランを、女性はしかと抱き直して路地の奥へと歩いていく。
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