再会 10/秘匿

 初夏の青々しい若草の香りで目が覚めた。

 薫風くんぷうが吹き抜けカーテンを揺らすと、そのまま頬をやさしく撫でる。

 薄らぼんやりまぶたを開くと、開け放たれたガラス窓から入る木漏れ日、初めて見る無機質な部屋。

 意識が徐々に覚醒する中、俺は白い天井を見上げていた。

 体はどこか重く、まるで鉛を詰められたほど重い感覚が広がっている。

 少しだけ動く首をゆっくりと傾け緩慢に辺りを見渡した。


「倫道⁈ 倫道!」


 ぬっと視界に割り込んできた影。かなり近い距離、眼前に少女の顔。

 視点を合わせると、その少女は幼馴染の五十鈴であった。

 俺の胸の上に手を置いて、何度も何度も確かめながら名前を呼ぶ。

 少し茶色がかった瞳を細め、その目尻には滴が光っていた。


「……ああ、五十鈴か……」

「目を覚ましたのね倫道…… 良かった……」

「俺は…… 助かったのか。 ……久重と清十郎は?」

「久重も清十郎くんも無事よ。大怪我を負っているけど、あんたよりはマシ」

 

 五十鈴の光沢のある鮮やかな黒髪が首筋をくすぐり思わず頬を緩め身をよじった。

 彼女はそれを可笑そうに微笑むと、安心したのか普段通りの調子に戻る。


「……もう! またこんなに怪我して! どうせまた無茶しだんでしょ!」

「うっ⁈ いてて…… 五十鈴が治してくれたんだろ? いつもすまないな……」


 文句を言いながら五十鈴がポンと肩口を叩く。

 傷に響いて思わず呻き声を上げるが、これも生きているからこそ感じる痛みと有り難く思う。

 素直に五十鈴へ感謝を伝えると、頬を膨らませて顔を背けた。


「……本当に心配したんだから。私たちが駆けつけた時には本当に危ない状態だったわ。私の魔法の限界を超えている状態…… なんとか治癒魔法で繋ぎ止めて病院へ搬送したの。……あんたが生きていられるのは病院の先生たちと軍から派遣された魔法士のお陰! 後でちゃんとお礼を言いなさいよね」

「ああ…… 分かったよ。それでも…… ありがとう五十鈴」

 

 五十鈴の手を握り、改めて礼を言うと元々ぱっちりとした瞳をさらに丸めて俺を見る。

 心なしか顔に赤みが差していた。


「どうした? なんか顔が赤い――」

「うっ、う、五月蝿い! あ、起きたなら先生呼んで来なきゃ! 行ってくる」


 ピシャリと言葉を遮られ、ワタワタと病室から出ていく五十鈴の背中を見送る。

 遠のく足音を聞きながら、胸の中から静かに大きく息を吐き出した。

 改めて簡素な白い部屋を双眼だけ動かして見渡す。

 もう一度、安堵のため息を漏らすと自分が生きていると実感し、また信じられずにいた。

 

 目を瞑ると気絶する前の記憶が蘇る。

 

 初めて邂逅したA級の妖魔。その恐るべき力。

 ヤツの特殊能力スキル大絶叫ハウルにより激しい衝撃が全身を打ちのめされた。

 追い詰められ、自分の命が絶たれる現実を覚悟したその瞬間、不意に現れた謎の少女。


『よく頑張ったね……』


 まるで俺を包み込むような少女の優しげな声。

 いま思い出しても心臓の鼓動が跳ね上がる。

 

 暗くて顔はよく思い出せない。

 しかし、煌めく艶やかな白金色の髪に、見る者を吸い込むほど美しい白金色の瞳。

 白磁のごとく白くきめの細かい肌に映える漆黒の衣装。

 そして、優雅に広がる一対の黒翼を覚えている。

 

 彼女は一体、何者だったのだろう?

 考えれば考えるほど、なぜだか懐かしさが湧き上がる。

 俺は彼女を知っている気がする。いや、絶対に知っている。……だが、思い出せない。

 白く濃いモヤが頭の中で充満する。

 そして、またあの頭痛が――

 

「神室…… 倫道くん。どうだ、体の方は? 大丈夫かい?」


 不意に声をかけられ、白いモヤは吹き飛んだ。

 同時に彼女へ感じていた懐かしさも消え失せた。

 

 声の主へ視線を向けると、頭に包帯を巻いた丸眼鏡の外人がベットで上半身を起こしている。

 声をかけてきたのは昨夜、カオスナイトメアと一緒に戦った人物。

 バーリ・グランフェルトと名乗ったゲルヴァニア人だ。

 俺は、少しだけ体を動かしてお互いの顔が見える位置まで上半身を持ち上げた。


「ええ、大丈夫…… だと思います」

「そうか……」


 実際、意識を取り戻したばかりである。

 自分がどんな状態かは分かっていなかった。

 ただ、少し体を動かすと各所に痛みが走るがそれなりの感触がある。四肢の欠損がないのは把握できていた。

 なので、大丈夫だろうと答える。


 改めて病室を見渡すと、大きめの部屋に彼と俺のベットが2つ。

 一般の兵士なら、良くて4人部屋、普通なら6人部屋に押し込まれるのだが……

 なんとなく良い待遇に違和感を覚えたが、久重たちより重症だったからだと納得する。


「倫道くん…… と呼んでも良いかな?」


 瑣末さまつなことを考えていると、バーリさんが再度声をかけてきた。


「ええ…… 自分の事はなんと呼ばれても構いません。倫道と呼び捨ててください。えっと、グランフェルトさん」

「ははは。ありがとう、では倫道と呼ばせてもらうよ。私のこともバーリと呼んでくれ」

「分かりました、バーリさん」


 お互いぎこちない笑顔を交わす。

 暖かな風が室内を吹き抜け、白いカーテンがふわりと舞い上がる。


「良い日だ…… まさかこうして生きているとは信じられないな」

「はい…… 自分もそう思います」


 彼は穏やかな表情で窓へ向けていた視線を俺へ戻した。

 やがて頬を緩め口角を上げて小さく笑うと、静かに灰色の双眸を閉じる。

 そして彼は再び瞼を開けると、瞳には力が篭っていた。


「倫道…… 君達を巻き込んでしまって申し訳なかった。すまない。そして、命を賭して戦ってくれたこと…… 何より命を救ってくれたことに深く感謝します。本当にありがとう」

 

 真剣な眼差しで見つめられ、綺麗な金髪の頭を深々と下げた。


「あ、頭を上げてください! 自分は何も……」


 バーリさんの謝罪と感謝に思わず恐縮し遠慮する。

 なぜなら、自分は何もしていない。そう、何もしていないのだから。

 意識が途切れる前に見た光景。

 牛馬頭の巨大な妖魔の上半身が弾け飛び、漆黒の業火に包まれるその姿を。

 暗闇に輝く白金色の髪をした少女が放った恐るべき威力の魔法を。

 今でも目に焼き付いて離れない。


「ん? どういう意味だい? 君が倒したのだろう?」

「……いえ、実は覚えていないんです」

「なんだって⁈ 報告によると炎系の魔法によりカオスナイトメアは沈黙、魔素の残滓から君の魔法の痕跡があったとあるが……」

 

 彼は不思議そうに俺を見ていた。

 彼女のことを正直に話すべきだろうか。俺は迷った。

 迷う理由は1つ。なぜなら彼女もまた妖魔であっあだろうから。

 

 白金色の美しい髪をかき分け、白磁器のように美しい小さな角が左右二本、顳顬こめかみに巻きつく。

 艶やかな濡羽色の翼をもつ魔人。

 本来であれば絶対に報告すべき事案。

 A級の妖魔を一撃で倒せるほどの力を持つ魔人だ。国家が転覆するほどの危険を孕んでいる。

 しかし、なぜか俺の中には、彼女のことを話したくない、いや話してはいけないと危機感を抱かずにはいられなかった。


「すまない、バーリさん。本当に覚えていないんだ。大絶叫ハウルを受けた後…… いや、戦っている途中から、ほとんど覚えていないんです」


 彼女を隠すために、その言葉を選んだ。

 彼女の存在が自分自身にとって非常に重要な意味を持つ気がしたから。

 また、明らかにカオスナイトメアのような血に飢えた妖魔とも彼女は違うと感じている。

 人間にとって彼女の存在が善か悪かは分からない。しかし、彼女が俺たちを救ったのは確かだ。

 あの時、おぼろげではあるが一瞬だけ見せた笑顔と決意に満ちた力強い眼差しは、俺の心に深く刻まれていた。


「なるほど…… あのような極限状態だ。仕方がないのかもしれないな」


 俺の返事に納得し、一人頷くバーリさん。

 どうやら上手く誤魔化せたと安堵する。そしてこの話をこれ以上は続けたくないので話題を変える。


「バーリさんは大日帝国の言葉がお上手ですね」

「ん? ああ、私の叔母に君の祖国の人がいてね。もともと文化に興味を持っていたので、色々と教えてもらったんだ。特に歌舞伎なんて最高だね! 今回の渡航もそれが楽しみで――」


 嬉々として語るバーリさんの笑顔は輝き、先ほどまでの影のあった顔とは見違えるほどだ。

 本当に好きなんだろうなと微笑ましくなり、また外国人の彼にそこまで言わせる自国の文化を誇らしく思った。

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