第16話 心に触れる

 ぱちぱちと火種がはぜる音。

 暖かな温もりを感じながら、微睡に似た意識が浮上する。


「…………う、ぅん……?」

「──気がついたか、カナン。……怪我は?気持ち悪いと言った症状はないか?」


 低く唸るような響き、けれども穏やかな声。

 重い瞼を持ち上げては途中で力つきて。三度目の挑戦でようやくぼんやりと周囲の光景を見ることに成功する。


 そこは暖炉のある部屋だ。

 今の時期はまだ雪が積もっていないが、北部にあり寒冷な地域であるこの領には暖炉の存在が欠かせない。

 けれども火による熱の温もりとは別の、心落ち着かせる熱も確かに感じる。

 簡単な仕草で視線を上にあげれば、赤褐色の瞳とかち合った。


「…………なんて顔を、されてるんですか。オスカーさま」


 これまで見ていた、為政者としての堂々とした立ち振る舞いはどこに逃げ出してしまったのでしょうか。

 眉をさげて不安そうに。いっそ泣き出してしまいそうな表情をこちらに向ける彼。


 私が目覚めたのに気がついたのか、赤く腫れぼったくなっていた目を瞬かせてからくしゃりと一層顔を歪ませた。


「すまない……。君を連れて行っておきながら危険な目に晒してしまった。なんと詫びれば良いか……」

「い、いえいえ!?怪我はしていませんし体調も悪くありませんよ……!?」


 どうやら想像以上に心配をかけてしまったようだ。

 慌てて上体を起こして大丈夫だとアピールするように腕を振ってみる。実際こうして体を動かしても痛みがないのは。


「あの場所に緑鷲グルーイーグルが現れるなど誰にも想像できないことです。予期できなかったとご自身を責められる必要はありません。……それに、あの時緑鷲グルーイーグルを倒してくれたあの剣。オスカーさまが投げたものですよね?」


 狼の家紋はこの家のあちこちに散りばめられているから、気を失う前にもすぐに分かった。

 大斧が彼の主武器なのだろうが、短刀一つを投げてあの距離の大型鳥を一撃で倒せるなど脅威の強さだ。


「……それでもだ。君を怖がらせることにはなっただろう。」


 私に温もりを与えていてくれていた腕に力が込められる。

 怪力を意識してセーブしてくれているのだろう。痛みを覚えることはないが、それでも強く身体を引き寄せられて抱きしめられた。


「ちょっ……、オスカーさま!?いきなり何を……」

「解析呪文で疲労している君を連れていくべきではなかったのだろう。すまない。だが、頼む。これで見限るようなことはしないでくれ。」

「……、…………。…………はぁ??」


 待ってほしい。

 ツッコミどころが多すぎる。


「……ええ、と……。どこから申せばいいか分からないのですが。まず、疲労していようと何であろうと向かうと決めたのは私です。気絶についても私が無茶をした結果というのもありますから、そこの謝罪は不要です。」


 向かう前にも無理はしないで残った方がいいと、オスカーさまはむしろ心配をしてくださる側でした。気絶したとはいえその責任を転嫁するつもりなど毛頭ありません。


「なので謝罪はむしろ自己管理を怠った私の方がすべきです。次からは重々気をつけます。……ですから、なぜ私が見限ると言う話になるのですか。」


 そう。最大の問題はそこだ。

 むしろ私の方が、無茶ばかりして仕事の足手纏いをするダメ奥さまの烙印を押されかねないタイミングでは?


 くってかかる勢いで顔を近づければ、赤褐色の瞳が困り果てたように泳いだ。


「いや……その。君は王都の育ちだ。こうして魔獣の血を見ることはないだろう。こんな野蛮なところは御免だと言い出されてもおかしくないと……。」

「オスカーさまひょっとして学院の立地をご存知なくて!?あそこは付近に魔獣の生息する魔の森が隣接している区域ですよ?」


 魔の森の外に魔獣が出る頻度は低いが、ないわけではない。実討伐は教員や学生の中でも選りすぐりの一部が受け持つとはいえ、その血を見る機会が皆無なわけではないのだ。


「ましてや私の専攻は魔道具学です。魔道具を作る際には魔獣の素体は切っても切れない存在ですよ?それこそ討伐して間もない魔獣から素体を取るような経験だってございます。」

「そういうもの、なのか……、なら、良かったが……」


 これっぽっちも良かったようには聞こえない。

 反射的に口から出そうになった言葉は、けれども回る思考に押し留められる。


 相変わらずこちらを抱きしめてくる腕は本当に僅か、こちらが気取らない限りは違和感を覚えない程度に、けれども確かに震えていて。


「……あなた、見かけよりもずっと。臆病なのね。」


 近隣どころか王都にすらその恐ろしい名を轟かせている男の、柔い部分にはじめて触れた心地を覚える。


 遠く離れた緑鷲グルーイーグルをただの短刀一つで屠る程の力を持ちながらも尚、こんな小娘の拒絶ひとつを彼は恐れているのだ。

 あれだけの強い力を持ちながら不安を隠す余裕もないオスカー。その腕を撫ぜるように手を添えた。

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