第17話 契約の危機
「……あなた、見かけよりもずっと。臆病なのね。」
「──こんな夫は、貴殿には受け入れがたいか?怪物伯などと呼ばれようと……私の本質は弱く、愚かで、君がこうして無茶をするだけで心臓が縮こまりそうな小心者だ。」
その声は震えていた。
ああ。この人はきっと、自分のことが大嫌いなのだろう。
どれだけ使用人たちに、領民たちに愛され慕われていても。怪物伯と謗られることは彼にとっての傷でもあり……同時に鎧でもある。
でも、おあいにくさま。そんなこと私には関係ないの。
「どうしてそう思うのかしら?居丈高に振る舞って、妻のやりたいことに文句をつけて制限しようとしてくる輩に比べれば星とオド虫だわ。」
素晴らしいものとそうでない一般以下のものを比較するときに使う形容を口にし、瞳を細める。
「オスカーさま。……オスカー。私にとって何よりも大切なのは魔道具学、私の研究です。あなたは私がこの地に来てからずっと、その想いを理解して優先してくださいました。」
ただの一度も、研究をやめろとは言われなかった。
学院にいた時ですら、精霊との契約にも婚約相手探しにも目もくれずに研究まっしぐらな私に、白い目を向ける者はいたのに。
この人とこの地の領民は、それを暖かく見守ってくれていたのだ。
「私の大切なものをあなたは尊重してくれています。ならば私も、あなたのあり方を尊重いたしましょう。オスカー・ノーズブラック、私の旦那さま。」
震えていた腕に触れていた手を、傾いている彼の頬へと伸ばす。最初に無造作に生えていた髭は、今は清潔感を感じられる程度に整えられている。
精悍な顔立ちが仔天馬のようにしょげているのが、私としてはおかしくて堪りませんでした。
「どうしてそんな顔をするんですか。私は何かおかしなことを申しましたか?」
「……いや、その。君が私とそういった、いわば互いを尊重できるパートナーになってくれるというのは、……ええと、嬉しい。」
嬉しいのだが……と言葉を濁すオスカーさまに次第に焦れてきた。眉間に無自覚に力が入る。
「言いたいことがあるのならはっきりと仰ってくださらないでしょうか。最初に申した通り、私としては研究をさせていただけるのならばある程度のことは譲歩します。
そうでなくとも共にこの領土のために最善を尽くすというのなら……私たちはパートナーでしょう?たとえ
「ぐッ!!!」
先ほどの
槍で心臓を一突きされたように胸を抑えてオスカーさまは
「お、オスカーさま?どうなさいましたか!?」
ここは室内。
魔獣に襲われる可能性なんてないし、もしかして私が気が付いてなかっただけで先の討伐の時に怪我でもされていたのでしょうか?
だとしたら急いで薬師か治癒術師を呼ばねばなりません。
「だ、だれか!誰か人を……っ、」
立ち上がりかけたその動作は、背後から聞こえてきた声で止まる。
「……はぁ……。オスカー様、おいたわしや……」
「カナンさまぁ……。さすがに今のは可哀想だと思います。もう少し旦那さまの機微に配慮して差し上げてください。」
「は、え?」
先ほどまでオスカーしかいなかったこの部屋に、気がつけばマルゥとワイマンさんの姿が。
いえ、二人とも優秀な使用人なのだから主人の危機とあらばいない方がおかしいのだけれど、それにしても緊迫感はない。
わざとらしくよよよ、とハンカチで涙を拭う余裕がある?
「え、いえ。それどころじゃないでしょう。とにかく街から治癒術師を……ぎゃっ!!」
突然何かに腕を鷲掴みにされ、思わず悲鳴を上げる。色気?そんなもの緊急時にあるわけないでしょう。
腕を掴んだ正体は何かといえば、逞しい腕。……倒れ込んだかと思った我が旦那さまのものでした。
「……カナン。その折に出した条件では失礼なことを挙げた。」
「い、いいえ?そんな失礼なことなど言われた覚えなど……、それより、どこか痛いのでしたら治療を、」
「問題ない。痛みなど悲しみに暮れるこの胸の内にしかないのだから。」
心臓の痛みは大病の恐れがあるのではなくて?
いえ、悲しみにということは情緒的な起因でしょうからその点は心配いらないのでしょうか。……悲しみ?
「一体何に悲しまれるというのですか、オスカーさま。」
「その話の前に……一つ謝罪をしたい。此度の縁談の条件について」
「謝罪?」
謝罪も何も私としても納得づく、むしろメリットしかない条件でしたが。そう続けようとした言葉は続くオスカーの言葉と気迫に飲み込むこととなった。
「そうだ。……こちらが言い出しておいて勝手な申し出だということはわかっている。だが、縁談を結んだ際のあの三つの条件……それらを破棄してもらいたいのだ。」
まさかの言葉。
理解するのに数秒ほど時間がかかり、意味を飲み込んだところでザッと血の気が引いていくのが分かる。
つまりオスカーさまの……旦那さまの、仰りたいこととは。
「まさか私、離縁されるんですか!?」
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