逆巻く怒涛 9/真像

 強烈な魔力の奔流が、彼女の周囲の空気を揺らし、地面の草々はまるで怯える様に頭を下げていた。

 デルグレーネの様子が一変し、彼女の背丈は少しだけ大きくなり、かつての可憐さはどこかに消えていた。

 風が立ち昇り、彼女の髪は夜の闇に煌めき舞い上がっている。

 透き通るほど白い肌の腕が漆黒の鱗に覆われ、背中から翼が顔を出す。白磁器を思わせる美しい小さな角が左右二本、顳顬こめかみに巻きつく様に伸びている。

 彼女の瞳は、遥か宇宙の深淵を思わせる白金色に変わり、全身から威圧感と強大な重圧を放っていた。

 それはまさに、恐怖を撒き散らす圧倒的な力を宿した美しき魔人の姿だった。


 ジェイコブの呼吸は一瞬乱れ、彼の体が僅かに震えていたのが見て取れた。

 彼の目の前に立ちはだかる姿は、彼がこれまでに見てきたどの魔物とも異なる、新たな存在だった。

 だが、幾度もの死線を潜り抜けた彼は、動揺からすぐに立ち直り、ナイフを固く握りしめる。


「なるほど、これが本当の貴様の姿か。……魔人だなんて思っても見なかった。随分とうまく隠していたな」


 一方、デルグレーネは全身の魔力を高めていく。

 ジェイコブが語りかける中、彼の言葉から挑発がみてとれたが、目を細めるだけで気にもしない。

 ついにデルグレーネは真の姿を現し、全身から強烈な漆黒の炎を放ち始めた。

 首に巻かれている黒いチョーカーをそっと触ると、鋭い視線をジェイコブへ飛ばす。


「倫道を殺すだなんて…… 私が許すと思ったの?」


 白金色に輝く瞳が妖しく光る。

 彼女が口にした言葉は、ジェイコブを完全に圧倒する程の力強さがあり、同時に深い怒りを感じさせた。


(今回の任務…… 不可解だと思っていたが……)


 ジェイコブは今回受けた指令に得心がいったと腑に落ち、デルグレーネの変貌した姿に目を細めた。


「なるほど、彼らの知り合いか…… しかも魔物の…… だが、我々の任務は変わらない。ここで貴様を倒して部隊へ合流するとしよう」

「そう…… 私に勝てると思っているの? じゃぁ、その思い上がりをズタズタに引き裂いてあげる……」


 空気が一段と濃密になり、彼らの間には明確な緊張感が流れていた。

 刹那、デルグレーネは疾風さながらに火花を撒き散らしてジェイコブに向かって突進、真正面からぶつかる。

 爪を伸ばし凶悪な刃と化した右手に魔力を込めてジェイコブへ叩きつけた。


「クッ⁈ 早い――」


 コンバットナイフに雷を宿し、迫り来る凶刃を受け止める。

 両者の戦意と緊張が最高潮に達した時、爆発音がその空間を震わせた。

 砂塵が舞い上がり、視界は完全に遮られてしまう。

 

「【フレイム・バースト】!」

 

 デルグレーネの詠唱に続き、砂塵の中から紅蓮の火柱が天をつく。それはまるで怒れる神の力を思わせるほどの圧倒的な大きさの炎だった。


「ヌゥアアッ!」


 ジェイコブは瞬時に反応し、火柱の中心からかろうじて逸れたが、まるで熱風に包まれた様に彼の肌を焦がした。

 ぎりぎりで身をよじり、直撃を避けた次の瞬間、デルグレーネの声が響く。


「【ゲヘナ・フレイム地獄の烈火】‼︎」

「ウォオオオオオオオオ――」

 

 デルグレーネは再び詠唱。瞬く間に、彼女の右手から放たれた炎は、一匹の巨大な紅龍と化し、彼を喰らいつくさんと暴れくる。

 ジェイコブの瞳は炎の中、その炎龍を焦点に捉える。彼は魔法の力を纏いつつ、叫んだ。


「神々の怒りをこの身に注ぎ、我が敵を粉砕せん!【サンダーズ・ラス雷神の怒り】‼︎」


 龍の顎門アギトがジェイコブを噛み砕く直前、彼の手から紫電が走る。

 両者の間に雷と炎の壮絶な衝突が繰り広げられた。

 互いの魔法がぶつかり合い、大地が震える程の衝撃音とその爆風でジェイコブは後方に弾かれる。


「グァアアアアア〜〜〜〜〜〜〜」

 

 草むらを転がりながら衝撃の勢いを殺し、ジェイコブは辛うじて立ち上がる。

 【ゲヘナ・フレイム】の直撃は免れたが、威力を相殺することは叶わず、大きなダメージを負ってしまった。

 肌には深い火傷が刻まれていたが、デルグレーネから目を離す事なく構え、息を大きく吐き出す。

 全身に焼けつく痛みが走り、彼の着用していた対魔法の防御術式の組み込まれた戦闘服はすでにボロボロとなっていた。


「これが本来の力か……」


 肩で息をし、左手でコンバットナイフを構え直すジェイコブの目はまだ戦意を失っていない。

 激しい痛みを乗り越え、目の前のデルグレーネに冷たい視線を送る。

 しかし、その視線の先には彼女の姿は消えていた。


 風が静かに流れ、遠くの射撃場の騒音だけが響いている中、彼の上空で、デルグレーネの詠唱が始まった。

 夜空に小さく響く少女の声。

 ジェイコブが慌てて声の主を探ると、星空の下、彼を取り囲む巨大な魔法陣が浮かんでいた。

 目まぐるしく変化する紋様の魔法陣は、全ての準備が整った事を示す様に、全ての動きを止める。

 

「――喰らえ! 【デス・フレアダウン】‼︎」

 

 頭上に浮かぶ直径10メートルほどの魔法陣。間髪入れずに放たれる魔法。

 黒い炎が彼を取り囲みながら降り注ぐ。

 炎の爆発は、まるで透明な筒に収められてでもいる様に円柱状となり、地面へと突き刺さった。


「グァアアアアアアアアアアアアアアアアア――」

「さようなら……」

 

 弔いの言葉を投げかけると、灼熱の高温で苦しむジェイコブの姿を振り返りつつ、遠くの射撃場へと目を向ける。

 ここからではよく見えないが、銃弾や魔法が火花みたいに光っていた。

 どうやら包囲され劣勢に回っているようだ。


「待ってて…… いま、行くから」


 呟くと軽く息を吐いて、デルグレーネは空に翼を広げる。

 だが、その前に彼女は自分の姿をふと意識する。


「あっ…… このままじゃ不味いかな……」


 彼女は地面にゆっくりと戻り、翼をしまい、人間の姿に変わった。

 一瞬で長かった髪は肩口まで短くなり、色も金色に変わる。

 彼女が身につけているゲルヴァニアの軍服は破れていたが、まだ着られる状態だった。

 まあ、隠したいところは隠れているので良しとする。

 ただ、背中の部分、翼のつけ根の穴は隠せなかった。


「よし…… 今行くね」


 ささっと身なりを整え、走り出そうとしたその瞬間、背後から猛烈な衝撃が彼女の背中を突き、デルグレーネは強烈な勢いで前方に吹き飛ばされた。


「きゃあ――――⁈」

 

 凄まじい力で背中を殴りつけられたデルグレーネは、地面へと吹き飛ばされる。

 白い肌には肉を抉られた4本の線が浮かぶと、勢いよく真っ赤な血飛沫が舞った。


「がはっ……」


 デルグレーネは地面に倒れ込みながらも何とか意識を持ち直し、震える体で後ろを振り返る。その姿には信じがたい驚きがあった。

 そこには見た事もない魔人がこちらを見下ろしていた。


「なんなの……? あなた…… は?」


 ジェイコブよりも一回りほど大きな体躯。

 はだけた上半身、筋肉は激しく盛り上がり、体表には獣の毛皮が覆う。

 鋭く光る目は野生の猛獣だ。

 頭の上に小さめの楕円形をした耳が周囲を警戒する様に小刻みに動いている。

 丸みのあるマズルは猫のようだが、鋭い牙と眼光はそれではなかった。


 まるで虎に似た顔を持つ獣人が雷を体にまとわせて月明かりを背にゆっくりと近づいてきた。


「……まさか、この姿を晒そうとはな……」

「あなたは先っきまでの……」

「そうだ。ジェイコブ、ジェイコブ・ストーム。 ……貴様と同じ魔人だよ」


 デルグレーネは驚きを隠せないまま、彼の変貌に動揺しつつも立ち上がる。

 よろける足に力を入れて虎顔の獣人と対峙した。


「……そう、じゃぁ、第2ラウンドといきましょうか……」


 ジェイコブは彼女の挑戦を受け入れ、獣の形のままで大声をあげる。

 

「ガァアアアアオオオオオオオオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」


 背筋が凍る咆哮は、まだこの戦いが終わらない事を物語る。

 急速に周囲の状況が変化し、夜空の下で物語は進行していった。

 月光の下での戦闘は、まるで夢、いや、悪夢の様な異次元の世界を映し出していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る