向こうより求める。

宮塚恵一

呼び声

 千葉の北西部にある某市に茨城との県境と繋がる国道がある。その国道を走ったことのあるトラック運転手の友人から聞いた話だ。私の地元がそこの近くだったので、酒の席でそういえばお前の実家の近くの話なんだけど、と聞かされた。


 その国道沿いのとある交差点で車を走らせ耳を澄ませていると「こっちへ来いこっちへ来い」という声が聞こえてくるのだと言う。数々の運転手がその声を聴いたことがあり、今では友人の同業者の知り合いの多くはどうしても事情がない限りはその交差点を通るのを避けるそうだ。その交差点を通ることを運転手に禁止している会社すらあるという。

 けれど、県境で車通りの多い場所だ。それを言ったらそこを通る何千ものドライバーが声を聴いてなくてはおかしいだろう。私はそう疑問を口にした。それに対する友人曰く。その声が聴こえるには条件があるのだという。


 その条件とは、水だ。


 生きたままの鮮魚や天然水、何でもいい。水を運んでいる車があるとその声が聞こえるそうだ。それもただ水があればいいという話ではない。それこそトラックに積み込むような多量の水を運んでいる時にだけ、その声は聞こえるそうだ。

 その話を聞いたのはお盆休み、お互いが休日の時にたまたま行った場末のカラオケスナックでだったし、真偽もわからぬ、しかし実際に多くの運転手の仕事を制限しているらしい与太話を、なんじゃそれはと笑っていただけだった。


 だが、それからしばらくしてのことである。その友人から電話があった。以前スナックで話した、交差点の話を覚えているかと聞かれ、何となく覚えていると答えると「その噂、本当かどうか興味はないか?」と言う。何を言っているのかと思ったが、近々派遣スタッフとして活魚運搬車を運転することになり、一度その交差点を通る機会ができそうなので、運搬車の助手席に乗る横乗りのアルバイトに興味はないか、とのことだった。私のことを誘ったのは、私がライター業としてこの手の話の取材に多少の興味があることを友人が知っていたからで、日時があうならば是非ともとお願いした。


 アルバイト当日になり、横乗りとしての仕事内容を確認してから私と友人は活魚運搬車に乗り込んだ。出発は日立市で、そこから運転して県境を越える。目的地まで向かうその道程に例の交差点はあった。

 友人と私とは近頃観た映画や海外ドラマの話などをしながら、友人はぐんぐんと車を走らせていった。そして遂に噂の交差点に差し掛かる。その頃になると、二人とも一言もしゃべらなくなった。特にこれといって話題にはしなかった。ただ、道路を走るだけである。きっと何も起こらない。そうは思っていても心臓の鼓動が速まるのを抑えることはできなかった。それは友人も同じであったと思う。


 交差点のある国道を訪れた。私にとっては見慣れた景色。ついぞ前にお盆の為に実家に帰った時も車を走らせた道だ。特に変わった様子はない。相変わらず車通りが多く、少しの渋滞もしている。

 渋滞の中トラックを進み、例の交差点近くまで来た。何もない。やはり噂は噂であったのだと、ホッとしたその時である。


「こっち来いこっち来い」


 ――普段はオカルト話などあり得ないと思っている私も、その時ばかりは体の芯からぞくぞくと寒気を感じた。聞こえる。確かに聞こえる声がある。私は運転席の友人の顔を見た。友人は目を丸くして、唾を飲んだ。友人にも間違いなく聞こえている。しかしどこから? 運搬車は今、窓も空いていない。私と友人以外の声が聞こえる筈もないのに、その声はまるで脳に直接語りかけてくるかのように、私の耳元で繰り返し繰り返し囁いていた。


 渋滞の間、その声はずっと聞こえていた。私も友人も、お互いにその声について何か言葉を交わしたりはしなかった。そうしてはいけないような気がしていたのだ。

 そして長く感じた渋滞を抜け、交差点を通り抜ける時だ。私はサイドミラーにチラと映った影にギョッとした。


 交差点の真ん中で、倒れている人間の姿があった。そう思った。だが違った。倒れている人型のそれがゆっくりと顔をあげる。その顔には大きく飛び出た目玉に、耳元まで裂けた口がついていた。体は全身が緑色で、明らかに私たちに向けて手を伸ばしていた。そしてその口が開くと、先程よりもより強く声が聞こえた。


「こっち来いこっち来いこっち来い」


 友人がハンドルを切った。そのまま法定速度をこえた速度で、国道を進んだ。私の額から首元にかけてまで汗が滴る。隣の運転席で少しだけ腕を震わせている友人の顔いっぱいにも脂汗がにじんでいた。


「見たかよあれ」と交差点を通り過ぎて三十分程して友人の方から私に声を掛けた。

 私は「見た」と返事をした。全身緑色のあの姿……あの瞬間には気づかなかったが私には見覚えがあった。地元の人間なら誰でも見たことがある。

「河童だ。ありゃ河童だったぞ」

 友人はどうやら、私よりもしっかりとあの人型の姿を目撃していたらしい。友人曰く、頭にも茶色い皿のようなものが乗っていて、私たちに伸ばした手にもよく見ると水かきのようなものがついていた、と。


 その後、予定通りにアルバイトを終えて、その時も未だ信じられないものを見たせいで上の空だったことを見抜かれたのだろう。現地のスタッフに「もしかしてあの交差点を通ったんじゃないだろうな?」と聞かれた。

 私はその問いに黙っていたが、友人は正直に「通りました」と答えた。現地スタッフはため息をつくと怒るわけでもなく「よくわかっただろうから、次からは絶対やめた方がいい」とだけ、私と違ってこれからも運転を続ける友人を諭した。


 友人が後からあの交差点を走ったことのある他の運転手に話を聞いたそうだが、あの河童が何なのかがわかる者は誰もいないそうだ。そして誰もが「あそこを通ってはいけない」「声が聞こえるから」とだけ後輩の運転手たちには忠告するが、実際に何を見たのかを口にすることもないのだと言う。けれど、あの交差点に倒れるものの姿を見たことのある運転手たちの間でだけ噂されていることとして、昔あそこを通り亡くなった運転手がいたのだと言う。その運転手は亡くなる直前、あの交差点で荷物を落としてしまったのだと。その荷物の中にあの河童がいて、水もなく道路に置き去りにされた河童も干からび死んでしまった。そしてそれからというもの、河童の霊が交差点に憑りつき、水を求めて声を出しているのだと。


 こっち来い。こっちへ来い。こっちへ来て水をくれ。


 全ては噂である。河童も幽霊もどちらもただ聞いただけでは眉唾の話だ。正直、荒唐無稽な話が重なってむしろ馬鹿馬鹿しいとすら言える。しかし私は見てしまった。あの恨みがましい大きな目玉で、私のことをじっと見つめる河童の霊を。


 それからというもの。私は実家に帰るにもその交差点を通るのは極力避けている。

 条件がそろわなければ声が聞こえないのだとしても、私の頭の中にどうしても残る、あの大きな目玉を私は未だ忘れていない。

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