第35話

「そろそろ勉強を切り上げないか?」

「浪人生の自覚あるの? もっと勉強したほうがいいよ」

「お前もっともらしいこと言ってるけど……ずっと漫画を読んでるじゃん」


 図書館で勉強を開始してから五時間以上が経過している。

 俺は数学の問題を解き、分からない問題は彩心真優に訊ねる勉強方針。

 彩心真優は勉強という勉強を殆ど終わらせたらしく、図書館の漫画を読み漁ってるわけだ。

 ちなみに、彼女が現在読んでるのは、ブラック・ジャック。

 マンガの神様——手塚治が残した大傑作漫画である。ちなみに、薦めたのは俺だけどね。


「いやぁ〜。私の家にはこ〜いうの全然ないからさ。ずっと勉強や習い事する日々だったから」

「やっぱり、お前の家って厳しいんだな」

「漫画やアニメは悪影響を与えると言われてたからね」

「漫画やアニメは悪影響を与えるね……お前の両親って前時代すぎる考え方なんだな」

「やっぱり分かる? 自分たちがそ〜いう風に育てられたから、自分たちもそ〜いう風にしか育てることしかできないんだよ。きっとね」


 子供は親を真似て育つってわけか。

 まぁ、それはあるだろうな。

 他人の家庭がどんな育て方をしているのかは全然知る由もないし。

 自分たちが育ってきた環境でしか、物事は考えれないと思うし。


「それに私にとっては、これは一つの勉強なんだよ!!」

「漫画を読んで勉強ねぇ〜。一体何の役に立つんだよ??」

「社会勉強? 医者としての考え方を学べるし。面接の対策にもなるかなって」


 国立大学の医学部を目指すには——個人面接がある。

 医学部進学は、今後、命を取り扱う職になることに直結している。

 故に、生半端な人間が合格したら困るので、このような選定があるのだ。


「子供の頃にブラックジャックを読んで、医者という職業に憧れを持つありがちなパターン狙ってるのか?」

「えっ……?? これって、そんなに凄い作品なの?」


 彩心真優は勉強ができる。

 全国模試で一桁に入るぐらいの出来だ。

 でも、この女には一般常識やその他の知識が抜け落ちている。


「…………お前ってさ、やっぱり変わってるよな」

「そうなのかな? お嬢様学校育ちだから……知らないのかも」

「お嬢様学校というのは関係ないと思うぜ、多分」


 人様の教育方針にとやかく言うつもりはないが……。

 彩心真優の家は、娯楽コンテンツを与えなかったのだろうか。

 いや、そもそも論——もうイマドキの若者は昔の大傑作漫画を読まないのか。

 実際、俺も結愛の病院に置いてあったブラックジャックを読んだだけだし。


◇◆◇◆◇◆


 俺の要望を聞き入れ、勉強会はお開きになった。

 で、本日の本題へと移り、彩心真優と共に大型ショッピングモールへと向かう。

 さて、ペット用品をどこで購入すればいいのか。

 そう悩む俺を前に、彩心真優はスタスタと動いている。

 もしかして、事前に調査済みだったのだろうか。

 そんなことを思っていたのだが——。


「おい、待て。彩心さん、アンタ……今からどこに行こうと思ってやがる?」


 俺は慌てて、彩心真優の腕を掴んだ。

 お色気まっしぐらな、水着専門店に入る気はない。

 ていうか、こんなところで待たされるのは大変困るからな。


「ちょっとあの水着が可愛くて……気になるんだけど」

「……俺が男だという自覚はあるのか?」

「それぐらい知ってるよ。男の子からの意見が聞きたいじゃない?」

「お!! ちょ、ちょっと待って!! 俺を連れていく気かよ!!」


 リア充様ってのは、人様の気も考えないのかな?

 年頃の女性陣が集まる中、俺一人だけ男性だぞ?

 グサグサと突き刺さる視線が痛すぎるんだが……?


「お前さ、これでも俺たちは浪人生なんだぜ?」

「毎日勉強勉強ってわけじゃないでしょ?」

「毎日勉強だよ!! 受験生ってのは!!」

「別に一日ぐらいは気を抜いてもいいと思うんだよねぇ〜」

「夏を満喫する浪人生なんて……聞いたことないよ」

「成績が良い人にとっては、もうボーナスステージだからね」

「お前の受験が落ちてほしいと、今俺は強く願ってるよ」


 まぁ、願ったところで……コイツは必ず受かるんだけどさ。


「時縄くんは水着とか買わなくていいの?」

「買わないよ。てか、海に行く時間なんてねぇーよ」

「えぇ〜。一日ぐらい行けばいいじゃん。最愛の彼女さんと」

「結愛は病弱なんだ。直射日光を浴び続けたら……ぶっ倒れる可能性もあるからな」

「それなら、私と一緒に海に行く?」


 この女は何をバカなことを言っているのだろうか。

 俺たちは浪人生だってのに。

 ていうか、俺を少しでも悪の道へと進ませようとしているのか。


「行かねぇ〜よ。俺は勉強で忙しいんだからさ」

「そっか。それなら今年もサユちゃんと二人だけかぁ〜」


 サユちゃんね、サユちゃん。

 前にも、コイツは同じことを言ってたような。

 多分、予備校に居るんだろうな。まぁ、俺は知らないけど。


「それでさ、時縄くんはどれがいいと思う?」

「どれでもいいんじゃないか?」

「投げやりだなぁ〜、キミは!! もっと真剣に選んでもいいじゃん!!」

「だって、お前のを選ぶんだろ? 別にお前がどれ着てても何も思わないし」


 彩心真優がどんな水着を身に付けていようが、俺には関係のない話だ。

 だって、俺と彼女の関係は——ただの浪人仲間に過ぎないのだから。


「…………時縄くんってさ、結愛さんにもこんな態度を取ってるわけ?」

「結愛には取るわけねぇ〜だろ? 俺はいつも優しく紳士的な対応をしてるぞ!」

「本当はどうなのかしらねぇ〜。時縄くんの思い過ごしだと思うんだけどなぁ〜」

「どういう意味だよ?」

「結愛さん、実は時縄くんにいっぱい不満を持っているんじゃないかなぁ〜と思って」


 だから、と呟いてから。


「もう病院に来ないでって否定されたんじゃないのかなぁ〜?」

「はぁ〜? 言ってくれるじゃねぇ〜か、彩心様よぉ〜」


 結愛が俺に不満を持ってる?

 んなはず、ない!! 絶対にないに決まってる。

 俺と結愛は最強の恋人同士で、お互い愛し合ってるのだから。


「それじゃあ、時縄くんが選んでよ。私のために完璧な水着をさ」

「どうして俺がお前に……」

「彼氏として、結愛さんに優しくてジェントルマンな対応ができているのかチェックするから」

「お前に確認してもらう必要はないと思うんだが?」

「あぁ〜。もしかして弱気なのかなぁ〜? 自分が本当に選ぶのかって」


 安い挑発だ。

 だが、彼氏として結愛に尽くしてきたことを否定されたのは許せないな。

 俺がどんな男よりも優しくて素晴らしいのかを教えてやるしかないようだな。


◇◆◇◆◇◆


「ありがとうねぇ〜。時縄くん❤︎」

「何だよ、その甘えたような口調は」

「これで男たちを悩殺する最高の水着を買えたよ、ふふふ」


 会計を済ませた彩心真優がニコニコ笑顔で戻ってきた。

 こんな場所に来るなら、俺とじゃなくて、他の女と行けと言いたいね。


 結局、俺は彼女がどんな水着を選んだのかは知らない。

 試着室の前で、何度も何度も彼女の水着姿を見せられ、採点を付けただけだからな。

 で、最初は意気込んだものの、試着室の前で待たされる羽目になり、段々と他のお客様方からの視線に耐えきれず……俺は途中で退席してしまったわけだ。


「時縄くんってさ、照れ屋さんなのかな? ていうか、ウブなところがあるよね?」

「別にウブではないだろ」

「でも、さっき私の水着姿を見て、顔を真っ赤にしてたじゃん」

「お前に興奮していたわけじゃない。他の客が——」

「私の水着姿よりも、他のお客様に目を奪われていたってこと?」

「違うよ。女性専用の水着店で、男が一人試着室の前で待たされるのは恥ずかしいんだよ」

「なるほどねぇ〜。時縄くんは、恥辱プレイがお気に入りと」


 彩心真優の野郎……変なメモを取ってやがるし。

 ったく、やっぱりこの女と一緒に買い物に来たらダメだな。


「それよりさ、今からどこ行く?」

「にゃこ丸のペット用品だろ?」

「それもだけどさ、折角なら他の場所も行こうよ」

「他の場所ねぇ〜。今日、俺は予定があるんだが?」


 今日久々に結愛に会いに行こうと思っているのだ。

 最近は全然会えなかったし、彼女も俺の顔を見たいことだろう。

 いやぁ〜絶対に首をなが〜くして、待っているだろうなぁ〜。


「私よりもそっちのほうが大事なの?」

「お前よりも大事だよ。だって、今日は結愛に会いに行くからな」

「ふぅ〜ん。私よりも彼女さんを取るんだね」

「当たり前だ!! 彼女よりも女友達を選ぶバカがどこにいるんだよ!!」

「ふぅ〜ん。まぁ、別にそれでもいいんだけどな」

「何それ? その思わせぶりな態度は……」

「ううん、別に深い意味はないよ」


 ペット用品を購入するために、俺たちはショッピングモールを歩き回った。

 ホームセンターへ、ドラッグストアへと様々な場所を転々と。

 で、最終目的地——本屋さんに辿り着き、動物の飼い方コーナーへと向かった。

 ちなみに、俺はそんなワガママなお姫様の荷物持ちとして、せっせと働いている次第だ。

 普段は椅子に座って勉強三昧の日々を送ってるし、身体を動かすのも悪くない。


「私ね、意外とこの浪人生活楽しいんだよねぇ〜」


 彩心真優は猫の育て方関連の書籍を手に取り、パラパラと捲る。


「お気楽だな。お前だけだよ、楽しいとか言ってられるのはさ」

「人生には寄り道も必要でしょ?」


 でも、何か違うと思ったのか、次から次へと本棚へと戻していく。


「これは寄り道ではない。ただ、立ち止まっているだけだ」

「そうかな? 私は、この時間も必要だと思うけどなぁ〜」


 猫関連の書籍をあらかた捲って、彩心真優は一冊の本を選んだ。


「よしっ!! このシンプルな『猫の飼い方』って本にするよ」


 彩心真優が選んだ一冊は、アニメ調の子猫が掲載されたものだ。

 可愛らしさが溢れ出るもので、彩心真優もこんな子供っぽいのが好きなんだと知った。

 今まで知らなかったけど……意外とこの女も普通の女の子と同じ感性を持っているんだよな。

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