貴船神社

めへ

貴船神社

N君はいつも、通勤の際車で逢坂山を通る。逢坂山には滋賀から京都を繋ぐ、木々に囲まれた道路がある。


この辺りには有名な蝉丸神社、そしてあまり知られていないが満月神社という小さな神社もあったりする。点々と民家もあり、有名な鰻屋もある。

滋賀と京都を繋ぐ道である事から、車通りは多い方で、滋賀と京都両方の入口付近にはコンビニやコインパーキングがある。


N君はその逢坂山を通る度、車のナビ画面に表示される「貴船神社」という場所が気になっていた。

それはいつも、道路沿いの山の中に表示されているのだが、通過する度にその方向を見ても神社らしきものは見当たらない。


ある休日N君は思い立ち、逢坂山の入口付近にあるコインパーキングに車を停めて、貴船神社と表示される場所へ行ってみる事にした。


コインパーキングから目的地まで、逢坂山の歩道を歩き、坂を登る。

いつも車で通るため、徒歩だとこれほどの距離があるものなのかと、少し驚いたそうだ。季節は冬だったが、坂を登るうちに暑くなり、厚着してきた服が汗で濡れた。


白い息をゼエゼエと吐きながら、なんとか目的地付近の歩道に着いてみると、歩道から細い横道に入る事ができる。その横道に入って間もなく、右手側に目的の「貴船神社」へ続くらしき階段があった。


その階段はまるで登山口のように、山の中へ続いているように見える。階段は途中で木々の影が作る暗闇に埋もれており、先に何があるのかここからでは分からない。


人の気配は無く、真昼間とはいえ気味が悪いと思ったN君だったが、息を切らしながら汗だくになってここまで来た事を考えると、引き返すのは惜しい気がした。


なので意を決し、階段を登り始めたのだ。木々に囲まれた階段は、四メートル程で終わった。

階段を登り切ったそこは、木々が切り倒されるなどして、六畳程の落ち葉で埋められたスペースが仕上がっていた。

その奥の方に、高さ百五十センチくらいの小さな祠がポツンと在る。


――これが、貴船神社か。


N君は、そう察した。

しかし神社と呼ばれるにも関わらず、鳥居は無く、小さな祠があるだけ。

神社の定義は知らないが、これでも神社と言えるのだろうか。そして、ここでは一体何が祀られているのか。


祠に近付いて覗いてみたが、中が暗くて何が入っているのか分からなかった。供え物の類も見当たらず、ひょっとしたら廃神社なのかもしれないと、N君は思った。


祠から視界をすぐ横に移して、ぎょっとなる。

祠の横には、いつの間にか男性が一人佇んでいたのだ。


誰かが来た気配や物音など、全く無かった。そして目の前のその男は何とも異様な姿である。

歳の頃十代後半だろうか、その男は短い黒い髪、そして血管が透けて見えるのではと思う程、色が白い。唇が血のように赤く、その赤色と全く同じ色の着物を着ている。

ぱっちりとした大きな目の中で、広い面積を占める黒目に光は無く、洞穴を思わせる。


思わず後退るN君を、その男は珍しいものでも見るような目で見つめていた。

やがて男はニイッと不気味な笑みを浮かべ、こちらへ向かって歩を進めたので、N君は「ヒイッ!」と叫び、急いで元来た道、階段に向けて走り出した。

背後からは走って追いかける音がする。N君は必死に階段を降り、明るい道に出た。


ここまで来れば大丈夫だろう、と後ろを振り返ると、男が構わずニタニタしながら階段を走り降りる姿が見え、N君は心臓が凍り付いた。

しかし体まで凍り付かせるわけにいかず、車を停めたコインパーキングに向かって走り出す。


横で車がビュンビュン通る歩道に出ても、男は変わらず追いかけてくる。N君は帰りが下り道である事に感謝しつつ「助けてくれ!誰か助けてくれ!」と叫びながら、夢中で走りコインパーキングに着くと急いで清算し始めた。


清算し終えた所で男はN君に追いつき、駆け寄ってきたので、N君は男の腹あたりを思い切り蹴飛ばした。

足の裏に肉の手応えを感じ、男は弾き飛ばされ尻もちをつく。

その隙に車に飛び乗り、エンジンをかけると道路に出る。しかしこんな時でも用心深いN君は、左右を確認する事を忘れなかった。


しかも車通りの多い場所なので、なかなか道路に出られない。

待っている間に、男が相変わらず不気味な笑みを浮かべながら、ドアをガチャガチャやって開けようとしたり、窓をバンバン叩いたり張り付いたりしてくる。


ようやく道路に入る事ができ、N君は男を振り切って車を走らせた。

バックミラーを見ると、男はしばらく走ってN君の車を追いかけていたが、やがて諦め立ち止まったという。



あれからN君は、逢坂山の辺りでは車を降りないようにしているという。

逢坂山を通過する度、あの貴船神社へ続く横道から、あの男が白い顔を覗かせてニタニタ笑っているらしい。



この話をN君から聞き終えた後、私は思わず彼の顔をまじまじと見ずにいられなかった。

ある時期から、元々浅黒かったN君の肌は徐々に色白となり、この頃には異常な程白くなっていた。

三白眼気味だった彼の黒目は大きくなり、その黒目は淀んでいる。唇は血のように赤い。笑うと、口角が糸で引いたように吊り上がり、機械的で不気味だった。

この時N君が話した、貴船神社で会った男はきっとこの様であったろうと思わせるような、そんな容貌にN君はなっていた。


そしてある日忽然と、N君は姿を消した。手がかりがあったという話は聞かない。


私は、N君は逢坂山に在る、あの貴船神社にいるとなぜか確信している。

彼はあの時、N君が見た男と入れ替わるようにして、そこにいるのだ。


そしていつか、自分の代わりになる者が訪れる、その日を待ち続けている。


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