第32話「恩賞と報酬」

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 アラディン侯爵家の別宅にてひとりの少女が寝室に臥せっている。


 彼女の左手首から肘までが紫色に変色し、苦悶の声が可憐な口からときどき漏れてた。


 次女セレスティナは使用人想いの優しい少女であり、だからこそ現在屋敷の雰囲気は重苦しい。


 大貴族の令嬢のために、毒の侵蝕と激痛を緩和する高価な薬が惜しみなく使われていて、何とか症状の悪化を抑え込めている。


 愛娘の危機を高価なマジックアイテムで知った当主は次々に手を打ち、あとは該当ヒュドラの討伐、もしくは素材の採取を待つばかりだった。


「また失敗? 一級冒険者でもか?」

 

 ティナには聞こえない位置で別宅をあずかる執事が嘆く。


「忌々しいヒュドラめはどうやら特別に強力な個体なようで」


 報告する侯爵家の護衛兵の舌は重く、表情は悲痛だった。

 侯爵家関係者の中でティナのことをきらう者はひとりもいない。


「まあ、並みのヒュドラであればティナお嬢さまの護衛兵が壊滅するはずもないか」


 と執事は頭痛をこらえながら深々と息を吐き出す。

 当主は溺愛する娘のために、質の高い兵を選りすぐって護衛としてつけていた。


 外に出れば一級冒険者、あるいは王国の精強な騎士として名前をあげただろうと思われる者たちである。


 彼らが敗北し、ティナにまで危害が及んだのがヒュドラの強力さを物語っていると執事は思う。


「おいたわしや、ティナお嬢さま。代われるなら代わりたい想いとはこのことか」


 執事の言葉は屋敷にいる使用人全員の気持ちを代弁していた。

 そんな彼らのもとにギルドから使者が駆け込んでくる。


「ヒュドラが討伐された!? ついにか! 解毒剤も製造されるのだな!」


 メイドたちが目に涙を浮かべて、歓喜の声をあげた。


 執事は興奮からいち早く我に返って、高価なマジックアイテムを使って当主に緊急の連絡を取りつける。


「わたしが行く。素材は高く買い取れ。冒険者への報酬をケチるな。その他抜かりなく」


 当主も興奮して早口になっていた。

 娘が助かるからと言って大貴族の当主が王都から来れるはずがない。

 

 それでも来るのだろうなと執事は思い、言いつけを守るために冒険者ギルドに使いを出す。


「それにしてもネームド認定間違いなしと言われてたヒュドラを倒すとは、いったいどんな冒険者なのだろう? 最低でも銀級の実力はあるのだろうな」


 と執事は思った。


 ネームド認定──選ばれし圧倒的強者しか歯が立たないと判断された一部の魔物に異名を与えて、通常個体との区別を図ること。

 

 たいていの場合は数千の軍勢すら撃退し、城ひとつを攻め落とすほど強力とみなされた存在におこなわれる。



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「足止めを二日もされたのは計算違いだったな」


「解毒剤をつくってご令嬢が治るのに時間がかかったみたいだね」


 とドゥーエが指摘した通りだった。


 まさかと思ってしまったけど、ご令嬢が快復してくれないと恩賞をもらえないのは想定しておくべきだったと反省する。


 まあ何もないのだからと身代わりにコッペリアを置いていたので、俺自身に影響はなかったんだけど。


「今日は褒賞の支払いと素材の買い取りの両方やってくれるらしいよ」


 と予定をドゥーエから聞かせてもらう。

 

「それは助かるな。侯爵令嬢を助けたんだからそれなりに期待したいところだ」


 できれば金だけもらってサヨナラですませたいけど、大貴族の体面もあるからさすがに難しいだろうな。


「お金目当てだったの?」


 ドゥーエは質問すると言うよりは会話を楽しんでる感じだ。


「そりゃ大貴族のご令嬢なんて、俺とは一番縁がない存在だぞ」


 腐っても子爵家の跡取りなので、パーティーで会ってあいさつはするかもしれないが、それで終わり。


 上級貴族と下級貴族の間に存在する見えない壁だった。


「えっとそうじゃなくて、大貴族なら組織の後ろ盾になってもらうのありじゃん?」


「ああ、そうだな」


 ドゥーエの意見をまったく考えなかったわけじゃない。


「だけど、アラディン侯爵家はまっとうな領主だから無理だろうな」


 ボスの正体を明かせない組織の後援なんて、やってくれるはずがなかった。

 やってくれるのはどちらかと言えばグリード侯爵みたいな人だろう。


「まあ、令嬢を助けたら可能性はあるんじゃない? 溺愛してるらしいから」


「だといいが」


 そもそも俺たちと組織の関係を提示するか決めてないのに、ドゥーエは気が早いなと思った。


 小声で会話しながら呼び出された時間に冒険者ギルドに行くと、立派な馬車が止まっていることに気づく。


 いや、まさかな。


「こちらが件のヒュドラを倒したルー殿とセリア殿です」

 

 入ったとたん見覚えのあるおじさんが、明らかに立派な服を着て屈強な護衛に守られている中年男性と、可憐な女の子に言い放つ。


「まあ! あなたたちが!」


 男性が何か言うより先に、女の子が俺の手をしっかり握る。


「おかげでわたしは助かりました! どうもありがとう!」

 

 天使の笑みだと思わざるを得なかった。

 仮面をかぶってなかったらごまかしがきかなかったかもしれない。


「ティナ。彼らと話をしたいので、いったん落ち着いてくれないか」


 と男性が声をかけた。

 侯爵令嬢を呼び捨て、指示を出すような口調を出せる人物はかぎられている。


「はい、お父さま」


 増幅された「まさか」は少女の言葉で確定に変わった。

 この男性はアラディン侯爵家の当主だ。


「君たちが冒険者のルーとセリアか。娘を助けてくれたことにまずは礼を言わせてもらおう」


 礼を言ってる態度には見えないだろうが、これが大貴族の宿命というもの。

 当主自身が足を運んで自分の口から伝える、という状況が非常に重い。


「恩賞の話はギルドから聞いたかね? 金貨五百枚だ。それとはべつにヒュドラの討伐報酬が金貨三百枚、領主として払おう」


 あまりの金額に俺はとっさに声が出てこなかった。

 合わせて金貨八百枚ならおそらく百二十億ゴールドという莫大な金額になる。


「あとは素材の買い取りについてはわたしの管轄ではない。あとでギルドから聞くといい」


 当主がそこで話を終えて困った顔でちらりと令嬢を見た。


「お話は終わったの? じゃあふたりとも、わたしの専属冒険者になってくれない?」


 無邪気な笑顔での提案に頭を抱えたくなる。

 貴族専属の冒険者は安定する反面、縛りがきつくなってしまう。


 万が一のときの退路としては悪くないと思うけど。


「いますぐは承知できません」


 アラディン侯爵領って、魔物が強い地域じゃなかったはずだしなぁ。


「そう、残念だわ」


 女の子は結婚して他家に嫁いで行く立場なので、数年先も雇われるかわからない。

 結婚相手が反対すればおそらく契約更新されないような立場だ。

 

 令嬢はがっかりしてるものの、驚いているわけじゃなさそう。

 事前に誰かから断られる可能性が高いと教えられてたみたいだ。


「じゃあときどきでいいから、お話し相手になってくれない? 冒険者のお話を聞いてみたかったの」


 いま思いついたと次善の提案をされる。

 これは断るほうが難しいし、理由も見つからないアイデアだな。


「我々でよければうかがいましょう」


 侯爵令嬢を満足させる会話なんて難しいと思うけど、そこはドゥーエに期待したい。


「よかったわ! もちろんお礼はするわね!」


 ……令嬢の話し相手のお礼の相場ってどうなってるんだろう?

 考えたことも調べたこともないので、さっぱりわからない。


「話がまとまったならこれを通行証代わりに渡しておきます」


 いままでひかえていた護衛のひとりが金色のペンダントみたいなものを差し出す。

 家紋のようなものが刻まれている。


「屋敷の者に見せて名乗っていただければ、ティナお嬢さまに連絡がいく手はずです」


 今回のために用意したんじゃなくて、もともと家の仕組みだろうな、さすがに。


「承知しました」


 高そうな逸品を単なる通行手形代わりに用意するなんて。

 それができるという家の力を周囲にアピールしてるのかな。


「じゃあまたね」


 幼さの残る侯爵令嬢は父親に連れられ、笑顔を残して去っていく。

 馬車の音が遠ざかっていくと、建物の中にいた人たちはいっせいに息を吐き出す。


「い、生きた心地がしなかった」


「領主さまで大貴族さまだもんな」

 

 徐々にだが喧騒が戻ってくる。

 みんなアラディン侯爵の登場に圧倒されていたんだろう。



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