第13話・金属
「さ、紗知た……私達、カラフルガールズっていうユーチューバーをやってて。今日、友達と一緒に来たんです。この村の地下にいるっていう、怨霊のことを調べるために。ど、動画でここ調べてくださいってリクエストもあって……」
茶髪の少女は、しどろもどろで言った。
ユーチューバー、と聞いて紬は思い出す。そうだ、今日この宿に到着して早々、靴箱で声をかけてきた少女たち。この茶髪の少女もその一人であったことを。
尤も、喋っていたのは他の金髪の少女と赤髪の少女で、この子と直接話をしたことはなかったが。
「そ、それで……私は気分が悪くてホテルの部屋で休んでたんですけど。友達二人がご飯の時間になっても戻ってこなくて。お、お姉さん見かけませんでしたか?金髪の女の子と、赤髪の女の子。ふたりとも紗知と同じ、女子高校生なんですけど……」
多分、普段から自分のことを名前で呼ぶ癖がついているのだろう。最初は私達、と言ったのがあっという間に戻ってしまっている。なるほど。眼の前の彼女の名前は“紗知”であるらしい。上の名前はわからないが。
「あたしは見てないけど……紬、見た?」
貴子の言葉に、いいえ、と紬は首を横に振る。自分たちがご飯を食べた和食レストラン“楠”は、木造の壁と障子窓で作られたいかにも日本家屋っぽい空間だった。利用客はお座敷と椅子、好きな方を選ぶことができる。自分達は椅子だったが、キノコ鍋に鮭、白ご飯といった和食を楽しむならばお座敷という選択肢もあっただろう。
テーブルごとに敷居はあるが、装飾用の薄い障子が使われているのみ。周囲の様子をざっくりと見回すことは可能だった。座席に案内された時になんとなく他の客の様子を見たものの、カップルと家族連れが殆どだった印象である。
少なくとも、あの目立つ髪の毛の女の子二人がいたら気がついたと思うのだが。
「そう、ですか……。そりゃそうですよね。部屋に戻らないで、紗知に連絡もしないで二人だけでレストラン来てたら、それはそれでいじめだし……さすがにそんなこと、しないと思うし……」
紗知の声がどんどん小さくなってくる。派手な茶髪に化粧をしているのでどんな不良系かと思いきや、存外普通の女の子であるらしい。残りの二人にいつも振り回されているタイプなのかもしれない。
「え、えっと。フロントの人に、聞いてみたらどうかな?それと、二人が何処に行ったのかはっきり訊いてる?」
紬がなるべく優しい声を作って尋ねると、少女は困った顔で首を横に振った。
「その……この下蓋村の、地下にいるオバケを封印する礎を探して、動画撮るんだって言ってました。でも具体的にどこに行ったのかは……あ」
「どうしたの?」
「あ、いえ、そうだ思い出しました。神社の奥に入っちゃいけない洞窟があって、そこが怪しいから行ってみるみたいなことを……」
「洞窟ぅ?」
最後のは貴子である。彼女は眉を跳ね上げて言った。
「聞いたことない、あたし。神社の敷地に入っちゃ駄目とは聞かされてたけど、そんだけ。ていうか、神社の裏手って山だし、切り立った崖も多くて危ないから……土地勘ない人間が近寄るってかなりやめたほうがいいと思うんだけど?……そんな話、誰に訊いたのよ?」
「ご、ごめんなさい!さ、さ、紗知も知らないんです。玲愛ちゃんと真織ちゃんが、観光客の人から訊いたらしいんですけど……」
「観光客ねえ……」
玲愛ちゃん、真織ちゃん、というのが友達二人の名前であるようだ。どちらが赤髪でどちらが金髪かまではわからないが。
そして観光客。
いたいけな少女達に、誰かが面白がって出鱈目を吹き込んだということなのだろうか。
「……もう暗いし、貴女一人で神社に探しに行くのは駄目だよ。危ないから」
とりあえず大人としての役目を果たすべきだろう。そう思って、紬は少女を諭した。
「ホテルの人にまず、何か連絡来てないか訊いて。そのあと警察に相談してみたらどうかな?どこかで二人共、迷子になっちゃってるのかもしれないし」
「け、警察……」
紗知はその言葉を出した途端、露骨に動揺した。まあ、今日が夏休み前の平日であることを鑑みるに、学校をサボって三人だけで旅行しているのは見て取れる。万が一騒ぎになって、学校に連絡が行くのは避けたいのだろう。
その気持ちは充分わかる。現時点では、彼女らがどこかで迷子になっているだけとか、ご飯の時間を忘れて遊んでいるだけという可能性もゼロではないのだから。しかし。
「お祭りの会場や大通り以外はもう真っ暗だから、迷子になっちゃってたら自力で戻るのは難しいかもしれないし。スマホがあるならグーグルマップで多少頑張れるとは思うけど」
だからさ、と紬は彼女に語りかける。
「とりあえず大人の人に相談するだけ相談して、明日になっても二人が戻ってこなかったら警察に連絡することを考えてみるっていうのはどうかな。迷子になっちゃった、ってだけなら警察に話しても、そんなに大事にはならないと思うし……ね」
「……はい、そうです、よね。親切に、ありがとうございます」
紗知はぺこりと頭を下げた。そして、少し迷った末、えっと私、と再び口を開く。
「細井紗知って言います。そ、その、お姉さん達の名前、一応教えて頂いてもいいですか?それから、迷惑でなければ、メアドとかも……」
相手が男だったならナンパかと思うような台詞である。本人も考えた末の台詞だったのだろう。少し話しただけの相手に普通本名なんて教えないし、尋ねようともそうそう思わない。だが。
遠くからの旅行者と思しき少女が、一人きりで見知らぬ土地に放り出されて――きっと不安だったのだ。信用できそうな同性の大人と繋がっていたかったのだろう。
「いいよ。私、島村紬って言います。よろしくね」
正直、ほっとけない。
紬は彼女に、自分の名前と連絡先を教えることにしたのだった。
***
観光客が迷子になる。それくらいのトラブルは、けして珍しいものではない。
特に下蓋村の周辺は、夜にもなると明かりもなく真っ暗になってしまう。一歩村の外に踏み出せば足元さえ覚束ない。うっかり足を踏み外して崖下に転落して大怪我、なんて事故事例もいくつも起きているのだった。
お祭りの時期は村全体が遅くまで明るいとはいえ、村の外の様子はなんら変わりない。村の中だって、屋台や神社、ホテルがあるような大通りと、田畑や家屋が点在している集落とでは雲泥の差がある。土地勘がない人間は、山に入らなくても道に迷うこともあるだろう。
「困った話やね」
貴子の祖母、増岡晶子はため息まじりに言った。
「そら、映画の聖地として有名になったのはありがたい話やけんど。この村の古くからの言い伝えを、過剰につっついて回られるのは困るというか。それで、神社の敷地に勝手に入ろうとするなんて、罰当たりもええところやわ」
「ええ、まったく」
今、晶子がいるのは神社の鳥居の前。話している相手は、先代の神主だった。
少し遅い時間になってしまったが、牛乳がないことを思い出して商店街まで買い出しに出たのである。神社の近くに来たところで、神主と村の人達が何やら話している現場を目撃。事情を訊いた、というのが今の流れだった。
なんでも、ホテルに泊まっていた観光客の女子高校生二人がいなくなってしまったらしい。友人によると、神社の裏手にあるという洞窟を探しに行ったというのだ。ホテルから神社に連絡が来たので、それとなくみんなで探している最中だという。
さすがに九時にもなると、お店の屋台も殆どが店じまいしている。大通りの人気も少なくなってきた。未成年の女の子が出歩くには、少々遅い時間ではなかろうか。
――なんで、うちらが探してやらなあかんのやろ。勝手に入っちゃいけないところに入って勝手に行方不明になって……迷惑でしかないわ。
面倒見のいい夫なら、きっと“そりゃ大変だ、すぐ探してやらな!”と言い出すのだろうが――生憎、晶子は彼ほどお人好しではなかった。生まれてこの方ずっと下蓋村で暮らす人間である。どうしても、余所者への抵抗感は強い。夫と違って、仕事で村の外の者と交流する機会があったわけでもないから尚更に。
息子がこの村の女性を妻に迎えたのは良かった。だから結婚には賛成したのだ。しかし、彼が妻と一緒に村を出て東京に行くと言った時は渋ったものである。田舎者で、夫に似た性格ののんびり屋な息子が、冷たい都会でやっていけるとは到底思えなかったがゆえに。
最終的には押しやられて上京されてしまった。――そしてなんだかんだで上手くやれているようだし、可愛い孫娘にも恵まれたことは本当に良かったとは思っているのだが。
――貴子ちゃんのお友達の紬ちゃんは誠実そうないい子だったみたいだけど……他の人まで信用できるかというと、ねえ。
閉鎖的な村の、凝り固まった考えだと言いたければ言えばいい。
慣れ親しんだ村の人と、得体のしれない異邦人、どちらを信じるかなど歴然ではないか。
何より、いなくなったのが高校生の女の子だというから余計に不信感が募るのである。夏休み前の平日。こんなところに日帰りで旅行してくるとも思えないし、きっと学校をサボって遊びに来たのだ。そんな不良娘がホテルに戻ってこないという。いかがわしいものを想像してしまうのは、女性として致し方ないことではなかろうか。
――きっと、よその観光客と遊んでるんやわ。最近の若い子は、どこの馬の骨ともわからぬ男とも平気で寝ると言うじゃない。しかも、二十歳になる前に処女を捨てていることと少なくないって。ああ、なんておぞましいのかしら!
お祭りの屋台や神社付近を遊び歩いているだけなら、そうそう道に迷うとも思えない。神主や他の男達は森の中に入ってしまったり崖に落ちてしまった可能性を心配しているようだが、晶子は殆どそういう危惧はしていなかった。
偏見と言いたければ言え。実際、ここに来た観光客の中にはマナーが悪い者が少なくないのも事実なのだから。ましてや、この村の言い伝えを面白半分で突っつくような若者に、ろくな者などいまい。
「神社の聖域は、ぐるっと塀で囲ってますし。この時期は見張りのモンも雇ってますんで、簡単に入れるとは思えへん。実際、だーれもその子らの姿なんか見てへん言うし」
六十手前の先代神主は、白髪混じりの頭をぽりぽりと掻きながら言った。
「だから神社の中に迷い込んでっちゅーのはないと思うんですけど……まあこれも私らの仕事やし。もう少し探してみようとは思います。晶子はんも、なんかそれっぽい子見つけたら教えたってな」
「ええ、もちろん。何かわかったらぜひ」
いかにも“心配してます”ていう顔と声を作って、晶子はその場を離れたのだった。
牛乳は買った。時刻も時刻だし、さっさと家に帰るに限る。自宅へ続くコンクリートの道を、早足で歩いていたその時だった。
「ん?」
がこん!と大きな音が聞こえた。進行方向、丁度T字路の真正面から。まるで何かが外れるような音だ。ご近所の家で、誰かが物でも落としたのだろうか?そう思いながら、前へ前へと歩を進める。
きっと、気にせず通り過ぎていたことだろう。
まさにT字路のど真ん中――マンホールの右脇を通り過ぎようとした瞬間、その音が響かなければ。
「え?なになに?何なの?煩いわねえ」
ぶつぶつとぼやきながら、晶子はマンホールの前に立つ。
下蓋村――その名前と、モチーフとされている蒲公英の花の模様が刻まれた、黒く冷たい金属の蓋を。
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