アマビエ・ザ・ライジング

夏目八尋

アマビエ・ザ・ライジング


 初めは看板かな? って思った。


 海の上にポツンと浮かぶ、何のためにそこに建てられたのか分からない謎看板。


 なんかそういう感じのやつだって思った。



 青い海の上にポツンと浮かぶ何か。


 妙に彩り豊かな色味で、ゲーミング人魚みたいな見た目だった。



「なにあれ……?」



 大学の休みを利用したバイクツーリング。


 市内から出発し、ゴールの不知火海を目にしてのこれ。


 綺麗な夏の海を見に来たはずが、変なものを見てしまった。


 夏の思い出が台無しである。


 やれやれ、観光努力ももうちょっと方向性を考えてよね。




「はぁーあ、帰ろ」



 陽炎に揺れるそれから目を背けて、私は髪を纏めてヘルメットをかぶった。


 ハンドルを握り前輪ブレーキをかけ、サイドスタンドを蹴りあげる。


 座席に跨って後輪ブレーキを踏み、ミラーをチェックしたら鍵を回してスイッチオン。


 後はクラッチを握ってセルを回すだけ……のところで。



「………」


「え?」



 誰かに見られてる気がして、もう一度だけ海を見る。


 けれどそこにはやっぱり、あの不細工な人魚みたいな何かの看板が立ってるだけだった。


 目を細めてやっと見える人魚もどきのつぶらな瞳が、こっちを向いていた。



「……あほらし」



 クラッチを握ってセルを回す。


 バイクが唸りを上げて震えだすのを感じながら、私は首を振る。



(気のせい気のせい。目が合ったなんて、ありっこないって)



 あの看板。平べったいくせにみょーに質感っていうか、存在感あるし?


 ああいう嫌に印象深いやつなんてったっけ、負のインパクト?


 ゲロじゃん。



(絶対逆効果だし、あれ置いた担当者クビにした方がいいって)



 走り出したバイクの上で、私はブルルと身を震わせる。


 今はとにかく風を感じて、気分をリフレッシュさせたかった。



 

      ※      ※      ※




 海沿いにある道の駅。


 トイレ休憩を済ませた私は、さっぱりした気持ちでまた海を見た。



「げっ」



 さっき見たのと同じのが、海の上に立っていた。


 しかも、さっきより近い。


 おかげでゲーミング人魚の見た目が、もう少しだけ詳しく分かった。



 人魚のような、半魚人のような、何とも言えない見た目。


 顔はカモメで首から下は魚。頭にはやたら長い髪がストレートに生えてる。


 左を向いて、その表情からは何を考えているのかさっぱりわからない。


 ただ瞳だけは相変わらず、私の方を見ている気がして。




「あの、すみません」


「はい?」



 あんまりにも不気味だったから、その正体をジモティに聞いてみた。



「あれは、アマビエ様だね」


「アマビエ様……あー!」



 思い出した。


 なんかテレビで話題になってた奴だ。


 どんな妖怪だったっけ?



「アマビエ様は、熊本ゆかりの妖怪なんだよ」


「なるほど、そうだったんですね。教えてくださりありがとうございました」



 ジモティにお礼して、私はもう一度ゲーミング人魚……アマビエ様を見る。



(最近話題だったから、あんなのが建てられたってわけねぇ。なるなる)



 幽霊の正体見たりなんとやら、じゃん。


 そしてやっぱり、観光努力の方向間違ってるんじゃね? って思った。


 だって、売り出す気なら道の駅にフォトスポットとか用意しなって話でしょ?


 担当者は観光とは何たるかをもっと考えて。




「それじゃバイバイ~、ア・マ・ビ・エ・さ・ま!」



 カシャッ。


 遠くのアマビエ様を一枚スマホで撮ってから、私は道の駅を出発する。


 謎が解けてスッキリしたし、気分も晴れやか。


 さ、帰ろ帰ろ!




      ※      ※      ※




「びゃあああーーーーーーーーー!!!」



 海沿いの天気は変わりやすい。


 横殴りの雨に打たれながら、私はハンドルを取られないよう強く握りしめた。



「っていうか、ムリムリムリーーー!!」



 視界が悪すぎて走れない!


 目に入ったPスポットに慌てて突っ込んで、私はバイクを止めた。



「ひぃ~~~!」



 少しでも雨が当たらなくて済むように、防波堤に身を寄せる。


 さっきから雨音と波がザバザバ言ってる。



(誰よ有明海が大人しい海とか言ったやつ! 嘘じゃん!)



 雲そんな分厚くないし、通り雨だとは思うけど……つらい!


 一応雨の中でも行けるスーツ着てるけど、この状態で無理して走る勇気は私にはないわぁ!



「今もうマジで無理、ホント無理! 絶対ゆるさ……っ!!」



 息が詰まった。



「は……ぁ……?」



 Pスポットの隅っこ。


 そこに、アマビエ様が立っていた。



「―――」



 バシャバシャと、横殴りの雨を浴びながら。


 さっきと同じ、左向きで何考えてるかわからない顔で。



「―――」



 それは、私を見ていた。


 つぶらな瞳は、間違いなく私に向けられていた。



「ぁ……え?」



 おかしい。


 これがここに置いてあることが、じゃなくって。


 これを私が見逃していたことが、だ。



(こんなところに置かれてるなら、Pスポットに入った時に見てるはず……!)



 看板って平べったいし、だから見落とした?


 いや、違う。


 そもそも、違う。



(あれ、本当に看板?)



 雨で視界が悪い中、私は目を凝らしてじっとアマビエ様を見つめる。


 陸地に置かれた看板なら、それを支える土台があるはず。



(確かめたらいい。さっきジモティに聞いたみたいに、ちゃんと正体を確かめたら……)



 なのに。


 私の目は、下を向くのを拒絶した。



(あの瞳……!)



 こっちを見つめるつぶらな瞳。


 嫌な予感があった。



(あれから目を反らしたら――)



 アマビエ様が、こっちに近づいてくる気がして。



「!!」



 急に、お腹の底が冷える。


 気づけば私は、全速力でバイクに乗っていた。



「ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ」



 雨は変わらず強く降っていたけど。


 それ以上にヤバい物がここにある気がして。



「あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーーー!!」



 私は雨の中、叫びながらバイクをかっ飛ばした。




      ※      ※      ※




 あれからがむしゃらにバイクを走らせて。


 どうにかこうにか自宅のアパートに戻って。


 とにかくずぶ濡れの体を熱いシャワーであっためて。



「ばぁふっ!」



 髪を乾かすことすらできずに、私はベッドに倒れこんだ。



「マジ、無理……ホント、無理……」



 雨は止むどころかもっと激しくなって、どっかでゴロゴロ鳴っている。


 

「ぁぁー、吐きそ。早く寝よ……」



 何もかもがめんどくて、エアコンを付けて電気を消す。


 窓に打ち付ける雨音と、時々響くゴロゴロが、やたらと頭の中に残った。


 布団にもぐっても、妙な寒気をずっと感じてた。



「う……ぁ……」



 今何時?


 雨はまだ降ってる。


 真っ暗だけど、ぼんやりと部屋の中が見える。



「熱い……苦しい……」



 気持ちが悪い。


 頭からずっとアレが離れない。



(アマビエ様……)



 あのゲーミングカラーが。半開きのくちばしが。左向きの体が。ワカメみたいに長い髪が。コイなのかタイなのかわからない雑なうろこ模様が。どこを見てるのかわからないつぶらな瞳が。瞳が。瞳が。あの瞳が。あの瞳がこっちを見てる。ずっと見てる。ずっと。ずっと。



「ぁ……ぐ……」



 全身じっとりと汗ばんでる。


 息が苦しい。


 頭がガンガンする。


 苦しい。もう全部苦しい。


 マジで無理。ホント無理。どうしようもないくらい……気持ち悪い。



 カミナリが、鳴った。



「―――」



 そこに、立ってた。



「―――」



 アマビエ様が、立ってた。



「―――」



 あの瞳が、私を見ていた。



「―――」



 左向きで。


 私のベッドのわきで。


 つぶらな瞳が見下ろしている。



「ぁ……ぁ……」


「―――」



 半開きのくちばしが、動く。


 空気が漏れて、音が出る。



「……ょ」


「!?」


「アンタ、風邪ひくわよ」


「へ?」


「アタシの、そばに置いときゃ治るから、養生しなさい」



 そう言って、アマビエ様は消えた。


 コ〇ッケみたいな声だった。



「………………………」



 翌日、39℃の熱が出た。


 アマビエ様の写真を待ち受けにしたら、次の日には治った。

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