第14話 行動の代償①

 ――翌日。


 昨夜にマリトッツォがどのようなものか説明したところ、小麦粉ではないけどパンみたいなものに使っている穀物の粉は調達していなかったので、食材はそこそこ残っているが、先にマリトッツォに必要な材料を買い出しに行くことになった。


「ああ、あと、くりーむも多めに買ってくるよ」

(まだ、街にあるの?)

「多分。ヨリに教えてもらったほいっぷ? とやらも、商人に教えてくるよ。きっと売れると思うから」


 竜がいたり魔法が使えたり不思議な世界だけど、前世と同じように甘いものがたくさんある世界だ。生クリームが加わるだけで、多くの化学変化が起きるかもしれない。交通手段がそれほどないから、世界中に広まるのはまだ先になるかもしれないけど、これからの旅が楽しみだ。


「じゃあ、いってきます、ヨリ」

(っ! い、いってらっしゃい!)


 昨日のようにヘラルドに頬を撫でられ、彼のおでこがわたしの口元に寄せられる。予想外の行動に、尻尾が天に向けてピンと伸びた後、力なく地面に落ちる。

 手を振りながら街の方へと歩いて行くヘラルドを、なんとか平常心を装って見送る。


(……び、びっくりした……っ)


 いつも近くにいるし、背中に乗って飛ぶのもあって触れてくることも多い。首に抱き着かれることもよくある。けど、ヘラルドの顔がこんなにすぐ傍にあったのは初めてだった。

 心拍数がなかなか落ち着かない。

 ここから街まで距離があってよかった。彼が帰ってくるまでに、いつものわたしに戻れるから。


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「――っていうのなんだけど、どうかな?」

「これは確かに売れそうだ! ヘラルドの発想にはいつも驚かされるよ」


 お金を稼ぐためにしばらく滞在したおかげか、顔馴染みになった商人がくりーむを舐めながら言う。


「いや、俺じゃなくて、一緒にいるひとがね」

「お~? 女か~?」

「ああ、大事なひとだよ」

「おお……相変わらず男前だなー、ヘラルドは」


 商人は声を上げて笑いながら、俺の肩をバシバシと叩く。ただ思っていることを言っただけで何が男前なのかは分からないけど、いつもと同じように何日か分の食料と脂肪分の割合を多くしたシュクーカの乳を商人の店で購入して、ヨリの元へと急いで戻る。


 この国は貿易が盛んで、街中を様々な国の人が行き交う。だから、その時は気が付かなかった。


「……ヘラルド? っ! どうしてあいつがここに……!」


 ――俺をうとむ人物が傍にいたことに。


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(……!)


 聞き慣れた足音が耳に入る。音のする方向を見ていると、待っていた人が現れた。


(ヘラルド、おかえり!)

「ただいま」


 こんな森の奥深くまで来た物好きはヘラルドだけではなかった。


「……は? 竜?」

「っ! 誰だ!?」


 絶対に聞こえるはずがない、わたしでもヘラルドでもない声に、反射的に警戒心を強める。ヘラルドも、わたしとフードを被った怪しげな男の間に入り、臨戦態勢をとる。

 フードの男はわたしの方を見据えながら、なにかブツブツと呟いているようだった。


「メスの竜……まさか、あれか……?」

「おい! 近付くな! 顔を見せ――」


 ヘラルドが言い終わる前に、男が自ら被っていたフードを取り、顔があらわになる。

 どこかで見たことがあるような気がする。わたしが知っている人間なんて、助けてくれた冒険者の人たちかあの家の――。


「……サルヴィオ? どうしてこんなところに……」


 サルヴィオ。その名前も聞いた記憶がある。思い出そうとすると、アルヴァレス家の当主、つまりヘラルドの父親の顔が思い浮かぶ。その横に小さな男の子がいた。ヘラルドが地下に来なくなってからのことだ。


「それはこっちの台詞だよなぁ? ――兄貴」


 ヘラルドよりは少し暗いトーンの茶髪。それに、同じコバルトブルーの色をした瞳。


 そうだ。ヘラルドの弟だ。


 ヘラルドと初めて会ったあの日から数年後、彼らの父親が何度も地下に連れてきて、鱗を剥ぎ取るのを見学させていた。家業を継ぐのはお前だからな、とか言っていたような記憶がある。


「たまたま街で見かけて、馬鹿みたいに食料買うからなにかと思ったら……竜を匿ってるなんてなぁ? しかも、こいつ――」


 サルヴィオがゆっくりとこちらに歩いてきて、わたしに触れようとするが、ヘラルドがすかさず制止する。


「……はは、兄貴は昔からおかしいところあったけど、アルヴァレス家の奴隷だったこの竜と一緒にいるなんて、今までで一番笑えるかもな」

(……奴隷……)


 渇いた笑いでそう言うサルヴィオの言葉をぽつりと繰り返す。


 そう呼ぶにふさわしい扱いだった。縛り付けられ痛みを与えられる。百十余年にわたって。もう何か月も前のことなのに、鱗を剥ぎ取られた記憶が鮮明に呼び起される。

 ついこの間、ヘラルドに取ってもいいよ、なんて言っていたのに。


「彼女は、ヨリは奴隷なんかじゃない」

「は、ヨリ? 竜に名前なんかつけてんの? あはは、兄貴は冗談が上手いなぁ!」

「……用がないなら帰ってくれ。俺はもうアルヴァレス家には関係な――」


 ヘラルドの言葉を遮るように、彼の顔の横をなにかが通り過ぎて、わたしの後ろにあった木に傷をつける。

 魔法だ。サルヴィオが魔法を放ったんだ。背筋がぞくりとする。


「関係ないって? はは! どの口がそんなこと言ってんだよ? 僕の、家の未来をめちゃくちゃにしたのに?」

「竜を捕獲していたことは誰にも告げ口していない。一緒にいた仲間も誰も喋るようなやつじゃない。それに、当面家族と使用人が普通に暮らしていけるだけの金は父に渡していた。それなのに悲惨になるわけ……」


 ヘラルドが嘘をついているわけではないだろう。助けに来た時にいた冒険者たちも誰かに言わないと言っていた。ヘラルドが信じている人たちだから、誰かに言うなんてことはしないと思う。


 だから考えられるのは、アルヴァレス家の使用人だけだ。

 鱗を売ることができて稼げるようになったから、給料が増えたことを喜んでいる使用人が何人かいた。お金があるから、こんなことをやっている、とも。


 良心で告げ口したかもしれないが、お金で証言した人もいたかもしれない。真実は分からないけど、アルヴァレス家が竜を捕獲していたことがバレたということだけは、サルヴィオの態度から分かる。


「――父上は投獄された」

「!」

「極刑にはならなかったけど、爵位は剥奪。竜を捕獲していた噂が立って領地から出て、辺境に移り住んだけど、ろくな暮らしもできなかった。金は慰謝料だとかなんだとか言って、使用人がほとんど持っていきやがった。だから、こんな国外にまで働きにきてる。これが悲惨じゃないってか?」

「そんなことになっていたとは……」

「そうだ。全部、ぜーんぶ、兄貴のせい。分かるか? この気持ちがよぉ!」


 先ほどとは反対側に魔法を放つ。今度はヘラルドに当てるとでも言いたげなその行動に、無意識のうちにヘラルドの前に出る。


「! ヨリ!」

「あー……竜を傷付けるのは、違法なんだっけ? まあ、そんなの、どうでもいいけどっ!」

(、ごめんなさい!)


 サルヴィオの魔法が放たれる前に、翼を大きく羽ばたかせる。その場に風が吹き荒れ、サルヴィオは吹き飛ばされる。わたしに向かうはずだった魔法は天へと発射された。

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