第3話 差し伸べられたおおきな手

 少年と出会った日から十数年が経った。


 あれからもわたしの鱗は剥ぎ取られ続けた。少年というやわくて純な光に触れてしまったから、百年も耐えられていたものが、以前以上に苦痛なものになった。

 それなのに、少年はあの初めて来た時から、一度も地下を訪れてくれることはなかった。


 もうそろそろさすがに限界かもしれない。そう思って寝ていたある日、突然轟音が鳴り響いて慌てて目を覚ました。

 地上へと繋がる入り口付近の天井が崩れ落ち始める。一体何が起こっているのだろう。


 天災……? この百十余年なかったから、きっと違う。じゃあ、この現状は……。


 どんどんと天井が崩れていく。わたしのすぐそこまで瓦礫が落ちてきた。このままでは、潰されてしまうかもしれない。逃げるべきだろうか。どうしようと考えていたら、その崩れ落ちた天井の瓦礫の上に人が立っているのが見えた。


 こんなところにいたら危ない……!


 それを伝える手段はないし、もしアルヴァレス家以外の人だったら、竜の姿を見たら混乱してしまうかもしれない。

 土煙でぼやけている人影に目をらすと、どこかで見たような顔だった。


「――ドラゴンさん、迎えに来たよ」


 艶のある茶髪にコバルトブルーの瞳。


 だいぶ大きくなったけど、面影はしっかり残っていた。あの時、地下でにこにこと竜の話をしてくれた少年だった。

 続いて、物語に出てくる冒険者のような格好をした人が数人現れてくる。わたしの存在を確認して驚いている様子だった。


「本当にいた……」

「というか、ヘラルド、いいのか? 竜の捕獲は禁忌とは言え、一応お前の家だろ?」

「もうこの家とは縁を切ったから。父さんのことは尊敬してたけど、俺にはドラゴンさんの方が大切だし」


 少年――ヘラルドはそう言って、わたしを縛り付ける鎖を外しながら優しく微笑む。

 もう、興味は薄れたんだと思っていた。よくある話だ。子どものころに熱中していたものが、大きくなったら興味がなくなる。わたしにだって、遥か昔で記憶はないけど、きっとあったはず。


 でも、ヘラルドは違った。


「ドラゴンさん、外に出たいって言ってたよね。もうドラゴンさんを縛り付けるものは、なくなったから」


 ジャラリと音を立てて鎖が床に落ちる。百十余年、外れることがなかった、いや、外す勇気がなかったものが、竜の自分と比べるとこんな小さな少年の手によって解き放たれていく。

 わたしは何もできなかったのに、ヘラルドは家族と縁を切ってまで自分が生まれ育った家を襲撃した。わたしを助けるためだけに。


 どうして、そこまで……?


 その考えは大きな音を立てて崩れていく天井にかき消される。

 そうだ。この屋敷にはたくさんの人がいたはずだ。


(怪我人、いたらどうしよう……)

「大丈夫。事前に出ていってもらったから、誰も怪我してないよ」

(よかった……)


 声を送ったつもりはなかった。でも、緊急事態でつい思いが出てしまったのかもしれない。ヘラルドが問いに答えたことで、十数年前の疑念は確信に変わった。

 やっぱり彼は竜の言葉を理解している。そんなの祖父の話でしか聞いたことがなかった。それは同行していた冒険者たちも同じようだった。


「? ヘラルド、誰と話して――」

「ドラゴンさんだけど」

「竜と会話……? 御伽話じゃなかったのか?」


 怪訝そうな顔でわたしとヘラルドを交互に見る冒険者に、どうにか言葉が通じていることを伝えようと、挙手するかのように右翼をゆっくりと軽くあげる。

 これで伝わるかどうかは分からないけど。


(会話、できてるよ―……)


 バサッ


 わたしを見つめる御一行様。やっぱりこんなのじゃ伝わらないよね……。しかたないけどしょんぼりした気持ちで翼を降ろそうとした。あげた時と同じようにゆっくりと。だけど、それは叶わなかった。


 ヘラルドの一言のせいで。


「はは、かわいい」

(かわっ……!?)


 ビュウッ


「うわ!」


 勢いよく翼が定位置に戻ったせいで、彼らにそこそこ強めの風を送ってしまい、目の前に土埃が舞う。


 ごめんなさい! でも、か、かわいい、とか、言われたことないから……!


 驚きながら身体をよろめかしているのを見て、何度も謝罪をする。謝ったところで、ヘラルド以外の人には伝わらないだろうけど、申し訳なさそうな表情は伝わったのか、「大丈夫」と一言告げられホッとする。


 ヘラルドたちは、屋敷が完全に崩れる前に地上に戻ろうとしていた。わたしはどうすればいいのかと、その場で立ち尽くしていたら、ヘラルドが声をかけてくれた。


「おいで、ドラゴンさん」


 小さいけれど、とても、とても大きな手のひらが差し出される。それを握ることはできないけど、彼について地上へとあがっていく。



 ヘラルド越しに見た百十余年ぶりの太陽は目が眩むくらい、強い光だった。

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