第12話 海の流れと星の位置
公爵に案内された部屋には、ルシアもいた。太陽の紋章が彫刻された漆黒の机の上には、何枚も海図が広げられている。
二人は苛立っている様子だった。リカルドは私の姿を見つけると「来たのか」とそっけなく言った。
プーチャの改善をお願いしようと思ったが、彼らの余裕のなさを見て、私は「何を探しているの?」と質問を変えた。
プーチャの檻の中は、ここへ来る前に清潔に掃除をお願いした。プーチャは私に会えたからか、安心して落ち着きを取り戻していた。
ルシアは返事をしなかったが、リカルドは「この海図には海流のルートが記されている。過去の商人たちが命がけで書き溜めたものだ」と答えた。
ミス・ロペスの厳しい訓練のおかげで、意味までは分からないものの簡単な文字は読むことができた。
私は、そこで一つのことに気が付いた。この間、カルが教えてくれた星の位置が変わっているのだ。
『ちなみに季節によって、目印になる星の位置が変わるから注意しろよ』
カルの言葉が脳裏によぎった。
「あの、オリバレス公爵。カルのことを呼ぶことはできますか?」
「カルとは誰だ。モニカ」
「私の屋敷に滞在している甥っ子であります。陛下。引きこもってばかりで、星を眺めているだけですから、お役に立てることはないかと……」
「男がいるとは聞いていなかったがな。まあ、いい。で、モニカはそいつを呼べと言っている。どういう理由からだか、教えてもらおうか」
リカルドの視線が、私の方へと向いた。
「カルは、季節によって星の位置が変わると言っていたの。だから、もしかしたらだけど、目印にする星の位置を間違えたんじゃないかなって」
「そんなまさか! 商船に乗るのは一流の航海士ですよ」
ルシアがありえないと首を横に振った。
「持ち出した海図の季節を間違えた可能性もある。それか紛失したか。盗む気がないのであれば、その線が濃厚だな。公爵、今すぐその甥っ子を連れて来い」
公爵は複雑そうな表情を浮かべていたが「承知しました」と部屋を後にした。
「モニカ。もし、そのカルがうまいことをやれば褒美をやろう」
貿易商船を見つける一筋の光が見えたことで、リカルドの機嫌は幾分かよくなったらしかった。
「じゃあ、プーチャを自由にしてあげて。あんな環境で育てるなんて聞いていないわ」
「環境は整えたはずだ」
「餌が腐っていた。あれが、あなたにとっての整えた環境なの?」
「餌が腐っていた?」
「あの状況で、餌が食べられなくなって、飼育している人が回収しなかった餌がそのままになっていたの。もう三日も食べてないって言われたから、私が呼ばれたんでしょう?」
私の剣幕に、リカルドは少しばかり圧倒されたようだった。
しかし、リカルドは落ち着いて私に話しかけた。
「わかった。じゃあ、モニカ。お前に質問しよう。ファブラ種のドラゴンを解放したとして、お前はそのドラゴンがどこで餌をとってくるというのだ?」
「海で魚を取ってくるわ」
「メトミニーには、餌が魚くらいしかないからな。だが、シヴェレ海は、モレスタ王国の漁業指定区域でもあるんだ。漁師たちが国に申請して縄張りを決めている。そんなところにドラゴンを放てるわけがない」
リカルドは言葉を続けた。
「それに、ここには、住人がいる。子供や動物もいる。ファブラ種のドラゴンは、肉食だ。味を覚えたドラゴンが、子どもを襲ったら? お前は責任が取れるのか?」
「プーチャはそんなことしないわ」
「お前は、ドラゴンと意思疎通ができる。だが、他の人間はできない」
「じゃあ、私がプーチャの面倒を見るわ」
「自分の立場や状況が分かっているのか? 今、お前がここで目立つ行為をしてみろ」
「分からないわ! ずっと幽閉されていたんだもの! 何も知らないのよ! ここに来てから、リカルドともちゃんと話をしていない。あなたがどんな人だか、他人から聞くばかり」
「だから、俺が悪魔だと? 甘い言葉で誘惑して、モニカ、お前を利用して、ドラゴンの力を好きなように利用しようとでも?」
ルシアの視線が一瞬こちらへ向いた。
「そんなこと言ってないわ。私はただ、プーチャがあんな状況では、苦しいから、かわいそうだって」
「先ほども言ったはずだ。ファブラ種は肉食ドラゴンだ。解放はできない。だが、餌の世話などは改善をさせよう」
リカルドは、自分の方針を変えるつもりはないようだった。
しばらく部屋の中は重苦しい雰囲気が流れていた。
「思っていた以上に、陛下がモニカ様のことを大事に想っていらっしゃることが分かって、なによりですね」
ルシアが冷ややかな口調で言ったので「皮肉はやめろ、ルシア」とリカルドが彼を睨みつけた。
「私はモニカ様に一票ですね。ファブラ種の扱いはともかく、陛下が本当に彼女を利用する目的以外でご婚姻されるのでしたら、対話する時間が少なすぎますから」
ペペは困ったような表情を浮かべているだけだった。
ノックの音がして、息を切らした公爵が戻って来た。
「甥っ子とやらを連れてきたのか?」
「はい。陛下。私の弟の子供でありますカルロス・オリバレスと申します。ほら、陛下の前だ。お前も挨拶をしろ」
カルはオリバレス公爵に無理矢理頭を下げさせられていた。
うんざりしたような表情で、頭を下げた後「お初にお目に書かれて光栄です、陛下」とふてぶてしい態度で言った。
「星に詳しいと言ったな」
カルはリカルドの方を一瞥したあと、海図を指さして「この海図の星の位置が違う。ここ一年で、一つ星が消滅している」と答えた。
「星が消滅したなんて、誰も言っていなかったぞ」
公爵が変なことを言うなといわんばかりの態度で、自分の甥っ子の肩を揺さぶった。
「大きな星じゃない。細かい星。この時期は、ナイルとボレスの作る五角形の星を目印にするけど、左下の星が一つ消滅しているから、この星と間違える船乗りは多いんじゃないかな」
カルの言葉をリカルドが静かに聞いていた。
「で、間違えたら船はどこへ向かう」
「その星を間違えたんだとしたら、今頃レモートス王国との間の小島で迷子じゃないかな。伯父様の言うフルークトヌ海流で沈んでいる可能性は低いと思いますよ」
☼☼☼
カルの助言通り、リカルドが出した応援の船に引き連れられて迷子になっていた貿易商船がモレスタ王国の港がある露ジェンヌ湾に姿を現したらしい。
大手柄となったカルは、リカルドから城で働かないかと誘いを受けたそうだ。
「星ばかり見ていて弟夫婦は困っていたが、一つのことを掘り下げる能力というのも、たまには役に立つのだな」
自分の身内が王から認められたことに機嫌をよくした公爵が、祝いの品をたくさん買ってきて、私たちに振舞った。
王から命令を断れるはずもなく、カルは毎日王宮へ通うようになった。
夜中の星空観察の時間が減ると愚痴をこぼしていたが、どうやら幼い頃から星以外の興味が薄かったらしい。星を仕事にできるというのが嬉しいといった感情もあるらしかった。
いつものようにミス・ロペスにしごかれていた日の夜だった。城から戻って来たカルが、私の部屋にノックしてやってきた。
「どうしたの? カル」
「陛下から、あの日俺を呼んだのは、モニカの案だって聞いたから、御礼を言おうと思って」
「私は……カルの言葉を覚えていただけ。カルの手柄よ」
「俺、陛下は悪い人じゃないんじゃないかって思っている」
「突然どうしたの?」
「いや、前にモニカに、陛下の悪い噂を知らずに流したからさ。あの人は、ちゃんと自分の人生を受け入れて、国を作ろうとしている人だ。分かってくれる人は少ないと思うけど」
あまりにカルが神妙な面持ちで言うので、本心で思っているのだと分かった。
「でも、本心は言わないわ」
「本心は言えないだろうね。あんな苦しい人生を歩んでいる人は少ないよ」
『あの男の中に巣を作った悪魔を取り除くのは、一苦労だよ』
ボバの言葉が蘇る。否定したくても、こびりついてしまっている。
「とにかく、モニカには御礼を言いたかった。俺の人生を変えてくれた恩人だ」
優しく微笑むカルに、私は合わせるように微笑んだ。
どうしたらいいのか分からなかった。
誰の言葉を信じたらいいのか分からない。
助けてくれたリカルドを信じるべきなのか。プーチャを頑なに解放しようとしないリカルドに対して、分からずやと怒るべきなのだろうか。
どうして、私を花嫁にしようと思ったのか。
何も分からない。
メトミニー修道院にいた時より、暮らしは楽なはずなのに、心が不自由だった。
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