第9話 変態と変質者
「……」
「……」
俯く汐音と俺は、汐音の家のリビングで向かい合って座っている。
ここまでくるのに少し時間は掛かったが。
と言うのも、玄関で待っていた俺を見た汐音がUターンして出て行こうとしたので、汐音の腕を掴んだら普通に叫ばれた。
扉が開いていたので、汐音の口を塞いでから中に連れ込んで扉を閉めたが、あれは完全に駄目なやつだった。
これを考えたのは抱き枕ちゃんだ。
そして俺の手首に巻かれているリストバンドを見たからか、汐音は落ち着いた。
だけど汐音はだんまりを続けている。
俺の方も来たはいいけど、なにを話せばいいのかわからなくなっている。
「やっぱり喧嘩したのかな?」
「喧嘩じゃなくて、すれ違いじゃないかな? それか一夜を共にしたせいで気まずいとか」
「あ、なるほどね。だから最近、汐音の食べる量が減ったのね」
「色々と大変だからね。しかも高校生でって……今って高校生の妊娠って大丈夫?」
リビングには俺と汐音しか居ない。
この声は、リビングの扉を少し開けて覗き見しているおしどり達だ。
「日穂さん、光さん、聞こえてますから」
「気まずそうだから聞こえるように言ったんだよ」
「変な気を使わなくてもいいですから」
「だってぇ、令字君にはいつか汐音と結婚してもらわないといけないのだから、早く仲直りして欲しくて」
別に喧嘩をした訳ではないけど、気まずいのは確かだ。
「汐音、汐音って──」
「光さん! 令字君が汐音って!」
「聞いたよ! これはいいんじゃないかな」
日穂さんと光さんがとても嬉しそうにしている。
だけど今はそういうのはいらない。
「日穂さん、光さん、騒ぐんなら帰りますよ」
『だまりまーす』
二人は静かにその場に座った。
本当は他の部屋に行って欲しいけど、お邪魔してる身でそこまでは言えない。
「気を取り直して。汐音って義務感とかで俺に接してた?」
「……ぇ?」
汐音が消え入りそうな声でそう言ったというよりは、漏れ出たようだ。
「日穂さんと光さんが色々言うから、仕方なく俺の部屋に来たり、俺と話してたりしてたのかなって」
「令字君、本気で言ってるの?」
「本気で聞いてるんで黙っててくれますか?」
俺が日穂さんを睨みながら言うと、驚いた日穂さんが光さんに頭を撫でられていた。
「ここは令字君と汐音に任せようか」
「……そうね。怖かった」
そう言って日穂さんと光さんはリビングを後にした。
日穂さんには悪い事をしたが、俺もそれだけ余裕がない。
抱き枕ちゃんの言った後腐れない方法の為にも、これは聞いておかないといけない。
「それでどうなんだ? 俺との関係性は仕方なくだったのか?」
「……なんで?」
汐音が今にも泣きそうな声で聞いてきた。
「なんでそんな事を聞くのかって? まぁ簡単に言うなら、拗ねたからかな?」
「拗ねた?」
「そう。汐音さ、俺が汐音の事を好きって言ったから来なくなったんだろ? それがあったから仕方なくだったのか気になったんだけど、それとは別に、汐音って俺に対して好きとか言ってないじゃん?」
だから拗ねた。
俺は言ったのに、汐音は言ってないから。
我ながらどうでもいい事で拗ねたとは思うけど、俺が言った後に避けられるようになったのも拗ねる要因の一つではある。
「あれは不可抗力だから言ってもらったに入らないよ」
「じゃあ言うよ。俺は汐音が好きだ。俺は汐音とずっと一緒に居たい」
俺が汐音の目を真っ直ぐ見つめてそう言うと、汐音は顔を真っ赤にして俯いた。
「で、汐音はどうなの? 俺との関係は仕方なくなのか、汐音本人の意思なのか」
「……私だって、令字さんが好きだよ。ずっと一緒に居たいよ。でも……」
汐音が真っ直ぐ俺の目を見てそう告げたが、また俯いてしまった。
「まーちゃんに悪いよ」
「……は?」
なぜそこで抱き枕ちゃんの名前が出てくるのか疑問でしかない。
「だってまーちゃんも令字さんの事が好きだもん。これから一緒に暮らしていくのに、私が令字さんの部屋に入り浸ったらまーちゃんが可哀想だよ……」
「え、だから来なかったの?」
汐音が頷いて答えた。
「えっと、たとえあいつが俺の事を好きだとしても、それなら別にバイト中に避ける必要はなかったんじゃないか?」
「……それは普通に恥ずかしかった」
汐音がモジモジしながらそう言う。
「可愛いかよ!」
「だって、令字さんに好きって言われた後で今まで通りに接したら、外でも何するかわからないよ?」
「汐音の可愛いところは俺だけが知ってたいから、我慢を覚えてくれて良かった」
俺がそう言うと、顔を両手で隠した汐音が「そういう事言う……」と言った。
「話を戻すな。汐音は抱き枕ちゃんに遠慮して、俺の部屋には来なくなった。バイトで話しかけなくなったのは、普通に恥ずかしかったって事でいいのか?」
「うん」
「それと汐音は俺の事を汐音の意志で好きなのか?」
「うん。それに嘘偽りはないよ」
汐音が真っ直ぐ俺を見つめてそう言った。
「じゃあ嘘じゃないかの証明しようか」
「え?」
そう言って俺はリストバンドの付いた左手を前に出した。
「私、参上」
するとそのリストバンドが抱き枕ちゃんに変わった。
「……付けてくれた訳じゃないんだ」
「え? 私にはノータッチ?」
さっきのリストバンドは、汐音がくれたものだ。
ちなみに俺は一度も付けた事はない。
「リストバンドがどうなってるのか知りたいか?」
抱き枕ちゃんが少し拗ねたように汐音に言う。
「え、まさか雑巾代わりにでもされてるの?」
「汐音は俺をなんだと思ってんだよ」
「令字ね、リストバンドを小綺麗な箱に入れて保管してんの。軽く引くでしょ」
人から貰ったもの、特に汐音から貰ったものを大切にしない理由がない。
リストバンドなんだから使えと言われるかもしれないけど、汚したりほつれさせたりしたくない。
「令字さんのそういうところが好き」
「まさかの好印象。別にいいけど」
「ところでまーちゃんはいつまで机に乗ってるの?」
俺が机の上に手を出したから必然的に抱き枕ちゃんは机の上に立っている。
「私はお前達の上に立つそんざ──」
俺が抱き枕ちゃんを睨んだら、そそくさと机から下りた。
「それで汐音は嘘をついてないんだな?」
「ついてないです。その娘は令字を溺愛してます。いつでも襲いたいと思ってます。変態です」
一言も二言も多いが、それが知れたのならいい。
「変態って酷い。色々と溜まってるから確かに襲いたいけど」
「いいぞ」
「え?」
「好きな相手にされる事ならなんでもされたいだろ?」
「さすが令字。変態同士でお似合いだ」
抱き枕ちゃんが馬鹿にしたように言う。
「じゃあシていい?」
「どうぞ」
汐音が舌なめずりをしながら近づいてきた。
さすがにここではしないと思ったけど、そこは汐音のようだ。
「かぷ」
汐音は自分でそう言いながら、俺の首に甘噛みしてきた。
「だから可愛いんだよ……」
「娘はなにをしてるんだ?」
「らーひんる」
おそらく「マーキング」と言った。
少ししたら汐音が甘噛みをやめた。
「痕付けて私のだって見せつけようと思って」
「がっつり痕付けたな。私への当てつけか?」
「私の令字さんの血はもうあげない」
汐音が俺に抱きつきながら抱き枕ちゃんに言う。
「令字の血は私のだから、血だけは貰うが?」
「いつからお前のになった」
「前世から」
「ほんとにありそうで、否定できない事を言うなよ」
吸血鬼は血を飲んでいる限りは寿命で死なないらしいから、前世というものがほんとにあるのならありえない話ではない。
「そういえばお前って俺の事好きなの?」
「血はな。令字自身も嫌いじゃないけど、別に
「そうなんだ。てっきり令字さんに惚れてるから入り浸ってるものかと」
未だに抱きついている汐音が、抱き枕ちゃんを煽るように言う。
「仕方ないでしょ。令字が私を求めたんだから」
それに抱き枕ちゃんも煽りで返す。
「令字さんは優しいからね。変質者にも優しいんだよ」
「黙れ変態」
「なに? 変質者」
汐音と抱き枕ちゃんが笑顔で睨み合う。
この光景をいつまでも見ていたいと思ったけど、こういうのは長続きしないものだ。
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