第2話 アルヴァレス伯爵家

 わたし、芦月依澄あしづき いずみは、病気を苦に自殺したら竜に生まれ変わってしまい、呑気に草原を散歩していたら密猟者に捕まり、それからおよそ百年が経ちました――。



 わたしがいる場所はアルヴァレス家の大きな屋敷の地下だ。飛んだり抵抗したりしないように、壁に鉄の杭を打ち込んでそこから鎖をわたしの翼や足に括り付けられている。祖父から聞いていた通り、身体は1年で彼らの7割くらいの大きさになって、1年半でほとんど変わらないくらいになった。その度に杭の位置や鎖の締め具合などを変えられた。


 捕まっている百年の間に、この家――アルヴァレス家の情報やこの世界のことなど、いろいろと見聞きした。

 まず、アルヴァレス家は伯爵家だということ。いまいち爵位の順番は理解できていないけど、これだけ大きな屋敷だからそこそこの貴族だろうと思っていた。けれど、どうやらアルヴァレス家は上流貴族にもかかわらず、かなり貧乏な暮らしをしているらしい。他の貴族の生活を見たことがないから本当かどうか分からないけど、地下に来る人たちがよく愚痴をこぼしていた。


「~家の給金、このくらいらしいぞ」

「本当か? 以前のここの倍くらいあるな……」

「まあ、今や俺たちも同じくらい貰えるようになったけどな。竜様様だ」


 貴族の多くが竜の鱗売りを生業にしているが、裕福な家は人員や道具など潤沢に使えるのに、アルヴァレス家はそれができない。ただでさえ豊かではないのに、さらに差が開いていき、そろそろ爵位が剥奪されるんじゃないか、と言われていたという。


 そんな時に、目の前をトコトコ歩いている小さな竜を見つけた。簡単に捕まえることのできる大きさで、しかも、鱗の色からより貴重で高価なメスなことも分かった。所謂、魔が差した、だ。

 わたしも不用心だったが、彼らのそんな一時の感情でわたしの自由は奪われた。


 正規の鱗売りは落ちている鱗を拾って、それをそのまま売ったり加工して武器や防具にするが、このアルヴァレス家はわたしの鱗を無理矢理取るのを手段としていた。

 わたしのまだくっついている鱗にロープを括りつけて、思いっきり引っ張る。これがなかなかに痛い。およそ百年の間、3日に1回くらいのペースで同じことをされてきた。地下で窓もなくて、竜の身体は人間ほど疲れないから、時間の経過が分かりにくかったから、正確なスパンは分からないけど。


 でも、あの表皮がぽろぽろと絶え間なく剥がれ落ちる精神的な苦痛よりは全然平気だった。


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 約百年間、縛り付けられ無理矢理鱗を剥ぎ取られて、自由がなく痛みを与えられる生活ではあったけど、それ以外に何かされることはなかった。鱗を生成するマシーンとしてしかわたしを見ていなかったようで、影響がないようにとご飯も普通に食べさせてくれた。わたしの鱗を売って持ち直したからか、年々量や質の程度があがっていった。

 それはアルヴァレス家の当主が代替わりしても変わることはなかった。


 そのおかげと言うべきか、わたしの身体は順調に大きくなっていき、およそ百年が経った今、全盛期を迎えていた。少し無茶をして暴れれば、鎖や鉄の杭など、外せそうなくらいには身体や力が育っていた。ただ、それをすることで多くの人が怪我をしたり、運が悪ければ死んでしまうと思うと、行動に移すことはできなかった。


 とは言え、百年以上もこんな薄暗い地下に閉じ込められていると、さすがに毎日が飽き飽きとしてくる。


 そろそろ外に出たいなぁ……。


 そんなことを考えていたら、扉が開き、こんな場所では見たことがない少年が入り口に立っていた。艶のある茶髪にコバルトブルーの瞳。身長からして4,5歳だろうか。


 わたしの姿を捉えた少年は、その瞳をキラキラと輝かせた。


「ほんとにドラゴンさんだー!」


 トタトタと覚束ない足取りでわたしの元まで走ってきて、長い首に小さな腕を回し抱き着いてきた。突然の出来事に硬直してしまう。少年はそれに構わず、わたしの周りを一周して身体を隅々まで観察する。

 なにか悪さをするというわけでもなさそうなので、少年の動向を静かに見守っていると、弾むような口調でわたしに話し掛けてきた。


「あのね、えほんにでてくる、ドラゴンさんはね!」

「ドラゴンさんは、ほのおがくちからだせるんだよ! すごい!」

「それでね!」


 絵本や図鑑で読んだ内容をわたしに教えてくれた。どれも竜に関することだった。

 よっぽど竜のことが好きなんだろう。その光景に微笑ましくなり、久しぶりに温かい気持ちが心に流れてくる。


「そうだ! ドラゴンさんはなにがすき?」


 先ほどまで一方的だった喋りがわたしへと投げ掛けられる。答えたところで、竜の言葉は理解できないはず。

 鱗を剥ぎ取りに来た人たちに、母親がやっていたように頭の中に声を送るのを何度も試みたけど、誰も反応しなかった。だから、この少年も同じだろうけど、無視されるのは絶対に嫌だと思う。わたしがそうだったから。


(甘いもの、かな。アトピーが悪化するかもって、あまり食べさせてもらえなかったけど)

「あとぴー?」

(え?)


 それなのに、絶対にこの世界では存在しないだろう単語を少年は聞き返してきた。これって――。

 思考を遮るように、また扉が開いた。数人の大人が地下へとやってくる。鱗を剥ぎ取る時間だ。


「! ヘラルド、こんなところでなにをしている」

「お父様! ドラゴンさんと、おはなししてて……」

「危ないから入るなっていつも――まあいい。お前も、じきに我が家の仕事を手伝うことになるからな。そこで見ておけ」


 いつもの手順で鱗にロープを括りつけ、数人で引っ張り抜く。


(いっ……)

「! ドラゴンさん、いたがってる。お父様、ドラゴンさん、いやだって!」

「多少は痛いだろうが、これだけ大きな図体をしていると痛覚も鈍くなってくるから、大丈夫だ」

「でも……!」


 少年が悲しそうな顔でわたしの目を見つめる。鱗を剥ぎ取られ痛みを感じているわたしよりも苦しそうな表情だ。


(こんなの、嫌だよ。もう自由になりたい……でも、ここにいる人たちを傷付けるようなことは、したくないから、しかたないよ)


 そう自分に言い聞かせると、今にも泣きそうだった少年の目が今度は何かを決意したような鋭い目つきに変わった。キラキラと輝いたり、悲しんだり、コロコロと変わって忙しい。

 この何も変わりのない暗い日々に、少年が加わったら毎日がほんの少しだけ明るくなるかもしれない。



 そう思っていたのに、それから少年がこの場所を訪れることはなかった。

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