第6話 契約成立

「滴る水分を拭いたらそちらに座ってください。次はそのぼさぼさの髪を何とかいたしましょう。」


 取り出したるは特性のブラシ。

 猪猛進ワイルドラッシュの毛皮を加工して作られた一品は、以前の研究の延長で作ったもの。

 オスカーさまの剛毛をすべてこのブラシ一本で整えることを考えると眩暈すらしてきますが、女は根性と申します。


「人も魔獣も同じような成分構造です。なので木製のブラシよりもこういった動物や魔獣の毛で作られたブラシを使った方が、毛への摩擦が少なく、ダメージも薄いんです。……とはいっても、大分傷んでいる毛ヅヤのところもありますね。……マルゥ!ハサミを!」

「はぁい!」

「カ、カナン奥様!?」


 とりだした刃物にさすがに危機感を覚えたのでしょう。ワイマンさんが声を荒げた。


「このぼさぼさ髪では領主としての威厳も何もありませんもの!結師におまかせする手もありますが、お忙しいのでしょう?毎日結師に朝の時間を割くよりも、ある程度ばっさりと切って整えた方がよろしいかと。」

「……ワイマン、構わん。」


 諦念も交えた主人の言葉に、老執事は一瞬口を開きかけるものの、しずしずと引き下がった。内心呆れられてるかもしれないが、文句を言われて抵抗されるよりは千倍マシというもの。


 最初は大きく周りを整えるように、ひたすらカット、カット、カット。

 怪物伯と仰いますが、こうしてみていると借りて来た猫のようですね。魔獣の前に立てばまた違った側面を見せるのかもしれませんが。


「……慣れているのか?こういうことは。」

「まあ、学院にいた時に私が作ったこのシャンプーに興味を持って、使い方を教えてほしいというご令嬢の方は多かったですから。その延長ですね」


 この生み出したアイテムをシャンプーと名付けたのは私ではなく学院で出会った悪友だ。

 サボニカルの樹木からとった樹液を素材として活用していることから、そこをもじって名付けてみたと言っていたっけ。


 ──それにしても、改めて髪を切っている彼の姿を伺ってみる。

 灰色の髪は余計な油分や埃を落として生気を取り戻し、髪の下に隠れていた赤褐色の瞳は猛々しくも聡明さがにじんでいた。

 精悍な顔立ちと輝くジャスパーの瞳は、身なりさえ整えれば美丈夫だと言って間違いない。


「今のオスカーさま、先ほどと見違えるほどですわよ。今なら王都中の女性が放っておかないでしょうに。」


 普段からそうしていればいいのにという思いを込めてつぶやけば、じっとこちらを見つめてきた。


「……貴殿は。」

「はい?」

「貴殿は、貴殿も。こちらの身なりの方がよいと思うか?」

「ええ。まあ?やはり清潔感のある方が印象はよろしいですから。」

「そうか。なら以後、心がけよう。」


 …………?

 先ほどのぼさぼさ頭からどういった心境の変化なのでしょうか。まあ、意識してくださるならありがたい限りですが。




 切り終わった毛並みを整えるように、ブラシを通していく。

 全体の形を整えた後は、細部の調整だ。乱切り頭になることは避けたいので。


 手元に意識は勿論向けつつも、改めて現状についての謝罪をする。


「──オスカーさま。ご挨拶早々にこんな不躾なふるまいをしてしまい申し訳ありません。」

「……いいや。実際、領民のことを言われてしまえば返す言葉はない。ただでさえ怪物伯などと言われている地に住まう彼らに、これ以上の恐怖を押し付けたくはない。……ただ」


 そう返されて内心胸をなでおろす。

 先ほどは売り言葉に買い言葉のような調子で口にしてしまったが、離縁されたら困るのはこちらだし、打首にすらされてもおかしくなかったでしょう。

 幸いにも彼はそうは考えていないようで、逆にこちらに頼んでさえきた。


「もし私がこれからも同じように民を恐れさせるような振舞いをしているようなら改善を願いたい。……この領土のものは私に意見することは出来ないからな。」


 そう呟く彼の言葉はどこか切実にも聞こえた。

 ……領土の人が意見することができないという表現には首をかしげるけれど。


 妻となると決めた以上は影に日向に、彼を支えていく覚悟は出来ている。望むところだ。

 ただ、可能ならば。


「……私からも一つ、お願いをしても?」

「なんだ。」


「先ほどのシャンプーもですが、今使っているブラシも私が作ったものですの。学院時代はこうした研究に夢中になっておりまして。」

「それは……凄いな。その道に進むことは考えなかったのか?」

「あいにく、一子爵の令嬢ですから。親が学院に私を入れたのも、本来は婚約相手を見つけることが目的だったんです。」

「学院に行くことが?」


 心底不思議そうに唸る男、辺境伯という身の上だからかソルディアについては知っていても、良家の子女が学院に入る理由についてはあまり知らないようだ。


「ええ。学院に通うのは多くが高位の貴族の方ですし、さらにその中でソルディアとして選ばれる方も現れるかもしれません。私のような然程位の高くない子女を学院にいれる目的など、そのほとんどが相手探しですよ。」


 まあ、私自身はそんなの知ったことか!と言わんばかりに研究に打ち込んでいたが。カモフラージュ的に付き合った相手はいるが、それも長続きはしなかった。


「ですが私は、たとえ結婚をしようと魔道具学だけは続けたいんです。ソルディアに入らなかった貴族の女は結婚後、社交の場に出ることと家を守ることだけが務めとなるなんて。そんなことはまっぴらごめんです。」

「……だから、この家を選んだと?」

「はい。『夫婦間は不干渉』『家のことは基本家令に任せること』『妻としての役割は求めない。求めるのは領土に如何に役立つか』」


 先ほどもあげたこの約定。

 だが私としては、逆にそちらの方がありがたい。妻としてよりも、女としてよりもやりたいことが先にあったから。


「学院での知識を活かして、領民の……ひいては領土の為となるような魔道具を開発してみせます。実績がなければだめだというのでしたら、婚約などで仮の期間を定めてくださっても構いません。あなたの妻となるために必要な能力が他にあるのでしたら死に物狂いで身につけましょう。」


 今更家に帰ったとしても……研究も、その記録をまとめることもほとんど許されないはずだ。そうならないためなら何でもしてみせる。


「ですから、初対面の無礼な行動については謝罪いたします。寛大にもお許しいただけるのなら、私を妻として迎え入れてくださいませ。オスカーさま。」


 チャキン、と最後のハサミを入れ終える。ワイマンさんが入れ替わるようにして彼の髪をぬぐい始めた。

 赤褐色の瞳がこちらを射抜く。


「……貴殿の想いも、腕前も理解した。仮の期間を定める必要もない。むしろこちらから願いたいくらいだ。……是非、このノーズブラック領にてその腕を存分に振るってほしい。」

「~~~~!!」


 やった!思わずガッツポーズをとる。

 ようやく存分に研究を進めることが出来る。学院時代にやりたかったけど出来なかったあんな実験もこんな実験も出来るかもしれない!


「だが、条件として挙げた『夫婦間は不干渉』『妻としての役割は求めない』というのは撤回を……「よし!そうと決まれば早速荷ほどきをしてまいりますわ。ここにあるのもまだ機材の一部ですので!」


 そうと決まればこうしていてはいられない。意気揚々と立ち上がり、馬車を待たせている入口の方へと駆けだしていった。


 ────そういえば何かオスカーさまも言いかけていたような?まあ、後で聞けばよいわよね!



「……旦那様。」

「………………なんだ」

「だからわたくしは申し上げたのですよ。縁談の釣書を見て一目ぼれをなされたのだということは早く申し上げた方がよろしいと。」

「…………………………ム。」


 だから、そんな会話をしていたなんて知らぬまま。



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