第10話 星空の出会い

 ミス・ロペスは私のことを教えるのを諦めてくれればと願ったが、どうやら叶わないらしい。


「文字も読めない子を公爵家の令嬢としてデビュタントさせたという実績は、大きな広告になるかもしれないわね」という公爵夫人の言葉にうまく乗せられたようだった。

 教育魂に火がついてしまったらしいミス・ロペスは「いいですか? 明日までにこの文字を全て暗記してきてください」とモレスタ王国で使われているリンガ文字を紙に書き、私に渡した。


 どうやって暗記をしたらいいのか分からないので、眺めていると「暗記をする時には、書いて、話して、聞いて覚えるのです」と私にペンを持つように指示をした。


「いいですか。リンガ文字は三十二の文字から形成されています。一つ目から、アルマ、ベリタ……と続いていきます」


「アリマ……ベル……」


「アリマ、ベリタです」


「アリマ、ベル」


「ベ リ タです! たった二文字目ですよ、ミス・マルドナド」


 そのような調子で進んでいくので、授業が終わる頃にはお互いぐったり疲れていた。


「いいですか?  明日までに完璧に覚えてくること」


 ミス・ロペスは自分の鞄を持って、屋敷を後にした。帰り際に夫人に夕食を誘われていたが「結構です!」と鼻息荒く帰宅していったらしい。


 私も夕食を食べる気になれず、自室で今日の復習をすることにした。ベッドに倒れ込んで寝てしまいたい気持ちになったが、おそらく眠ってしまったら、あっという間に朝がやってきてしまうだろう。

 ミス・ロペスは明日の朝にまたやってくると言っていた。

 また今日のように大きな声で馬鹿にされたようなことを言われたら、気持ちが持たないと思った。


「アリマ……ベリタ……トルク、フォリス」


 教えられた文字を一つ一つ読んでいく。


 しかし、ずっと読んでいるうちに、机に伏して寝てしまったようだった。

 お腹が鳴る音で目が覚めた。窓から見えるオスランデスは、城だけが煌々と明かりを放っていた。


 私は、何か残り物が残っていないか屋敷の中を徘徊しようと、部屋の外へ出た。


 ☼☼☼


 一階に降りた時、厨房にはまだ明かりがついていた。夫人がいるのかと思った私は「あの、お腹がすいてしまって……」と中に誰がいるか確認もせずに声をかけてしまった。


「何?」


 中で料理をしていたのは、まるで白い砂のような肌を持ち、太陽のような美しい黄金の髪の毛を持っている青年だった。


「ごめんなさい」


 私が慌てて去ろうとすると、青年は淡々とした様子で「あんたも一緒に食べる?」と尋ねてきた。


「いいの?」


「別に。どうぞ」


 椅子に座るように促されて、私は腰をかけた。

 青年は、黙々と何かを煮込んでいるようだった。

 しばらく経って「はい。これあんたの分」と皿に一杯のスープと、焼き立てのパンを木製の板の上に乗せて置いた。


「ありがとう……えっと」


「カルでいいよ。あんたの名前は?」


「私は、モニカ」


「モニカね」


 カルは自分の分のスープとパンを準備すると「食べようぜ」と言って黙々と食べ始めた。

 ざく切りにした大きな野菜がたくさん入ったカルのスープは、美味しかった。


「おいしい」


「そう、よかった。切ってちょっと調味料入れただけだけど」


 私の料理への感想を聞いて、機嫌をよくしたらしい。カルは「あんた、公爵家に養子にくる子だよね?」と私に尋ねた。


「そうです……多分」


「多分ってなんだよ。今日、日中、すごい叫び声がしたけど、あれはあんた?」


 私はカルの質問に首を横に振って、ミス・ロペスの話をした。


「確かに、文字が読めないのは、相当驚かれるだろうね。市民はともかく、モレスタの貴族たちの識字率は高いから」


「みんな読めるの?」


「みんなってわけではないけど、オリバレス家に来るくらいだから、その教師は優秀な生徒だと思ったんじゃない? 俺から言わせれば、文字だけ読めてもバカな奴らが多いって印象だけどね。貴族の奴らは」


「でも、みんな私よりできるよね?」


「まあ、リンガ文字から習っている人間よりはできるんじゃない? で、覚えたの? 言ってみ」


 突然カルが、リンガ文字を言えるか確認してきたので、驚いて彼の方を見る。


「明日までに言えないといけないんでしょ? そりゃ、こんな時間までやっていたっていうなら確認したくなるでしょ」


「そんな……」


「いいから、言ってみ」


「アリマ……ベリタ……トルク、フォリス」


 誰かに確認されながら暗唱させられると、覚えていたはずなのに頭の中から言葉が去って行ってしまう。


「えっと……」


「……ちょっと、その教師が気の毒かも。モニカ。あんた、今夜はまだ時間ある?」


「……でも、ちゃんと覚えないと」


「言い方を間違えたな。覚え方に問題ありだから、覚えられるよう、教えてやるよ。拒否権はなしな」


 カルは私に「早く食っちゃえよ。夜が明ける」と突然食べることを急かしてきた。私は、一体彼が何を考えているのか分からず、しかし、言われるがまま、残っているスープを飲み干した。


 ☼☼☼




 カルが案内してくれたのは、オリバレス公爵邸の屋根裏だった。屋根裏といっても、人が住めるくらいに整備されており、私が幽閉されていた西の塔よりはずっと美しい調度品が設置されていた。


「靴だけ脱いで。俺、この絨毯の上で寝っ転がったりしたいから、靴で汚されるの嫌なんだ」


 靴を抜いて絨毯の上に足を乗せた。絨毯は、見た目よりもふわふわしていて、足の裏がくすぐったい。


「こっちに座って」


 カルは私を自分の隣に座らせると、カーテンを開いた。

 大きな窓の向こうには、メトミニー修道院で見ていた夜空と全く同じ星々が輝いていた。


「この屋敷は、海辺に面しているから、明かりが少なくて星空観察にはもってこいなんだよ。あの城の明かりが邪魔だけど」


 夜中もずっと明かりが灯っている城は、商船が戻ってくる時の目印のひとつらしい。なので、消えることはよっぽどのことがないとないそうだ。


「消えたことはあるの?」


 なんの気なしに質問をすると、カルは驚いたように目を丸くした後、私が何も知らないのだと察したようだった。


「現太陽王が、前太陽王を殺した時だけ。城から明かりは消えた。噂によると、その時の城はひどい有様だったらしいね。老王アレハンドロの死体はバラバラになって玉座の下に打ち捨てられ、第四王女カルーラの遺体も部屋の中でそのままになっていたらしい。第三王女ベラトリスだけ、生き延びたという噂だけど、行方不明だ。生きているかどうかも怪しいね。特に、彼女は第七王子のことを忌み嫌っていたから」


「……そうなんだ」


「前王族が、いくらひどい扱いをしていたとはいえ、やりすぎなんだよな、悪魔の第七王子はさ。いい顔して近づいてってのが奴のやり方らしいぜ」


 カルは、あまりリカルドに対して良い印象を抱いているようには見えなかった。私があまり反応しなかったので「分からないよな。そんなこと言われても」とリカルドの話自体をやめてしまった。


 私の知っているリカルドと、周りの人間が言うリカルドの人物像に差がありすぎて、彼が本当はどのような人物なのか分からなくなってしまった。


 宮廷占い師ボバも、使用人たちも、ルシアも、ペペも、カルも、みんなリカルドのことを悪魔だと思い込み、彼が恐ろしい人物だと思っている。だが、傷だらけでメトミニー修道院に迷い込んできたリカルドは、私を利用しようとして近づいてきたようには見えなかった。

 傷を負い、行宛てを失っているように見えた。王族だったというのにも関わらず、汚いベッドの下に隠した時も、多少文句は言っていたものの、私に危害を加えるようなことはしなかった。


「モニカ?」


 考え込んでいる私にカルが窓の外を指さした。


「あの四つの星見える?」


 カルの指した方を見ると、四つの星が四角形に並んでいるのが見えた。


「見えた」


「あの右上の名前がアリマ。リンガ文字の起源と言われている星。伝記上ではね」


「でんき?」


「昔から伝わる話だよ。モレスタ王国は、モレスタっていう旅人がこの砂地に国を建国した。その時に、星の名前から、文字を作ったと言われている。三十二の星は、航海に出た時の目印。風と星の位置で、旅をしてきた旅人ならではの考え方だよな」


 ただの文字だったアリマという言葉に意味ができたことによって、突然私の中で、しっくりと先ほどの文字たちが腑に落ちてきた。


「他の文字は?」


「興味がわいたか」


 カルは私が星空に興味を持ったことが嬉しいようだった。

 カルは、天井についている金具を長い引っかけ棒でひっかける。すると、天井が開き、人が一人通れるほどの穴が開いた。そこから、夜空が見える。


 カルは、部屋の端に置きっぱなしになっていた梯子を持ってくると、私に上に登るように言った。

 私が怖がらずに登って行ったので「あんた、他の貴族のお嬢さんとは違うな」と苦笑いを浮かべていた。


 屋根の上に登ると、辺り一面の星空が広がっていた。

 先ほど教えてもらったアリマの星が、くっきりと浮かんで見えた。

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