第4話 はじめての食事


 私の返事を聞くと、ルシアは大騒ぎしているパウラ院長を連れ出すよう兵士たちに指示を出した。

 静まり返った大聖堂の中でルシアは「準備ができるまで少々ここでおまちください」と静かに言い放った。


「あの……」


「何か?」


「ここにいた修道女たちは?」


 今までメトミニー修道院では、たくさんの修道女たちがいたはずだった。


「彼女たちは、聴取を受ける予定です」


 ルシアが淡々と言葉を述べていく。


「セレナは……? 彼女は無事なの?」


 セレナのことが気がかりで、縋り付くように尋ねる。

 私のせいで、パウラ院長にひどい目にあわされていなければいいと思っていた。

 自由になった今、今度は、私が彼女を助ける番だった。


「気になる人間がいるというのは分かります。しかし、彼女たちがここで何をさせられていたのか、我々の聴取が終わるまで、ここにいた人間たちと関わるのはご遠慮願います」


「彼女たちが、ここで何をやっていたのかなんて、すぐ言えるわ。だって、アレハンドロ大王の愛人になるために、時期になるまでここにいることに……」


 私の言い分を聞いて、ルシアは首を横に振った。


「それは、真っ赤な嘘です。アレハンドロ大王が指示を出していたというのは本当ですが、愛人になるような人間が、このような場所で隔離されるわけがありませんから」


 愛人になる予定ではなかったとは、どういうことだろう。

 パウラ院長も、王宮からやってきた使者も、口を揃えて『愛人になるためだ』と私に言い聞かせていた。


『愛人になるような人間が、このような場所で隔離されるはずがありませんから』といったルシアの言葉は、私に鉛のような重い衝撃を与えた。


「では、どうして私はここに幽閉されていたの……?」


 絞り出すように声を出した。

 もう意味が分からない。


「大変申し訳ありませんが、そのことを調べるために聴取をするのです」


 私の動揺を気にする風でもなく、ルシアは淡々と言葉を返してくる。


「おかけください」と言われ、大聖堂の中にある椅子に座らされた。


 兵士たちが慌ただしく修道院の中を走り回っている。

 ルシアは、苛立った様子を隠す気もないらしい。貧乏ゆすりをし「遅い」と小さな声で呟いていた。

 声をかけていいのか分からず大人しくしている。

 経験上、こういった不機嫌な人間の前であまり目立つような真似をしてはいけないということを学んでいたからだ。

 ステンドグラスから差し込む様々な色を、じっと見つめていると、兵士たちが飲み物と食べ物を持って私のところへやってきた。


「何時間かかっているんだ」


 不機嫌なルシアを見て、兵士は怯えたように「大変申し訳ありません」と頭を下げた。


「テントの準備は?」


「もうすぐ完了いたします」


「こんなところにいたら、神経やられる。さっさと準備しろ」


「承知しました」


 兵士が去って行った後、ルシアは私の方へと向き直った。


「こちらどうぞ、お召し上がりください」


 今まで見たことがないような食べ物だった。


「マグヌス種のドラゴンの腸詰と、アラティウムと蜜を練り込んだ焼き菓子です。宮廷に行けば、もう少しマシな食事を提供できますが、遠征地では腐るのを考慮してこのような食事になります」


 まじまじ観察している私に、ルシアが説明を添えたが、元々の形が分からず曖昧に返事をした。


 しかし、ルシアはあまり私の反応を気にしているようではなかった。


「こちらは、先ほど説明したアラティウムの果実酒です。甘くて飲みやすく、女性に人気ですので、お気に召すかと思います」


 何から手をつけていいのか分からず、とりあえず喉が渇いていたことを思い出して、果実酒が入った瓶を手に取った。


「こちらのカップをお使いください」


 じかに飲もうとしていた私から、瓶をそっと取り上げて、ルシアは綺麗に磨かれた銀色のカップに酒を注いだ。

 オレンジ色の液体が、カップの中でゆらゆらと揺れている。


「ありがとうございます」


「礼など必要ありません」


 液体を口に流し込むと、甘い香りが鼻から抜けていった。

 経験したことのない味ではあるが、一瞬で気に入った。


 途端に空腹であったことを思い出し、焼き菓子にも手を伸ばす。

 酒と同じ果実が使われている焼き菓子は、ふんわりと柔らかく、中に果肉がたくさん使われている。

 しっとりしている焼き菓子を、酒で流し込んだ。


 次に、腸詰に手を伸ばす。

 焼き色のついた茶色の腸詰は、少し冷えてしまっているものの、まだ少し温かい。

 どのような味がするか分からなくて、匂いを嗅いでみると、食欲のそそる香ばしい香りがした。


 一口齧ってみるが、少し血の味が濃くて、あまり得意ではなかった。


「苦手なものは、残していただいてかまいませんよ」


 ルシアにはそう言われたが、今までの自分の環境を考えると、残すという選択肢はなかった。

 

 ☼☼☼


 食事を終えて、少しだけ胸の辺りに気持ち悪さが残っていた。なるべく顔に出さないようにして待機を続けていた。

 しばらく経つと「大変お待たせしました」と兵士が息を切らして大聖堂の中へ入って来た。


「遅い」


「申し訳ありません。逃げ出した女に手こずりまして」


 パウラ院長のことを指しているのだろかと考えながら、私は二人の会話を黙って聞いていた。


「全員残らず確保したのだろうな」


「問題ありません」


 問題ないと報告を受けたルシアは、私の方へと向き直った。


「これからテントの中にご案内いたしますので、少しお休みになられてください。これから、首都オスランデスへと向かいますので、少し英気を養われた方がよろしいですよ」


「あの……」


「なにか?」


 ルシアは、早く次の行動に移りたいようだった。

 面倒だという表情を隠しもしない彼に、私は遠慮がちに伝えた。


「いえ、外に大切に育てていた友達がいるので、一緒に連れて行ってもよいですか?」


「育てていた? 種族によります。概ね問題ありませんが、一度確認させていただいてからでもよろしいですか?」


「分かりました」


 セレナのことが気がかりだったが、今、騒いでもどうにもならないということが分かり、今度はプーチャのことが気になった。


 護衛を引き連れてではあるが、生まれて初めて自由に外を歩いた。

 普段は使うことすら許されていなかった修道院の正面玄関の扉が、開かれる。


 はじめは、まぶしくて目を開けていられなかった。

 生暖かい風を受けながら、太陽の光が肌に吸い込まれていくのを感じた。

 太陽によって温められた、流れる砂の上を歩く。

 ボロボロになった靴の中に入り込む砂が、温かくて、私はしばらくじっと立ち止まっていた。


「それで、モニカ様。どちらへ向かわれるのですか? 広大な砂漠しか見えませんが」


 ルシアが、立ちとどまっている私を急かした。 


 本当に早く次の行動に移りたいようだった。


 私はメトミニー修道院の外観を見つめ、自分が使っていた西の塔の位置を確認した。西の塔の向こう側にある海の方へ歩き出したので、兵士たちは戸惑いながらも私を後をついてきた。


 白亜の断崖の先にある広大な海が、これほど澄み切った淡い青緑色だとは思ってもいなかった。

 生まれて初めて昼間の海を確認した私は、胸の奥が熱くなるのを感じた。


「モニカ様。それ以上先へ進むのはおやめください」


 兵士の一人が、私の前に立ちはだかった。断崖に向かって歩いて行くので、自害すると思ったのだろうか。


「違うわ。プーチャ!」


 大きな声でプーチャを呼ぶ。私の声を聞きつけて、崖の洞穴の中から、大きな羽を広げてプーチャが飛び出してくる。


 無事でよかった。

 ここ数か月で、少し大きくなったようだ。


 太陽の下で見るプーチャは、鱗が黄金色に輝き、反射する虹色の光が、砂をキラキラと照らしていた。

 想像していたよりも美しい光景に、私は更に胸が締め付けられるような感動を覚えた。


「ファブラ種のドラゴンだ!」


 一人が大声をあげた。


「なんで、こんなところに一匹だけ!」


「モニカ様! お逃げください! ファブラ種のドラゴンは、非常に気難しく、人に危害を与える種族です!」


 慌てふためく兵士に、ルシアが「怯むな! モニカ様をお守りしろ!」と怒鳴った。


 はじめは、どうして兵士たちがそれほど取り乱しているのか分からなかった。


 あれほど冷静沈着だったルシアまでもが、取り乱す様子を見て、私はちゃんとプーチャの存在を事前に伝えなかったことを後悔した。私は大丈夫でも、彼らは野生のドラゴンを恐れているのだ。


 兵士たちが剣を取り出してプーチャを威嚇したことで、ファブラ種のドラゴンはひどく混乱した。


「暴れ始めたぞ!」


「大人しくさせろ!」


 大人数の兵士に囲まれ、怯えるプーチャ。

 私は、押さえ付けてくる兵士を思い切り振りきろうとした。

 

 しかし、兵士の力は想像していたよりも力が強く、身動きが取れない。


「お願い、この子は怯えているだけなの!」


 声を張り上げるが、混乱している現場で、私の声は届かなかった。

 どうしようと泣きそうになっている時だった。


「剣を下ろせ」


 低く、よく通る声だった。砂漠の中に静寂が広がる。

 一瞬、私を押さえる力が弱くなったので、振り払ってプーチャのところへ駆け寄った。

 怯えるプーチャは、私を見つけると甘えるようにすり寄ってくる。


「危ないです」と声をかけようとしてくる兵士に、一人の男が手で制すのが見えた。


 太陽の光で男の顔は見えない。

 青い布に、黄金の刺繍。

 兵士たちが、男に向かって頭を下げる。


「ファブラ種のドラゴンは、非常に気難しく、人に危害を与える種族ではある。だが、お前は例外だ。そうだろう、モニカ・マルドナド」


 浅黒い肌を持った男の声を聞いて、私は混乱した。

 男の声は、覚えている。

 この数か月の間、何度も何度も思い出した男の声だったからだ。

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