再会 8/変調

 遠巻きに俺たちを観察していたカオスナイトメアが、その巨体を揺らしてゆっくりと近づいてくる。

 どうやら反撃はされないだろうと判断したようだ。

 妖魔のくせに、その慧眼けいがんには恐れ入る。

 いや、ただの本能かもしれない。弱った匂いを嗅ぎつけるハイエナのように。


「うう…… くそっ……」


 久重がよろけ、膝をつく。

 清十郎も未だ立ち上がれず、片膝をつきながらも震える体でコンテナへもたれ掛かった。

 バーリさんも上半身は起こしたが、足の骨折により立つ事はできないだろう。

 カオスナイトメアの予想通り、碌に動けそうもないほど重大なダメージを負ってしまっている。

 つまり俺以外、もう誰も戦うことは出来ない。


「神室……君、だったかな? 動けるのなら彼らを連れて逃げて――」


 久重と清十郎へチラリと視線を投げると2人ともただ黙って首を振る。

 彼らにも分かっていた。

 

「……いえ、2人を抱えて奴から逃げるなど不可能でしょう。そもそも敵を前にして背中を見せるなど出来ません。ましてやバーリさん、仲間を置いては」

「しかし……」


 何かを言いかけたバーリさんへ向かい精一杯の笑顔で頷くと、瞠目した彼は深い灰色の瞳を弓形にして嬉しくも困ったような歪な笑顔を返した。

 そのまま久重と清十郎へ視線を移すと、彼らもまた同じく、眉毛を八の字にした苦笑の表情を作っていた。いや、清十郎は少し怒っている気もする。


「バーリさん、先ほどは助けてくださりありがとうございます。では行きます」

「こんな格好ですまないが…… 君達を巻き込んで申し訳なかった」

「倫道……、ちょっと待ってろよ。俺も行くからよ」

「神室……」


 彼らと短い言葉を交わし振り向くと、俺たちの様子を興味深げに伺っているカオスナイトメアへ俺も爪先を向けた。

 痛み、不安、恐怖…… 身体中から汗が噴き出るほど『絶望』が俺にのし掛かる。

 正直に言えば逃げ出したい。当たり前だ。自ら殺されに行くようなものなのだから。

 

 ――それなのに


 足は前へ前へと進んでいく。

 ドン、ドンと胸を叩くほど鼓動が響き血がたぎる、体が熱くなる。

 特に左目がチリチリと痛いほど熱い。

 死ぬほど逃げ出したい恐怖はある。勿論ある。それでもなお、足は迷いなく前に進む。

 そう、恐怖を上回るほどの『衝動』が俺を支配していたのだ。


(俺の目の前で…… 絶対に殺させはしない!)

 

 『衝動』と共に体の中を駆け巡る魔力の奔流が激しくなり、外へ溢れ出すのを抑えている。

 凄まじく昂る、今まで経験したことがない感覚。

 死ぬ覚悟を決めたことによる達観から感じる幻想か……

 いや、これはそんなものではない。現に自分でも驚くほど魔力が満ち溢れている。

 腹の底から湧き出る力に今にも爆発しそうになるが、頭の中の思考は驚くほど冷静になっていく。

 加速する思考の中で怪物相手に戦うイメージが浮かんだ。

 

 桟橋の方角からサイレンの様な音が聞こえるが、どこか遠くに感じる。

 今この場では、自分の引き摺る足音と巨大な妖魔の蹄の音が響いていた。


 やがて3メートルほどの距離を取り、足を止める。

 見上げると山のようにそびえるカオスナイトメア。

 月明かりに照らされた真紅の瞳が、より一層輝いて見えた。

 

 長い鼻梁の先にある歯根を剥き出した口、長い舌をだらんと下げて涎を垂らす。

 何かを期待するような、嬉しそうな表情。

 こいつの頭の中では、俺はご馳走に見えているのかもしれないと思うと、少しだけ可笑さが湧き起こった。

 目の前の怪物と自分、圧倒的な力の差がある。

 そりゃあただの食糧に見られてもしょうがないかと1人納得して。

 ピーンと張り詰めた空気、カオスナイトメアのまとう魔力の重圧プレッシャーが高まった。

 

「行くぞ!」


 つま先に全体重を乗せて一歩踏み出す。

 刹那、カオスナイトメアはたてがみを膨張させ大きく広げると、棘に似た物体を射出した。

 俺は踏み出した右足に全ての力を乗せて後方へ勢いよく飛び退く。

 先ほどまで俺のいた場所に数十本の棘が突き刺さる。バーリさんが言っていた麻酔棘だろう。

 フェイントに引っかかった巨大な妖魔は、その真っ赤な双眸を大きく見開いた。

 

「まだ黒姫は還してないぞ!」

 

 後方へ飛びながら魔力を集中させ、絶叫した!


「喰らえ! 【黒焔針――――‼︎】」


 空中に拡散していた黒姫の魔力を練り直し顕現させる。

 漆黒のニードルが2本、放たれた矢の如くカオスナイトメアを襲った。


『グギャアアアアアアアアア――――――』


 黒焔針がカオスナイトメアの頭部、しかも憤怒に燃える左の瞳を貫いた。

 ボロボロの俺たちを見て油断していたとはいえ、これは明らかに油断。そして幸運であった。

 たたらを踏んで明らかに狼狽するカオスナイトメア。

 空気が震えるほどの咆哮、両手で顔面を覆い、突き刺さった黒焔針を抜こうとする。


「させるか! 燃えろ!」


 黒焔針を爆発的に燃え上がらせ焔炎へと昇華させると、怪物の頭部は赤黒い炎に包まれた。

 さらなる絶叫が夜の空へ響き渡る。


 大きく後方へ飛んだ俺は、よろけながらも着地をする。

 衝撃で足首の痛みが全身を駆け巡り、思わず声を漏らしてしまう。

 鼓膜が破れそうなほど心臓の音がうるさい。

 額から脂汗が滲み出る。


 しかし、力が、魔力が腹の奥底から無限に湧き出る様な感覚。

 今までも感じたことのない高揚感。

 何か懐かしい感じ、どこか安心できる温もりを胸の奥から感じる。

 体が思うように動く、怪我する前、いや今まで以上に。


 よろけた両足に再び力を込めて、今度こそカオスナイトメアの懐に飛び込む。

 身を屈め弾丸のように懐へ飛び込むと、手の届く距離で魔力を練り上げる。


「黒姫! 【黒焔爪こくえんそう――‼︎】」


 顕現した黒姫が右手を覆い尽くす。

 刹那、俺の右手が漆黒の炎に包まれると、鋭く尖った炎の手甲鉤と変容した。


「うぉおおおおおおおおおお〜〜〜〜〜〜」

 

 目の前のカオスナイトメアへ渾身の力で殴りつけた。

 突き刺さると同時に爆炎が傷口から放たれる。

 怪物の腰あたりに突き刺さった黒焔爪を力任せに横薙ぎに振ると5本の傷がカオスナイトメアの体表を抉った。


『グァアアアアアアアア――』


 苦しそうに左腕で払い除けるが、素早く躱し後方へ距離を取る。

 よろける巨大な妖魔は麻酔棘を射出するが、その前に再度潜り込み、黒焔爪にて腹部を切り裂いた。


    ◇

 

「す、すげぇ……」

「な、なんだあれは……、神室…… だよな? それが何で……」


 倫道の姿に呆然となる久重と清十郎。

 今までも目にしたことのない素早く力強い動き、何より黒姫を使った連続の魔法攻撃。

 一緒に訓練をしてきて、倫道の実力を知っている2人には目の前の光景が到底信じられず、ただ唖然とするだけであった。


「お、おい、清十郎。倫道の左目を見ろ……」

「ああ…… 金色に 輝いている……な」

「気がついたか、なんだありゃ……」

「…………」


 倫道の瞳の色は、蒼を帯びた深い黒色である。

 それが左の瞳だけ金色に輝き、漆黒の闇の中で糸を引きながら眩い光を放っていた。


「あれは…… 魔力の干渉? 覚醒状態なのか……」


 バーリが専門的な立場から、今の倫道の状態を分析する。

 A級の魔物モンスターを前に、彼の能力が解放されたのだろうか。

 多分、他の2人の様子を見ても、命の危険に晒されて本来持っていた力のリミッターが解除されたと考えるのが妥当だ。

 だとしたら研究に値する人材たちだ。などと場違いな事を考えていると、カオスナイトメアに動きがあった。


 倫道の黒焔針、黒焔爪のコンビネーション攻撃に怒り狂って遮二無二しゃにむに反撃を繰り返していたカオスナイトメアが後方へ飛び退き距離をとった。

 

 中距離魔法と近接魔法の連続はA級の魔物モンスターに少しずつながら確実にダメージを与えていた。

 しかし、距離を取ることで怪物は劣勢であった状況をリセットさせてしまったのだ。

 この距離の意味するところ。

 それはすなわち大火力の一撃、それが有るか無いかの差であった。


 片目を潰され、怒りで体表も赤黒く変色しているカオスナイトメア。意外にも冷静さを保っていたことにバーリは驚きを隠せない。


 距離を取ったカオスナイトメアは、荒い息を止めることもせずに大きく息を吐き出した。

 両足を踏ん張り、胸を反らせて大きく息を吸い込む。

 胸の盛り上がりが異常なほど膨れ上がっていく。

 先ほどバーリの前で見せた怪物の特殊能力スキル発動の前兆だった。

 

「スキルが来る! さがれ――!」


 バーリが倫道へ叫んだ瞬間、牛馬に似た頭部から信じられないほどの圧力で大轟音が闇夜を裂く。


『ヴォオオオオオァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――――』

「隔絶し、静寂の幕を張り巡らせ【サイレンス・ウィスパー!】」


 特殊能力スキル大絶叫ハウルが倫道たちに向けて放たれた。

 猛獣の叫びが空に響き渡る。

 大絶叫ハウル

 コンテナが浮き上がるほどの衝撃波。

 空気は分厚い音波で塗りつぶされ、怪物の目の前の全てが揺らいだ。まるで地面が割れるほどの強烈な振動で、彼らは荒れた地面を疾走する車の中にぶち込まれたようだ。

 

 ついには防御魔法が貫かれてしまう……

 魔力が尽きかけていたバーリの【サイレンス・ウィスパー】は、カオスナイトメアの渾身の大絶叫ハウルの前に脆くも崩れ去ってしまった。

 音波は防御魔法を突き破り、久重、清十郎、バーリ、そして倫道に襲いかかった。

 鼓膜はひどく揺れ、音が壁となり、その衝撃により吹き飛ばされる。

 やがて、その意識は刈り取られてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る