第6話 健康的で文化的な最低限度の生活

『料理するんだよォ!!』


 と乙に命令された詠歌は、半泣きで具材を注文した。

 最近のネットスーパーはすごいもので、昼を過ぎるころには、品物が届く。

 

 それは詠歌が見たことも、使ったこともない食材の山だ。


「で、どうするの……? あなたが料理してくれるの?」


 またあの触手が口から出てくるのだろうか? それが料理を?


 うねうねと口から触手を出しながら料理をしている自分を想像すると、詠歌はとんでもなく嫌な気持ちになった。そんな風に作ったものを自分は食べられるだろうか? 


 いや。無理でしょ……。


『実体化はよォ、負担がでかいんだよ。そう簡単に俺は出られねェ』


「え、じゃあどうするのよこれ……」


 生のままの野菜。肉。調味料。詠歌には触ったことのないものばかりだ。


『テメェが料理すんだよぉお』


「へ?」


『へじゃねぇ! おら、料理道具も一緒に注文したんだ。今すぐやるぞ!』


「む、むりむりむり!」


『無理でもやるんだよォ! 腹ん中でうねるゾオラァ!』


「いやぁ~っ! ぐねぐねしないで気持ち悪いぃぃぃ!」


 詠歌は乙に脅されながらキッチンに立つ。立ったは良いものの本当に何をどうしたらいいのか皆目見当もつかず途方にくれた。


「えと、あの、その。野菜とか切ったことない……けど」


『こんなもん破魔刀ぶんまわすのと一緒だ。適当に切ればいいんだよ。大きさは教えてやらァ。指ィ切るなよ。ネコの手だネコの手。指を曲げるんだよォ』


「で、出来ないよ!」


「やるんだよォ! 今覚えろや!」


 と乙に怒鳴られて、詠歌は泣きながら料理を作った。乙は口調のわりに指示はこまやかで包丁を握るのも初めての詠歌でも簡単な料理ができてしまった。


「こんな妖に作らされたご飯なんか……う、おいしい」


 乙の言う通りに作ったごはんは今まで食べたことが無いほどおいしかった。


 何か特別な料理なの? と詠歌は思う。料理初心者の彼女は知る由もないが、乙が指示したのはなんの変哲もない普通の料理だ。


 普段食べているものとは違ったのは、手作りであるという点だけ。なのに。


(な、なんでこんな奴のご飯がおいしいのぉ……)


 作り立てほかほかのご飯なんて久しく食べていなかった詠歌は、その温かさに涙が出てしまった。もはや消えかけている朧げな両親の記憶がうっすらと思い起こされたのもある。


「う、う、ぐす。おいしい……けど、ううう、複雑ぅ……」


『よぉ、詠歌ァ。感動してるところ悪いがなァ、飯食ってしばらく休んだら掃除すんぞ掃除ィ! なんだこのクソリビングは。ゴミ屋敷じゃねぇか! あとテメェはしばらく配信は禁止だァ! そもそも寝不足なんだよお前、夜もしっかり寝やがれこの野郎!』


「え、え、ええ……。あの、私、掃除とか苦手で……」


『ああ、なんか言ったかァ? 俺としちゃ、飯がたらふく入った胃袋、サンドバック替わりにしてやってもいいんだがなァ?』


「ひぃぃ!? や、やめてぇ……」


 食事のあとも、乙によるスパルタ生活改善は続くのだ。


 ☆★☆彡


「ね、ねぇ。おつ……でいいんだよね。あの、私トイレ行きたいんだけど……」


『ああ? 勝手に行けやァ……。先に言っとくが下剤や虫下しで俺を出せると思うなよ? 飲んだところでお前が苦しむだけだァ』


「の、飲まないよっ!」


 自分のお尻からにゅるにゅると触手が出てくるところを想像して、詠歌はぞっとした。いや、そうじゃない。それ以前の問題なのだ。


「ねぇ、トイレの時だけ私の中からいなくなれたり……しないの?」


『――出来ると思うかァ? 出来たらいいよなァ。分かるぜお前だって乙女だもんなァ。……出来ねぇよ、ばぁぁぁぁあああかァ!!』


「ひ、ひぃぃい、やっぱりぃいい!!」


『あきらめろ』


 脳内に乙の冷徹な声が響く。


『せめて出してる間は黙っててやんぜ』


「う、う、う……」


 詠歌は泣きながらトイレに入った。


 ☆★☆彡


『詠歌ァ、テメェ、風呂は?』


 その夜。憔悴しょうすいしきった顔でベッドのセッティングをやらされていた詠歌に声をかけた乙は、限界まで研ぎ澄ました刃物の鋭さをもって詠歌の情緒を破壊しようとしてきた。


「は、入らないッ」


『ハァ? ……テメェマジか』


「入らない入らない入らない!! ぜぇえええったい入らないから!」


『理由は今さらだから問わねぇよ。だがなぁ、今日、明日は良い。テメェずっとそのままのつもりか』


「ずっと入らない!」


 断言した。今日一日、詠歌の尊厳は破壊されっぱなしだった。


 何が協力だ。何が悪いようにしないだ。さんざん私の事イジメて! と詠歌なりに怒っていた。


「入らせたかったら、今すぐ私の身体から出て行って!」


 乙女として裸を見られるのだけは許せなかった。詠歌のちっぽけな最後の自尊心だ。


『トイレだって入ってるだろうがァ……』


「それとこれとは別だよぉ!」


 ふーふーと鼻息荒く目を吊り上げる詠歌に、乙はしばらく反応を返さなかった。え、これはもしかして交渉の余地あるの? と詠歌が希望を持ちかけたその時だ。


のと、とどっちがいいか選べ』


 残酷な乙の提案が詠歌の心を再度破壊した。


『頭を直接弄るのは好きじゃねぇ。お前が壊れるかもしれねェしな。それは最後の手段だ。膀胱はまぁ……、服着たまましょんべんぶちまけりゃ風呂入る気にもなんだろ』


「さ、最低……」


 詠歌はそれ以外何も言えなくなった。


「もう死ぬ……」


『おいまて』


「もうしぬぅうう!!」


 窓に手をかけて外に出ようとする詠歌の頭の中に、初めて焦った乙の声が響く。


『テメェまて! 外に出たらどうなるか分かってるよなぁ!? テメェなんか一瞬で死ぬぞ!? 分かってるのかオイ!』


「だから死ぬって言ってるでしょ!?」


 嫌なの、いやいやいや! と半狂乱になって暴れる詠歌に、さすがの寄生型妖の乙も、困ったように言葉を詰まらせた。


『あのな、わかってると思うが、俺は良かれと思ってだな……』


「心を無視してるよっ!」


 詠歌は限界だった。一心同体であるから、健康的な生活を送らせようとしているのは分かる。だが、やり方があまりにもひどい。


「陰陽寮のおばばたちを、私を利用したクソだって言ってたけど、あなたも一緒じゃない! 私に言う通りにさせたいだけで、ちっとも寄り添ってない!」


 ごはんを食べた時、詠歌はちょっとだけ、ほんのちょっとだけ『こいついい奴なのかも?』と思ったのだ。だけど違った。そのあとも馬鹿にして、命令だけして、詠歌の希望なんて聞く気もなかった。


「一緒だよぉ……、おばばたちに命令されてた時と一緒。命令するのが、あんたに変わっただけじゃんんん……」


 この目は一日にどれだけの涙を流せば気が済むのか。

 とめどもなく流れる涙をこぼしながら詠歌は思った。


 思えば自分の人生は、ずっと泣いていたような気がする。生まれて、陰陽師として修行して、破軍巫女として使われて。力を失った今も、こうやって他人に命令されて生きている。命令されて生きながら、泣いているのだ。


 それが今も昔も、堪らなく嫌だ。


「命令、聞きたくない。私は私の意思で生きたい」


 そういう意味では陰陽寮に見放されて、この家に閉じ込められてからの方が気が楽だった。Vtuberを始めたのは、詠歌が自分で決めた初めての事だった。


「出てって。じゃないと今すぐ死ぬ」


 詠歌は自分の内に居るはずの乙に向けて、ゆるぎない意思で告げた。


 本気だった。乙が何かまたしようとするならば、すぐにでも外に飛び出すつもりでいた。そのままたっぷり、五分以上乙は黙っていた。


 やっぱり死ぬしかないよね。と詠歌が覚悟を決めた時だ。


『――わかった。譲歩してやる。テメェの希望も汲んでやるよ』


 返された乙の言葉は、意外なものだった。


『悪いが、身体の外に出るのは本当に無理なんだ。仮に実体化しても、核はお前の中だしな。離れられねぇし、根本的な肉体の共有もどうやっても解けねぇ。だがな、代わりに眠っててやるよ』


 乙が言うには、休眠状態になる事は出来るのだという。詠歌が希望する時に、指定した時間分、すべての感覚を遮断して乙自身が休眠するというのだ。


『とはいえ、俺が本当に寝たのかどうかお前には確かめる方法はねぇぞ。俺が嘘をついて黙ってればバレっこねぇ。だが、この方法で良いなら、テメェのプライベートを尊重してやる』


「――なら嘘つかないで」


『ああァ?』


「私に嘘つかないって約束してくれるなら、それでいい」


『嘘、なぁ……。わかってるのかよ? その約束が守られる保証はどこにもねぇぞ』


「いいよ。約束が守られなかったら、私が嘘をつかれてると思ったら死ぬから。それなら、判断するのは私。私の意思は守られる」


『――なるほどなァ、そういう脅迫ってわけかァ……』


 乙の声に、凶悪な響きが戻った。


『いい目になったじゃねぇか、破軍巫女ォ……。いいぜ。それで納得してやる。じゃあちゃんとテメェも意見を言いやがれ。そもそもテメェが嫌々しか言わねぇのが悪いんだよォ……。対案出しやがれ対案んん……』


「た、たいあん?」


『どうしたいか、ビジョンが有るなら言えって言ってるんだァ……、妥協点、探ってやるからよォ……』


 それが共生きょうせいだろうがァ……、と乙は言った。


 そんな風にして、詠歌と寄生型妖乙の一心同体な共同生活が始まったのだ。




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