第1章 囚われの姫君

第1話 砂漠の姫モニカ・マルドナド


 白亜の断崖に建てられた教会の西の塔に、私は幽閉されている。


 手のひらほどの小さな窓から見えるのは、辺り一面の砂山のみ。流れる砂に当たる太陽の位置を確認して、一日の終わりを確認するのが日課の一つだ。

 亜麻色の土壁に囲まれた部屋の中は、驚くほど何もない。


 モニカ・マルドナド。

 その名を名乗れば、一部の人間は驚き私の顔を二度見ることになるだろう。

 大国モレスタ王国に、戦で負け滅ぼされた小国ウィクスの元王女。


 しかし、滅ぼされたと言っても、私に幼い頃の記憶はない。両親の顔すらうろ覚えだ。

 私が覚えているのは、目隠しをされ、どこの場所かも分からない砂漠の中にあるメトミニーと呼ばれる修道院の部屋へやって来た時である。


「お前は年頃になれば、アレハンドロ大王の愛人の一人として献上される。それまでは、身を清くし、この修道院から外に出るのを禁じる」


 初めて会った時に、パウラ院長と名乗る中年の女性はそれだけ言うと、私をこの古びた部屋の中へ閉じ込めた。黒髪に白髪の入り混じった手入れのしていなさそうな縮れた毛が、やけに印象的だった。幼い私は、ただ怖くて、怖くて泣きじゃくることしかできなかった。


 人に会えるのは、食事を運んでくる時のみ。寂しくても、体調が悪くても、気にかけてくれる人はいない。

 静寂の中、孤独と対峙する日々が続いた。


 部屋に抜け穴があると気が付いたのは、幽閉されてから五年の月日が経った砂嵐の夜のことだった。

 ベッドの下から砂がたくさん溢れ出てくるので、どうしてか確認したところ、壁に人が一人通れるほどの穴が開いていたのだ。


 道理で夜は寒いわけだ。


 それから数か月、外に出るか迷った挙句、私はこっそり外へ出て息抜きをするようになった。

 修道院で暮らす人々が寝静まった夜、月明かりに照らされる砂の海の果てにある世界に思いを馳せる日々だ。 


 時折、上空を飛んでいく野生の小型ドラゴンの群れ。

 雨粒のように地上に降り注ぐ、流星群。

 西の塔からは見えない広大な海。


 小さな部屋から抜け出して砂漠の中を駆け回っている時が、私の唯一の自由だった。


 ☼☼☼


 その日は、砂嵐がメトミニーを襲っていた。

 私は、人目を盗んで断崖の方へと向かった。


 普段は穏やかな海が、断崖を激しく襲う。荒れ狂う波は、まるで怪物の大きな手のようだ。

 私は、ゆっくりと崖を降りて、洞穴の奥へと進む。


「プーチャ?」


 声をかけると、私と同じくらいの背丈のドラゴンが、薄紫色の瞳をこちらへ向けた。虹色に反射する黄金の鱗は、太陽の下で見たらどれだけ美しいだろうか。


 母親とはぐれてしまったようで、つい最近この洞穴でうずくまっているところを発見したのだ。

狩りは自分でできるらしく、食べ物には困っていないらしい。自分で海辺に降り立っては、魚を捕まえて丸のみしている。


 普段は、私を見つけると嬉しそうに甘えたような鳴き声をあげるのだが、今日は違った。

 威嚇するような唸り声をあげていて、砂嵐がそれほどまで怖いのかと声をかけようとした時だった。


 背後から足音が聞こえて、身構える。メトミニー修道院から、追手が来たのかと背筋が凍ったが、そこに現れたのは背丈の大きな男だった。


 プーチャが怯えながら、羽を大きく広げたので、私は「大丈夫よ」と背中を優しく撫でた。


「お前、ファブラ種の幼体をどこで見つけた?」


 男は静かにではあったが、不躾に尋ねた。


「ファブラ種?」


 恐怖よりも、興味の方が勝っていた。修道院にいるのは、ほぼ全て女性であり、男性を見る機会が少なかった。たまに会う男性といえば、月に一回王宮からやってくる年老いた使者だけで、若い男性と触れ合うことはなかったからだ。


「そこにいる、ドラゴンの子供だ」


「この子は、母親とはぐれて、ここで帰りを待ってるの。ところで、あなたは誰?」


「人に名乗らせる前に、お前が名乗るんだな」


 偉そうな態度の男に、私は「モニカよ。それで、あなたは?」と早口で自己紹介し、尋ね返した。


「リカルド」


 男も自分の名前だけしか名乗らなかった。


「ところで、ファブラ種っていう種類なのね、この子は」


「ファブラ種は、ドラゴンの中でも、希少種中の希少種だ。このような幼体が無防備な状態で、いること自体考えられない」


 そのようなことを言われても、記憶がおぼろげなうちから西の塔と、こっそり抜け出した夜の砂漠しか知らないのだ。

 プーチャが、ドラゴンのファブラと言われる種族で、さらに希少種だという知識があるはずもない。


 正直に打ち明けようとした時、リカルドが座り込んで左腕を押さえていることに気が付いた。


「それ、怪我よね?」


「……かすり傷だ。問題ない」


「問題なさそうには見えないけど」


 私の言葉に、リカルドは反応しなかった。


 様子を見ていて、プーチャはリカルドが危害を加えてこないと判断したのだろう。私の背中を鼻でつつき、手当してあげてと言いたげな表情を浮かべていた。


 ☼☼☼


 洞窟の外で猛威を振るっていた嵐はずいぶんとおさまっていた。プーチャに別れを告げ、私はリカルドを連れて、西の塔へと戻ることにした。


 リカルドは、見ず知らずの私に連れられることを嫌がっていた。


 しかし、私が「修道院には、食糧や薬もありますから」と強く申し出たので観念したようだった。

 月明かりに照らされると、リカルドの傷は思っていた以上に深い。

 

救急箱は、修道院の倉庫の中にある。私は、リカルドを西の塔に置いた後、もう一度抜け出して倉庫へ向かうことを決めた。


「ここで大人しくしていてください」


「ベッドの下とは、随分と手厚い歓迎だな」


「ごめんなさい。私の立場上、あなたが修道院の人に見つかったらひどい目にあわされてしまうかもしれないから」


 毛布を床に敷き、リカルドを寝かせる。皮肉を言っていたものの、リカルドは横になるとすぐに意識を手放してしまった。


 私は再び外へ飛び出した。

 嵐は随分と遠くに去ってしまっているのが、月明かりの下で見えた。


 私はゆっくりと壁をつたい、メトミニー修道院の横に設置されている小さな倉庫へと向かった。


 普段、修道院で働いている人々しか使わないためか、倉庫の鍵は開けっ放しになっている。これは、メトミニー修道院に、やってくる外部の人間が、王宮からの使者以外いないというのも理由の一つだろう。


 金目のものは、全てパウラ院長の部屋の金庫の中にあるので、倉庫から何か盗んだとしても、貯蔵水や、薬以外役に立つものは置いていない。


「ちょっと! そこにいるのは誰?」


 倉庫の中へ入ろうとした時、見回りの修道女の声が聞こえた。

 私は逃げようとするが、物音をたててしまえば、あっと今に見つかってしまうだろう。


 倉庫の扉の裏で息を押し殺していると「まさか、モニカ・マルドナド?赤毛が見えた気がしたんだけど」と修道女が低い声を出す。


 ここで私が脱走したと明らかになってしまえば、パウラ院長からの、食事抜きと鞭打ちの刑は免れないだろう。

 そして、パウラ院長の意識が私に向いている間は、自分たちが標的になることはない。

 そういった理由から、私の粗さがしを喜んでする修道女は多かった。


「ねえ? 出てきなさいよ」


 しびれを切らした修道女の足音が近づいてきた時「私よ。セレナ・アミュタ」と倉庫の中から声が聞こえた。


「なんだ、セレナか。脅かさないでよ」


 倉庫の中にいるセレナ・アミュタの方へと足音が遠ざかっていく。


「ごめん、ごめん。ちょっとさっき、指を怪我しちゃって。何? 見回り?」


「そう。院長の機嫌が悪くてさ。夜中の見回り押し付けられちゃったのよ」


「なるほどね。倉庫の中は、私以外にいなかったわよ」


「でも、赤毛が見えた気がしたのよね。セレナ、あんたあの子と親しくしてるじゃない?」


「ああ、これじゃない? 王都から支給された、薬草。色が赤色だし、これだけ暗いとあの子の赤毛に見えるわよね」


「そういうことね……」


「ということで、ここは問題ないから安心しなさい。それに錠前がかかっているあの西の塔からどうやって脱出するのよ」


「それもそうね」と修道女が去って行く足音が聞こえた。


 静まり返った空気の中「で、何を取りに来たのよ。モニカ」とセレナはゆっくりと私に尋ねた。


「助けてくれてありがとう。薬を取りに来たの。止血と炎症を抑える薬と包帯が欲しくて」


「了解」


 セレナ・アミュタは、私がここへ閉じ込められてからすぐに、やってきた修道女だ。

 詳しくは語ってくれないが、ずいぶんひどい目にあってここへやってきたらしい。

 パウラ院長を恐れ、私に冷たい態度をとる者が多い中、セレナだけは私に優しく接してくれる。


「はい。薬と包帯。それとお水も追加であげる。砂嵐もあったし、今夜はひどく乾燥しているでしょ」


「ありがとう」


「さ、早く塔に戻りな。次、見回りの子が来るのはだいぶ先だけど、万が一見つかってもかばいきれないよ」


 セレナに別れを告げ、塔の部屋へ戻ると、リカルドが苦しそうに呻いていた。


「リカルド……お水」


 よくよく見れば、彼の左腕の傷は赤く腫れて炎症を起こしていた。相当痛いのを我慢して平静を保っていたのだろう。


 私は、彼の左腕だけをベッドの下から出し、傷口の手当てを始めた。


 セレナが多めに布を渡してくれていたおかげで、傷口を清潔にする作業は滞ることなく終わった。

 炎症を抑える軟膏をたっぷり塗って、包帯を巻きつける。


 布を水で濡らし、彼の口に水を垂らした。

 口に出さなかっただけで、ひどく喉が渇いていたらしい。

 リカルドは、水を飲み込むと「もう少し」と小さく呟いた。


 私は、もう一度水を布にたっぷり沁み込ませ、彼の口へそっと持って行く。


 どうして、リカルドがあの洞窟にいたのか。

 そもそも、どうしてメトミニー修道院の近くにいたのか。


 彼が少し元気になったら、外の世界のことに聞いてみよう。

 そう思いながら、私は再び布に水を沁み込ませるのだった。

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