第16話 リカルドの助言
リカルドが走らせたクレレ種のドラゴンは、オリバレス公爵邸から少し離れた普段は淡い青緑色のシヴェレ海を、夕日が赤く染め上げていた。
「砂浜を歩いたことはあるか?」
「ううん」
「一緒に歩くか」
「うん」
クレレ種のドラゴンから降りて、ゆっくりと砂浜を歩いて行く。
昼間の熱を吸収した砂は、まだ少し熱い。
「砂漠の砂とあまり変わらないんだね」
「まあ、両方とも砂だからな。海にも入ってみるか? 入ったことがないだろう」
手を差し出されて、私はリカルドの手に触れた。
温かくて大きな手だ。
「お前は、俺の手を躊躇なく取る」
神妙な面持ちで言うリカルドの言っている意味が分からなくて「どうして?」と尋ねた。
「言葉の意味のままだ、モニカ」
「今日のリカルドは優しいね」
靴を脱いで足だけ海の中に入れた。海水は思っていたよりも冷たかった。
私が体勢を崩さないように、リカルドは私の手を離さなかった。
「初めて海に入った感想はどうだ」
「なんか変な感じ」
リカルドは返事をしなかった。何を考えているのか表情からは読めなかった。
もしかして、私はもうだめなのかなと一瞬思った。ミス・ロペスのように、あのような悪評を流されてしまった私に見切りをつけにきてしまったのかもしれない。
そうなるとオリバレス家の邸宅からも去らないといけなくなるだろう。帰る場所のない私は、どうしたらいいのだろうか。
「私が、この間令嬢とあったことに、リカルドも怒ってる?」
私の質問に、リカルドは「あんなこと、大したことないだろ」と笑った。リカルドの反応が思っていたのと違ったので、私は彼に「大したことない?」と尋ねた。
「ああ、いずれお前は俺の妻になるのだろう? 好きなように言わせておけ。ただ、報復は忘れるな。恐怖で支配しておけば、奴らも黙るさ」
悪魔と言われた片鱗が見えたので、思わず私は笑ってしまった。
「リカルド、それじゃあ、私たち悪い王様とお妃様だよ」
「悪魔と呼ばれる男の妻になる女だ。そのような覚悟を決めてきたお前が、今さら悪妻と呼ばれようが問題はあるまい」
そう言われてしまうと、そのような覚悟はなかったような気がする。だが、リカルドがこの問題をあまり重大なことと考えていないことに、私は少し安心した。
「なんだか、思ってた反応と違った」
「もしかして、わざと悪評を広めたのか?」
「ううん。夫人にお茶会があるからって参加したら、って感じ」
「モニカ。その件を全て一つ残らず脳裏に刻んでおけ。お前が王妃になった時、やられたことを全てそのまま奴らに返すってことを忘れないためにな」
「そのまま返す」
「お前は虐げられることに慣れすぎている。育った環境がそうさせるのは分かるが、俺の隣に立つ女だ。遠慮はいらない」
確かに、メトミニー修道院では、パウラ院長の機嫌を損ねないようにするために必死に息を殺していた。
「言っても大丈夫なの?」
「そのうち、この国で俺以外にお前以外の人間は全て下になるのだ。なぜ、意見を聞き入れる必要がある」
合意してはいけない境界線のような気がした。しかし、リカルドの言っていることも一理ある。
先日の少女たちに関して、話し合って仲良くしましょうと言ったところで、改善はしないだろうと思った。
それに、王であるリカルドが背後にいると思うだけで、少しだけ強くなったような気がした。
「リカルドのように、自分の意見を聞かせるには、どうしたらいいの?」
私の表情が変わったのだろう。
リカルドは楽しそうに笑った。
「圧倒的になれ、モニカ。あの時、傷を負った俺を助けた褒美として、好きにやることを許可してやる」
夕日が地平線の彼方へ沈んでいった。
私はリカルドと繋いでいた手を強く握った。
「分かった。好きにやってみる」
☼☼☼
屋敷に戻ると、不機嫌そうな表情で夫人の淹れたお茶を飲んでいるルシアが待っていた。
「仕事がまだ城に残っているんですがね」
「そのおかげで、お前は夫人の美味しいお茶が飲めたんだろうが。夫人、俺にもお茶を」
「承知しました」
夫人は頭を下げた後、お茶を淹れるようにフィアンに指示を出した。フィアンは、なぜ王が従者と共に公爵家に訪れ、私とそばに置いているのか分からないようだった。
夫人は、私のところへ駆け寄ってくると、私を強く抱きしめた。
「私のせいで……」
優しい人なのだなと思った。だから、リカルドは私のそばに彼女を置いたのだ。私が嫌な生活を送らないように、外の世界で苦労をしないようにと。
「夫人のせいじゃないわ」
「いいえ、私がもっとちゃんと彼女たちのことを調べていたらよかったわ。とても感じのいい人だと思ったから、モニカとよいお友達になれたらって」
「その件で、ミス・ロペスと言い合いになってしまいました。あなたの家の評判を落としてしまってすみません」
「だから、彼女は辞めると言って出て行ってしまったのね。フィアン、お茶を淹れたら彼女の家に手紙を送ってちょうだい。そんなことで、仕事を放棄されたって噂が流れる方が、評判に傷がつくわ」
穏やかな夫人が珍しく憤慨しているので、あの日そのまま夫人に報告をすればよかったと後悔した。頼ってもよかったのだと思うと頑なになっていた心がほぐれていくのを感じた。
リカルドは淹れたばかりのお茶を黙って飲んでいた。
「その仕事を放棄した家庭教師には、戻ってもらうとして、本題はそちらではありません」
ルシアが神妙な面持ちで話に割り込んできた。
「モニカ様がおっしゃっていたセレナ・アミュタという人間ですが、先日捕まえたメトミニー修道院の人間たちの中に、そのような名前を名乗る人間はおりませんでした。責任者だと言っていたパウラ・サルディネロに確認を取ったところ、彼女はどこかに売り飛ばしたと言っております」
「売り飛ばしたって?」
「相当頭にくるような出来事があったそうで」
リカルドがオスランデスで反乱を起こした後、物資が止まり、パウラ院長が食べ物を管理し始めた時だ。私の食べ物を確保してきたセレナが、矢面に立って糾弾されてしまったのだ。まさか売り飛ばされているなんて。
「どうにか助けられませんか?」
私が事情を説明すると、ルシアは「結構前の話ですから、見つけるのは一苦労ですよ」と言った。
「でも、セレナは私を守ってくれていたの……」
「お前の部屋に、しっかり鍵はかけていたけどな」
リカルドが茶々を入れた。リカルドを匿っていた時に、彼はセレナを遠巻きにではあるが見ている。
「あの時は、ああしないとみんなが危なかったから……」
「まあ、いい。そのセレナ・アミュタが行方不明なのだが、お前の一存で決めようと思ってな。捜索は出すつもりだ。確保してすぐに解放という訳にはいかないが、身辺調査をしたのち大丈夫そうであれば、お前のそばに置いてもいい」
リカルドにしては寛大な対応なのだろう。ルシアが「私の仕事がかなり大変になりますけどね」と皮肉を挟んだ。
「セレナは、どこに売り飛ばされたの?」
「それは分かっておりません。パウラ・サルディネロは売り飛ばした先について口を割っておりませんから」
「生きてはいるのよね……」
「生憎ですが、それも分かっておりません。モニカ様が探せと命じるのでありましたら、私たちはセレナ・アミュタの創作を開始する予定です」
「お願います。大事な友達なんです」
ルシアはしばらく黙っていたが「あなたには、大事な仲間がまだ残っていていいですね」と静かに答えた。
それはいつもの冗談を皮肉にかぶせたような口調であったが、どこか本音も混じっているような気がした。
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