第32話 あの日からの願い

 それから世界中を旅し続けた。甘いものもそうじゃないものも、たくさん食べた。ヘラルドとのんびり、だけど充実した日々を過ごした。

 

 そうして30年ほどの月日が経った。

 

 ヘラルドは50代になったけど、見た目は全然そんな歳とは思えないほど昔と変わらず活力に溢れていた。わたしは150歳を少し超えたくらい。毎日いいものを食べているからか、元気は衰えていなかった。彼を乗せて飛ぶのも、なんのそのだ。


 そんないつもと変わらない日々を過ごしていたある日。


「……そうだ!」


 ヘラルドはなにか思いついたかのように声をあげた。急だったから、身体が少しビクッとした。速くなった心拍を落ち着かせて、隣にいるヘラルドに問いかける。


(なに?)

「ずっと、心に引っ掛かってたことがあってね」

(? うん……?)

「どうしたらそれを解決できるんだろうって、あの日からずっと考えていたんだ」


 核心に触れないからヘラルドがなんのことを話しているのか分からなくて、首を傾げる。そんなわたしを見て、一瞬視線を下に落としたあと、再度わたしと目を合わせる。その目は、初めてヘラルドと会った日に見た、なにかを決意したような目とそっくりだった。


「……ヒベルタウって国、覚えてる?」

(ヒベルタウ……)


 たくさんの年月を旅してきた。同じ国に何度も行ったこともある。そういう場所は記憶に強く刻まれている。

 でも、ヒベルタウに訪れたのは一度だけだった。それでも、思い出すのに苦労しないくらい、鮮明に覚えている。忘れた日なんてない。


(エルートが美味しかったところ、だよね。それと、……竜がいたところ)

「そう、昔のヨリみたいに幽閉されている子がいた国」


 ヘラルドは悔しそうに言った。

 わたしの場合とは違って、ヒベルタウでは国も加担していた。だから、あの時は助けられなかった。でも、いつかは助けに行くとふたりで誓った。もしかして、その方法をなにか思いついたのだろうか。ヘラルドの話に静かに耳を傾けた。


「あれからずっと考えていたんだ。人間の勝手でかわいそうになる竜を絶対に生み出したくない、って」

(……うん)

「あの時はまだ若くて助ける術も……力もなくて無理だと諦めてしまったけど、これまで世界を旅してきて、いろいろな国と交流できた」

(たくさんおいしいものも食べられた!)

「、ふふ、そうだね」


 ヘラルドは暗い顔をしていたけど、わたしの言葉を聞くと、一瞬驚いたような表情をしたあと、柔らかく微笑んでわたしの頬を撫でてくれた。どれだけ月日が経っても、ずっと変わらない優しい手付き。気持ちよくて思わず目を細める。


「商人はもちろん、貴族や国王なんかとも話すことができた国もあるし、繋がりはたくさんできたと思うんだ」

(ん……ヘラルド、すごい)

「そうかな? ……それでね、その繋がりを利用、って言ったらあれだけど、協力を仰ぎたいと思ってね」

(協力? なんの?)


 わたしの疑問に、ヘラルドは興奮気味に前のめりで話を続けた。


「世界中に竜の群れがあるでしょ? そこに人員を配備して、竜を捕まえるような人が現れないように見張る。そんな仕組みがあれば、かわいそうになる竜を減らせるんじゃないかなって」

(単純なことだけど、きっと大変なことだよね……)


 いつ悪者が来るか分からないから、一日中見張らなければいけない。竜の住み処はひとつの群れでも相当な広さがある。それが世界中にたくさん。多くの人が必要になる。それに、これだけの重労働をボランティアでやってくれる人はほとんどいないだろう。つまり、潤沢な資金も間違いなく不可欠だ。


「俺一人じゃ、絶対に無理なことだけど、もし、多数の国がその考えに賛同してくれて、必要なものを提供してくれることになったら――」

(なったら?)

「もしかしたら、実現可能かもしれない……!」

(本当に実現したら、わたしみたいな思いをする竜はいなくなる?)

「完全にいなくなるとは断言できないけど、俺はそうしたいし、最大限に努力する」


 ヘラルドは拳を固く握りしめながら、そう言った。

 その願いが叶うかどうかは分からない。自国のことで手一杯だから金なんて出せないというところもあるかもしれない。いくらでも失敗する未来は予想できる。それでも、こうと決めたら真っ直ぐ進む。そういう頑固なのが、ヘラルドのだめなところでもあり、とてもいいところだ。

 その性格のおかげで、わたしは助けてもらえたのだから。


(そっか……そうだよね)

「それに、多くの国の力があれば、ヒベルタウの竜も助けることができるかもしれない。……いや、何があっても最優先で助ける。そうドラゴンさんに約束しちゃったからね」

(うん。わたしも、一番に助かってほしい!)


 そう返すと、ヘラルドは俯いてひとつ頷いたあと、顔を上げてわたしと目を合わせた。一度口を開いて閉じて、ごくりと唾を飲み込んでまた話し始めた。


「……実はね、あの時でも助ける方法はひとつだけあったんだ」

(え!? そうだったの? その方法って?)

「それは、ヨリ。君だよ」

(わたし!?)

「ああ。ヨリが、……その屋敷を火で焼き払う。そういう方法だよ」


 わたしにできることなんて、なんにもないのに、わたしが唯一の方法ってどういうことだろうと思っていたけど、たしかにそれがあった。屋敷一帯を炎で焼いて、地下にいる竜を逃がす。暑さには強いし、一瞬なら火傷も軽微で済む。一番現実的な方法だ。でも、それは――。


「でも、誰も傷付けたくない。そういうヨリの思いをないがしろにすることはできなかった」

(ヘラルド……)

「俺は、ヒベルタウにいる竜や世界中の竜が好きで大事だけど、ヨリが一番大事なんだ。ヨリに傷付いてほしくない。そう思って、あの時は言えなかった」


 ごめんね、と小さく呟いて、わたしの顔を両手で包む。ヘラルドの手は大きいけど、それでも包み込めないほどの大きな顔。顔だけじゃなくて、身体も人間の何倍もある。それなのに、わたしは無力だ。誰かを傷付けて後ろめたさを感じたくない、自分が苦しみたくない。そういうエゴのせいで、必要な時に動けない。


(わたしの、せいで――)

「それは絶対に違う。ヨリは誰よりも優しいから、誰かが傷付くことでヨリ自身も傷付いちゃうだけなんだよ」

(でも……)

「ヨリが辛いと俺も辛い。だから、俺のためにもヨリは誰かを傷付けるようなこと、しないで、ね?」


 ヘラルドは鼻と鼻をくっつけるように顔を寄せる。何十年経とうと、こういう行為はドキドキする。先ほどまでの後ろ向きな考えがどこかに飛んで行ってしまうほどに。


(ヘ、ヘラルドっ)

「ん?」

(その、そういう、火を吹くとかはできないけど、わたしも、なにかお手伝いしたい!)

「ありがとう、ヨリ。それじゃあ、まずは、また世界中を一緒に旅をしよう」


 ヘラルドの思い描く未来のために、ふたりで一緒に世界中を飛び回った。

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