伍 人肉の幻

 だが、それすらも上回る幻覚が、さらに俺達の精神を追いつめてゆく……。


 それは、家で夕飯に焼肉を食べた時のことだった。


 母親が懸賞で高級牛肉の詰め合わせを当てたとかで、普段は食卓に並ぶことのない豪勢な食材が味わえるということもあってか? 不思議と俺は〝人肉館〟と繋げ合わせて考えることもなく、喜び勇んで高級牛肉に舌鼓を打っていたのであるが……。


「──さあ、今度は骨付きカルビよ!」


 そう言って母親が、俺と父親の前に置かれたホットプレートへ骨付きカルビを皿から移し、手にした調理用バサミで切り分けようとする。


「お! 待ってました!」


 それを見て父親は歓喜乱舞するが、俺の方はといえば、まったく違う反応を示していた。


「……!?」


 俺にはその骨付きカルビと言われたものが、人間の腕・・・・に見えたのだ。


 その肘から下の腕の切断面には白い骨が覗いており、滴る赤黒い血を沸騰させながら、人の腕が鉄板の上でジュウジュウ…と焼かれている。


「う……!」


 その猟奇的な光景を前にして、俺は酸っぱいものが胃から込み上げてくるのを感じる。


「……ん? どうしたんだ」


「なに? もうお腹いっぱいになったの?」


 だが、口を手で押さえて表情を歪ませている俺を、両親は怪訝な顔をして不思議そうに見つめている。


「な、なにって、そ、そっちこそ何焼いて……あれ?」


 両親の場違いに暢気な台詞に、一旦、二人の方へ視線を向けてから再びプレートを見てみると、今まで人の腕だったものはただの骨付きカルビに変わっていた。


「何焼いてるって、だから骨付きカルビよ? もしかして、見たことなかったからビックリした?」


「い、いや、なんでもない……俺、お腹いっぱいだからもういいわ……」


 いぶかる母親に俺ははぐらかすと、そう言って不意に席を立つ……最早、食欲が湧くどころか、しばらく肉なんか食えるような精神状態じゃない。


「せっかくの骨つきカルビなのに変なやつだな?」


「食べつけない高級肉にお腹壊したのかしらね?」


 背後から、そんな両親の笑い混じりの声が聞こえてくるが、俺はかまわず、二階の自分の部屋へと逃げるようにして登って行った……。


 だが、こういう食い物が〝人肉〟に変化する幻覚も、店主同様にこれ一回こっきりではない。


 悪友達とファストフード店でハンバーガーを食べようとした時も──。


「……ん? なんだ?」


 バーガーを掴んだ指に何やら振動を感じ、よくよくバンズに挟まれたものを見つめてみる。


「……うわぁあっ…!」


 すると、そこに挟まれていたのはドクドクと脈打つ心臓であり、俺は思わず悲鳴をあげて、それをテーブルの上へと投げ出してしまった。


「…わっ! な、なんだよいきなり? ビックリすんだろ?」


「……あれ?」


 だが、驚くエバラ達が文句をつける中、テーブルの上をよくよく見てみれば、あるのは普通に心臓ではなく動かないパテだ。


「どうした? また何か見えたのか?」


「い、いや、今、確かに心臓が挟まってて……」


 サンロウに尋ねられ、俺は譫言うわごとのようにそう呟く……呟いてから、さすがにそんな馬鹿な話は一蹴されるものと思ったんだが。


「おまえもなのか? ……いや、俺もなんだよ……ホットドッグに指が挟まってたり、団子が目玉に替わっててギョロっとこっちを見てきたり……」


 意外にもモッチャンが、震える声で顔面蒼白にそう申告をする。


「……じつは俺もだよ……俺はフライドチキンが人の手に見えた……」


「俺は脚だ……肉屋の店頭に吊るしてあった生ハムの塊が人の脚だった……」


「俺はラーメンの叉焼が耳になってたよ……やっぱり、みんなそうなんだな…………」


 すると、エバラ、ミハラ、サンロウも異口同音に同じようなことを口にする……やはり、あの〝店主〟の影と同じように、俺だけでなくみんなこの幻覚を見ていたのである。


 この日はもう打ち沈んだ雰囲気のまま解散となったが、〝人肉〟に見える幻覚もまた、〝店主〟に加えて毎日々〃、俺達を容赦なく苦しめるようになった。


 ……いや、そうして起きている間だけじゃない。眠ってる時は眠ってる時で、あの悪夢も毎夜の如く俺達を襲うのだ。


 昼間は店主と人肉の幻覚に悩まされ、夜は肉切り包丁で切り刻まれる……日に日に俺達の精神はボロ切れのように擦り切れていった……。

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