第7話 とある執事と主人の会話

 ルーンティナの北峰、コスタルカと隣接した地帯を担うブラック領は、凡そ七〇年前から二つの領土に分かれている。

 サウズブラック卿が治めるサウズ領は水源が豊かで、魔力濃度が濃くない土地。田園地帯が広がっており、グリンウッド領と並んで我が国の生産の要だ。


 対してノーズブラック領、通常ノーズ領は厳しい山間にありながらも、高い魔力濃度から魔法石の産出地の一つとして数えられている。

 だが魔力濃度が高いと言うことは、同時に魔獣の生息が活発な領土でもある。国から派遣されている魔法騎士団の他、領主が自ら選抜した独自の自警団も設置している。


 自警団の評価は非常に高く、優秀な彼らを集めている辺境伯もまた非常に優秀なお方だ。

 民のために心を砕き、日夜彼らを脅かす魔物への対処を考え、隣国のコスタルカにも睨みを効かせている。


 ……ただし、その優秀さを外部の方が理解するには、大きく三つの壁があった。



 一つ。領主様ご自身の口下手さ。

 我が主人は心優しく誠実なお方だが、生来の気弱さもあってか非常に口が重く、勘違いをされる言い回しをしがちだ。


 私をはじめとした古参の者や、そうでなくともこの領土に古くからいる使用人で囲まれた結果。彼が一を言うか言わないかのかところで十も百も理解する者だけで構成された。その結果。



「ワイマン。……またダメだった。」

「他所の商人の方ですか。あちらから融資及び商売をと申し込まれたのに、とんぼ返りなさるとは……。」

「どれも良い、商品だったのだが、それを、うまく聞けず……」

「なるほど……。旦那様、前にも申しましたが、相槌というのはただ無言で頷くだけではダメですよ。」

「分かっている。……分かっているんだ、頭では。」


 傍目から見てもよく分かるほどに大きく肩を落とされる姿は哀愁を誘う。理解されていて、改善しようと努力してはいるようだが、成果は芳しくないようだ。


 二つ目は魔法としての因果。

 七十年前のこの方の曽祖父の罪。

 ……だが、それについては本人も私たちも改善の糸口を掴めず、また積極的な改善を望んでいるわけでもない。

 故にひとまず棚へとあげるとしよう。



 問題はむしろ三つ目だ。


「せめて、この体質さえなんとかなれば……。」


 深々と息を吐くオスカーさま。

 大の大人すらも一回り以上上回るほどの巨躯で、魔獣たちにも負けず劣らずの──およそ人の体臭とはかけ離れた香りがする。



 これもまた、二つ目の因果の副産物と言える。

 かつて幼い頃のオスカー様は決してこんな姿ではなかったが、十を越えたところでみるみるうちに、背が伸びていった。

 同時に起きたのが、凄まじいまでの毛の伸長と体臭の悪化だ。


 臭いというのは人の第一印象として深く刻み込まられるものだ。

 隣に座った人の香りが良いものなら、その香りをきっかけに恋だってするかもしれない。

 逆にいかに美丈夫だろうと近づいた時に悪臭がすれば、百年の恋も冷めるだろう。


 毎日風呂に入ろうと決して改善できない臭いは、彼の人となりを知らない人には深く印象として刻み込まられる。

 元来の能力から生まれた怪物伯という名称は、畏怖よりもなお強い嫌悪と恐怖でオスカー=ノーズブラックを知らぬ人々に刻みつけられたのだ。



 /////



「…………臭いに種類があるとは、知らなかった」


 毎日の入浴と入浴後の乾燥を徹底的に!と厳命を受けたオスカー様は、律儀にその日課を続けていた。

 髪をタオルで乾かしながら、私も深く頷きを返す。


「ええ。私も己の無知さを嘆くばかりです。もっと早くに存じていれば、オスカー様の謂れのない風評をもっと早く食い留められたかもしれませんのに……」

「謝罪は不要だ。ワイマン。貴君はよくやっている」

「そのようなお言葉、悼みいります。……それにしましても、オスカー様は良い奥様をお迎えになりましたね」


 そう言葉を紡ぐと、わたしに対しては気安い思いもあるのだろう。ぽっとその頬が染まり、けれどもすぐにほんの少し眉が下がった。

 眉が見えるくらいには短くなった毛。おそらく数週間もすればすぐに伸びてしまうだろう。前はどうせすぐに伸びるからとこまめに切ることを止められていたが、今はこちらに頼もしい味方もいる。

 思考を明後日に飛ばしていれば、彼は我々側の“切り札”の話題を口に出した。


「……カナンか。……そうだな。彼女は非常に聡明で、冷静で、……。なぜこれまで婚約や婚姻を交わす相手がいなかったのか不思議で仕方ない」


 疑問と安堵が内包したような声が聞こえてきたのに表情を緩める。


「本当に。お陰で『私のような醜悪な男に嫁ぎたがる者などいないだろう……』と頭にキノコを生やしそうになっていた旦那様が、毎夜『彼女は家に反対されている恋人がいるのだろうか』『あれだけ魅力的な人なのだから、きっと引く手数多だろうに』『まだ彼女の魅力は世間に知られていないだろうか……だが、それもいつ気付かれても仕方ない。しかし……』と別の意味でもどかしい反応をされるほどになったのですから。」

「〜〜〜〜っ!!ワイマン……ッ!!!」


 これまではあの毛に覆われて見えなかった肌が朱に染まるのを見て、耐えきれずに笑いがこぼれる。


「くすくす……。しっかりお伝えにならねば、思いは伝わりませんよ?何せ奥さまは、此度の婚姻をいまだに仮面夫婦になる申し出だったと勘違いされておりますから。」

「…………、」


 涙目でこちらを見てくるオスカー様は幼い頃と全く変わらない。この顔をまた見れるようになっただけでも、カナン様をお迎えした価値があると言うものだ。一度笑いを止めて、髭を撫で付けながら頷いた。


「大事なことは旦那さまからお伝えせねばなりませんが……よろしい。場を取り持つくらいのことは、この爺がなさろうではありませんか。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る