第2話 メトミニー修道院


「モニカ! モニカ・マルドナド!」


 扉の外から、パウラ院長の金切り声で目が覚めた。

 朝日が小窓から差し込んでいる。


 私は慌てて、はみ出しているリカルドの手をベッドの下へ入れた。

 もし、見つかってしまったら、彼がどのような目にあってしまうか分からない。


「返事をしな! いるんだろうね?」


 いつもより苛立った声色に、私は背筋が凍る。

 昨晩、私が部屋を脱走して砂漠の中を駆け回っていたことを、密告した者がいるのかもしれない。


「はい。パウラ院長」


 重たい錠前の鍵が開く音がして、眉間に皺を寄せたパウラ院長が、部屋の中に入ってきた。

 彼女は、私の姿を見つけると脅しをかけるように、右手に持った鞭を床に叩きつける。


「午後に、アレハンドロ大王の使者の方がここへいらっしゃる。お前が、愛人としてしっかり発育しているかどうか確認するそうだ。くれぐれも余計なことを言うんじゃないよ!」


 パウラ院長は、私が返事をする前に、もう一度睨みつけ、部屋を後にした。

 どうやら使者の人が来るので、脅しも兼ねて不機嫌を装っていたらしい。


「分かりました」


 錠前に鍵をかけ、院長がドスドスと床を踏み鳴らす音が遠くに聞こえるまで、私はじっと息をひそめた。


「ひどい金切り声の女だな」


「目が覚めたんですね」


「あれだけ大きな声を出してくれればな」


 リカルドは「身体が痛いから、少し出るぞ」と言ってベッドを持ち上げた。

 ベッドは、彼の足によって床から浮かされる。私は彼を手伝うように、ベッドを支えた。


 昨晩は、暗くてよく見ていなかったが、明るいところで見てみると、リカルドはとても美しい容姿を持っていた。

 浅黒い肌に、多少寝ぐせはついているものの、肩まで伸びた艶やかな黒髪。すっきりと通った鼻筋に、形の綺麗な唇。特に印象的なのが、星空のような深い青色の瞳。


 太陽の光に当たることがなかったせいで、青白い肌に、灰みがかった黄色の瞳。そして癖のひどい赤毛を持つ私とはまるで正反対の容姿だ。


 生まれてこのかた自分の容姿を気にしたことなどなかったが、なぜだか途端に恥ずかしくなって、私はおずおずとリカルドへ尋ねた。

 なんとか癖毛の赤毛をまとめようとするが、頑固な髪の毛はいうことを聞かない。


「……怪我の手当てをしてくれたこと。感謝する」


「怪我の具合はいかがでしょうか?」


「昨日よりは、ずっとましだ」


「よかった……。残りのお水もあるので、好きに飲んでください。でもこれしかないので、慎重にお願いします」


「お人よしだと言われたことはないか?」


「人とそこまで接してきていないので、分かりません」


「王の愛人として育てられているにしては、些末な扱いをされているようだな」


 部屋の様子をぐるりと見まわしているリカルドに「他の生活を知らないのでなんとも言えませんが、リカルドから見て、私の境遇はやはりおかしいのね」と答える。


 私の回答に、リカルドは「そうだな」と小さく笑った後、顔を歪めた。

 傷が痛むようだった。


 ☼☼☼


 午後になると部屋にリカルドを残したまま、私はパウラ院長に連れられて、アレハンドロ大王の使者と名乗る男の前に立たされていた。

 使者は月に一度、私がメトミニー修道院で生存しているか確認しに来るのだ。


「ふむ……少し、痩せすぎじゃないか?」


 細身の男は、小さな眼鏡でピントを合わせながら、私の身体を舐めつくすように確認する。

 いつも来ている使者とは違う。

 詳しくは分からないが、王宮で外せない用事が出来てしまったとのことだ。

代わりに来た気弱そうに見えたのだろう。

 態度を強気に出られると判断した時のパウラ院長は、特にたちが悪い。


「私がこの子に食事を満足に与えていないと言いたいのかい?」


 全くその通りなのだが、パウラ院長は声を荒げながら使者を睨みつけた。


「陛下のお好みに合わせるのであれば、もう少し食事をとらせてください。これでは、連れて行った時に私を含め全員処罰は免れません!」


 パウラ院長の圧に負けそうになりながらも、使者は私を見ながら叫んだ。

 院長は、深いため息をついた後「この子を連れて行きな」と他の修道女を呼び、私を部屋へ送るように指示を出した。

 扉の向こうから、パウラ院長と使者の口論する声が聞こえてくる。


「私たちは、この子のせいで、こんなメトミニーと呼ばれる僻地で生活しているんだ! そんなにあの赤毛を太らせたいなら、支援金をもっと寄こすんだね」


「メトミニー修道院への支援金は、もう充分お渡ししていると伺っております。これ以上は、陛下に言い逃れできません」


 支援金は全てパウラ院長の懐に入っている。

 見え見えの恐喝に、使者はいくら渡すのだろうか。


 ☼☼☼


 部屋に戻ると、セレナが救急箱を持って待っていた。


「あんた、これ以上この子に肩入れすると、また鞭でぶたれるよ」


 私を連れてきた修道女が、セレナに呆れたような視線を投げた。この修道院で私に味方してもいいことがないのを、修道女たちはよく理解しているのだ。


「今度何か仕事代わるから」


「砂除去の掃除五回で許してあげる」


「げえ、五回? 二回じゃだめ?」


「四回」


「三回は?」


「しょうがない。手を打ってあげる」


「ありがたい。感謝いたします」


「院長は、まだ下で使者に金を無心しているから、何か渡すものがあれば渡しちゃえば?」


 それだけ言うと私を連れてきた修道女は、鍵をセレナへ渡し去って行った。


「セレナ。大丈夫なの?」


「私は大丈夫よ。モニカを連れてきたのが、仕事をできるだけさぼりたい子でラッキーだったわ。それよりも、怪我は大丈夫なの?」


 心配そうな表情を浮かべるセレナに、私は良心が痛んだ。

 しかし、セレナにリカルドのことを打ち明ける気にはなれなかった。


「セレナが薬を分けてくれたおかげで大丈夫」


「ならよかった……」


「心配かけてごめんね」


「あやまらないで。そんな気を遣う関係じゃないでしょ。ところで、食事は?」


「まだよ」


「そう思って、これに食べられるものつめてきた。乾燥パンとチーズだったら日持ちもするかなって。あと、追加の水ね。あの不機嫌具合だと、しばらく食事抜きだろうし」


 救急箱の中には、詰められるだけ食事と水が入っていた。

 これだけあれば、リカルドと二人で分けても三日は持つだろう。


「ありがとう。セレナ」


「院長にばれないようにね」


 セレナと別れを告げ、部屋の中に入ると、錠前の鍵を閉める音が聞こえた。

 セレナの足音が聞こえなくなった後、私は「リカルド? 無事?」と小さな声で彼を呼ぶ。


「無事だ」


 ベッドの下から身体を出し、左腕をかばいつつ彼は大きく伸びをした。


「メトミニー修道院で作った乾燥パンとチーズ、差し入れしてもらったの。けっこうおいしいのよ」


「ああ、ありがとう」


 リカルドはそれ以上言わなかった。

 気まずい空気が流れていた。


 考えてみれば他人とこれだけ長い時間を共に過ごしたことがなかったのだ。

 小窓から、西日が差しかかっている。

 一部だけ橙色に染まった部屋の中で、リカルドが黙々と乾燥パンとチーズを食べていた。


「あと、お水も……」


 私が言葉を続けようとした時「ここから逃げたいと思ったことはないのか?」とリカルドが尋ねた。


「逃げたいと何度も思ってきたけれど、行く当てがないから」


 祖国のウィクス王国は、もう既にモレスタ王国の手によって新なものに作り替えられてしまっているだろう。

 今さら私が戻ったところで、どうしようもない。

 それに、万が一「今から国を取り戻しましょう」と言われても、何をしたらいいのかも分からない。


「俺と一緒に、ここを出るか?」


 突然のリカルドの誘いに「一緒にって?」と私は聞き返した。


「言葉の通りだ。行く当てがないなら、俺と一緒に来ればいい。明日、俺はここを出るつもりだ」


「どこへ行くの?」


「モレスタ王国の首都オステンデスにある俺の家だ。今よりもっと贅沢な暮らしができるぞ」


「贅沢って?」


「まず飯がたくさん食える。乾燥パンとチーズも悪くないが、マグヌスといったドラゴン肉の腸詰や、アラティウムという橙色の果実から作った酒は、比べ物にならないくらいうまい」


 聞いたことのない食べ物の話に、私は身を乗り出した。


「それは、どんな味がするの?」


 リカルドの説明を聞きながら、メトミニー修道院の砂漠の果てにある都を想像した。


 一緒に行ってみたい。


 その言葉が喉まで出かかった時、セレナの顔が脳裏に浮かんだ。

 このメトミニー修道院は、私がアレハンドロ大王の愛人になることによって生計を立てている。

 パウロ院長が、その収益のほとんどを自分の懐に入れているとしても、行く当てのない娘たちの生活が保障されていることに変わりはない。


 もし、私が勝手に行方を眩ませてしまったら、逃がしてしまった責任を取らなくてならないとしたら。彼女たちはどのような目に合うのだろう。


「行きたいけど、行けない」


「どういう理由だ?」


「友達が、ここに残っているから」


 セレナは、特に危険を冒して私に親切にしてくれている。彼女を置いてこっそり出て行くことはできない。


「友達は、部屋に鍵をかけるのか?」


 リカルドの言葉に、私は言葉に詰まった。


「でも、私がいなくなれば、彼女たちがどのような目にあうか分からない。見捨てることはできないわ」


「自分の利益よりも、他の者を優先するのか。逃げれば、安心して暮らせる生活をさせてやると言っているのだぞ」


「アレハンドロ大王の愛人になれば、少しは優遇できるかもしれない。みんな行き場のない子たちだから。でも、私がいなくなれば、何をされるか分からないわ」


「助ける義理はないのではないか? 見ていれば、お前を卑下する者ばかりだ。お前を食い物にして、自分の身を守り、平然と暮らしている奴に、一矢報いてもいいではないか。生きる価値などないかもしれないのだぞ」


 リカルドの雰囲気が、ガラリと変わった。

 重々しい空気を纏う彼に「私は、できない。したくない」と答えた。

 視線を逸らしたら負けだと、私は震える手を握りしめてじっと彼を見つめた。

 しばらく不機嫌そうな表情を浮かべていたリカルドだったが、突然彼は楽しそうに笑った。


「気に入った。モニカ、お前を嫁にすると決めたぞ」


「え? 今の話のどこにそんな要素があったの?」


 突然のプロポーズに、私は混乱して思わず大きな声が出てしまった。


「ほら、あまり大きな声を出すと、あのうるさい院長が鞭を持って登場してしまうぞ」


「もしかして、からかってるの?」


 一瞬期待してしまった自分が恥ずかしくなって、私はリカルドを睨みつけた。


 太陽が砂漠の水平線の向こうへと沈んでいく。

 部屋の中が薄暗くなっていくので、私は蠟燭に火をつけた。

 振り返ると、リカルドが私の近くに立っていた。ひどく真剣な表情を浮かべている彼は「俺は、冗談で結婚を申し込んだりしない」と答えた。


「モニカ。少し時間がかかるかもしれないが、待っていろ。必ず状況を整えて、お前をここから解放すると約束しよう」


 そう宣言した次の日、目が覚めるとリカルドはベッドの下から消えていなくなっていた。

 抜け穴から出て行ってしまったようだ。


 昨晩のことを思い出して、顔が赤くなる。

 信じてもいいのだろうか、と淡い期待が私の胸中に芽生えた。


 しかし、数か月経っても、リカルドは戻ってこなかった。

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