青のインクが消えたなら

長船 改


「すげぇ……人生初。」


 ノートに書かれたカッスカスの文字を見て、俺は呟いた。

 3色ボールペンの青が切れたのだ。


 その日は、夏真っ盛り。


 親が、宿題も勉強もせずに遊びっ倒しの俺にいい加減ブチ切れて「あんたの小遣い減額する!」と言い出したので、しょうがなく自室に引きこもって勉強をしていたというわけだ。


 だけど、青が切れるってある?黒とか赤ならいざ知らず、青だぜ?

 まぁ自分でも割と青は使う方かなぁ~なんて思ってたりもするけれど、だからって……なぁ?


 机の上のペン立てを見ても、カバンから筆入れを出して中を探してみても、青ペンなんて出てくるはずもなく。


「しゃあない……買いに行くか。」


 他の色で代用するっていうのもなんか気持ちが悪い。

 俺は親に「ペン買ってくる」と言い残し、家を出た。

 なんか食べるものが欲しい気もしたので、ついでにカバンも持っていく。


 噴き出す汗にうんざりしながらも近所の文房具屋に到着し、文房具コーナーへ。

 すると、俺を呼び止める声がした。


「よっ。青木じゃん。」


 見ると、そこにはクラスメートの石黒が立っていた。


「お、おぉ……石黒か。」


 高身長、イケメン、バスケ部。

 フツーの俺から見て、羨ましさの3点セットを持つ男。

 それが石黒だった。


「買い物?」


「あぁ……青ペンをさ。インク切れちゃって。」


 こう……キラキラしたやつを前にすると、どうしても及び腰になってしまう情けない俺である。


「青ペンのインクが切れた?珍しーな。」


「しかも、3色ボールペンの青。」


「3色ボールペンの!?」


 石黒は驚きで顔をびくつかせると、なんか魔王のような調子で声を押し殺しながら笑い出した。  


「いやまぁ……俺も驚いたけどさ。」


「くくくく……。悪い悪い。だけど奇遇だな。」


「奇遇?」


「俺もさ、3色のが切れたんだよ。黒だけどな。」


「マジか。」


 なかなかの偶然っぷりだ。

 しかし、俺たちの偶然はなおも続く。


「あれ?青木に石黒?」


『……赤嶺?』


 そう、2人目のクラスメートの登場である。 


「赤嶺も買い物か?」


 石黒が赤嶺に気軽に話しかけた。


「うん、まぁ。君らも?」


 赤嶺も赤嶺で、気楽な調子でそう答える。


 赤嶺は勉強を頑張ってるやつだ。

 休み時間中なのに勉強してるのを何度も見かけたし、もちろん成績も優秀。

 それこそ俺なんかひれ伏してしまうレベルだ。

 だからと言ってゴリゴリの陰キャってわけでもない。

 それは、石黒に対する感じを見ていても分かる。


「赤嶺、聞いてくれよ~。青木のやつさ、三色ボールペンの青が切れたんだってよ。」


「ほんとに?それは珍しい。」


 目をまん丸に見開いて驚きを示す赤嶺。

 どうやらこいつの中でも3色の青が切れるのは珍事のようだ。


「俺だけじゃないだろ。石黒だって黒が切れたんだから。」


「いやいや、お前のインパクトには負けるって。」


 勝負なのかこれは――。

 そうツッコミを入れようかと一瞬迷った、その時だった。


「赤。」


 赤嶺がそう言った。


『赤?』


 俺たちは思わず聞き返す。


「俺……赤が切れたんだよ。3色の。」


『マジ?』


 ……ややあって。

 俺たちは文房具屋の外に出ていた。

 俺が手にしているのは1本の3色ボールペン。

 ただし、そのペンに本来入っているべき3色のインクはまったくの空っぽである。


「これは……なかなか。」


 赤嶺が空っぽの3色ボールペンを見て呟いた。

 石黒はまたも魔王のような声で笑っている。


 まぁタネを明かせば簡単な話だ。

 3色ボールペンを1本買って中身だけ入れ替えようぜ!と、そうなったわけだ。


「記念に撮っとく?」


 笑うだけ笑って気が済んだのか、石黒がスマホを取り出しながらそう提案してきた。

 そして俺の持つ空っぽの3色ボールペンを中心に、各々自分の3色ボールペンを構えながら記念撮影。


「なんの記念?」


 俺はふたりに問いかける。


「お前の青インクが切れた記念?」


 まず石黒がそう言い放った。


「違うよ石黒。青インクが記念だよ。」


 赤嶺がワケの分からない修正を加える。


「なんで?」


 石黒が聞き返すと、赤嶺は俺の方を指さしてくる。


「俺はこいつが授業中よく寝ているのを知っている。そんなこいつがボールペンのインク……それも青なんて一番使わない色を切らすはずがない。」


「マジか!じゃあ間違いないな!」


 そう言って爆笑し始めるふたり。


「……俺は物持ちのいい方なんだよ。」


 そんなふたりに、俺はぼそりとボヤキを入れたのだった……。


 その後俺たちは、この殺人的な暑さから逃げるようにして、近くのたこ焼き屋へと駆け込んだ。

 中で冷たいジュースとたこ焼きで乾杯。

 そして何がどうなってそうなったのか、カラオケに行って3時間コース。

 すっかり意気投合してしまったのだった。

 


 ――その日から、約30年の月日が経った。


「お前、それまだ持ってたんか。」


「お~、懐かしいね。」 


 石黒と赤嶺が口々にそう言ってきた。


 俺たちはチェーンの居酒屋で約1年ぶりの会合を果たしていた。

 30年経った今でも、俺たち3人はこうして定期的に会っている。

 進路がバラバラになっても、就職しても、結婚しても。


「なんか捨てられなくってな。」


 俺は3色ボールペンをピコピコと振りながら、懐かしさに笑みを浮かべる。

 あれから何本も3色ボールペンは代替わりしたと思うけれど、この特別な1本だけは捨てずに取ってあった。

 俺の青だけじゃない。

 黒も、赤も。

 3色すべてのインクの消えたボールペン。


「まぁあの時あそこでバッタリ遭遇しなかったら、こうはなってなかっただろうからな。」


 焼き鳥を片手に、石黒もまた昔を思い出している様子だ。


「特に青木な。未だにあの青のインクは切れたんじゃなくて消えたんだと思ってるよ。」


 赤嶺は笑いながらそう言った。


「そう言えばあの文房具屋な、潰れちゃったらしいな。」


「あぁ~、そうか……。」


「30年だもんなぁ。」


 俺たちはしばし無言になる。


 街並みは変わってしまった。

 人も。

 たぶん、俺たちも。


 でも、変わらないものだって、あるはずだ。


「ま、不動産よりも長持ちしてるボールペンだ。大事にしようぜ。」


 と、なんともワケの分からない、それでいて妙に納得できてしまう事を言う石黒。


「右に同じく。」


 赤嶺が同調する。


「言われずとも失くさないって。」


 俺は3色ボールペンを筆入れに戻し、カバンの中へとしまい込む。


「インクは消えたかもしれないけど、その代わりに俺たちの友情が詰まったボールペンだからな。」


 そう言って、俺はまだ半分以上も残っているキンキンのビールを一気にあおったのだった。


 異口同音に『クサイ!!』というツッコミを受けながら――。

   

 

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