第23話 ゲート

「ええと……あれ? ニケちゃんとレインちゃんと……はぐれちゃった?」

 しばらく三人一緒に行動していたスミカたちだが、興味の方向がかなりバラバラだったらしい。立ち止まる位置がだんだんずれはじめ、だんだん距離ができはじめ、こちらの棚とむこうの棚でわかれはじめ、そうしていつしか彼女たちは離ればなれになってしまった。


 ニケは、美術コーナーに磁石のように引かれていった。大型本を開くとピタリと動きが止まり、すっかり魅了されている。そして本の重さを軽減するためか、だんだんと棚にもたれ、しゃがみこみ、最後はとうとうあぐらで座りこんでしまった。


 レインは語学方面に関心があるようで、『WBCにおける言語表現の変遷』『NPCで使用される共通言語について』などを熱心に立ち読みしている。ときどきピョンピョンとジャンプしているのは、上の方に手が届かないからだろう。


 スミカは、二人のうちどちらかのところに戻ろうかとも思ったが、

(う〜ん、でもなあ……)

 スミカはスミカで、すでに自分の興味のある棚を求めて館内を歩いている最中だった。目指すのは、分類上900番台のナンバリングがされている書架だ。距離的にはこの棚がいちばん遠い。しかしそこでは、まだ見ぬ物語やファンタジーの世界が、彼女を待ち受けているはずだった。

 結局、欲望にはあらがえなかった。気もそぞろにスミカはひとりで歩を進めていく。


 そしてとうとうお目当ての棚にたどりついた。

 整然と並んでいる背表紙を、ひとまずざっと眺める。

 なんとなく気になった本を抜きだしてはパラパラと眺め、戻しては次の本を手にして、しばし立ちつくす。

 図書館とは情報の集積体だ。「本」という形態をとった一冊一冊が、膨大な量の情報を内包している。さらに古典ともなると、時代の淘汰とうたに耐え、生き残り、精選され、凝縮された、エッセンスの宝庫だ。

 密度の高まったそれらは、力である。

 あるいは、虎である。

 猛獣である。

 その膨大な知の力は、ときには獰猛どうもうに読者におそいかかり、ともすれば「喰ってやるぞ」と虎視こし眈々たんたんと機会をうかがっているものだ。

 もしかすると、偶然ある本を手にとってしまったばっかりに、めくるめくような耽美たんび倒錯とうさくの世界に引きずりこまれて、一生沼から抜け出せなくなることも——

 ええと、つまり不用意にページを開くと、本にのまれてしまうこともあるわけだ。


 ずらりと棚に並んだ本の背表紙だけでも、視覚的情報が多量にある。人は、目に入ってきたそれらの情報を無意識に精査し、自分が読みたいものか、いらないものかを自分でも気づかぬうちに選別しているものだ。本に囲まれていると、ときどき疲れたり酔った感じになるのは、そういったことが原因だったりする。キャパを越える大量の情報にさらされると、脳が疲労するのだ。


「ふぅ……」

 パタンと閉じて、もとあったところに戻す。

 ちょっと休憩したいかも、とスミカがまわりを見まわしていると――

「あれ?」

 ずいぶんと、目につく本があった。

 しかしその本は、目立つところにあるわけではない。

 棚に特別なスペースをとって、表紙をこちらに向けてディスプレイされているわけでもない。

 何かポップがついているわけでもない。

 新入荷のタグがついているわけでもない。

 むしろひっそりと――中腰にしゃがまないと手に取れないような中途半端なところに、ひっそりと存在していた。

 背表紙にも奇抜なところはない。とりたてて特徴もなく、ふつうなら気づかず見逃してしまいそうな、地味な本だった。

 ひとつだけ明らかに不可解な点があるとすれば、くらいだろうか。そしてそれを、だろうか。


 何の気なしに本を抜きだそうとしたところで、ようやくスミカも気づいた。

(あ、これふつうの本じゃないや……)

 まるで今この瞬間に鍵が開いたかのように、ガチャリ、とした感触が指先にきた。

 本を触っている指づたいに、こちらに向かって何かの情報が流れこんでくる。

 それと同時に、「探られている」と思った。

 この本は、

(あれ、これちょっと危ない本かも……?)

 直感的にそう感じて戻そうとしていると、突然声が聞こえた。


 ――魔法創綴錦織篇クロニクルの所有者と確認。きゅう閉架の一部を一時的に解放。開架状態に移行します。確認中……、……。完了しました。これより解錠、開門します。


(クロニクル……?)


 ――願わくば、よき物語をつづられますよう……。


 すぐに変化が起こった。

 手にした本が淡く発光し、ページを開きながらふわりと浮き上がる。

 はらはらとめくられていくクリーム色のページ。まっさらで何も書かれていない。

 そして、ひた、と動きが止まり、あるページが開かれた。

 そこに、ひとりでに文字が記されていく。


(何だろ……読めない。筆記体……っていうのかな?)


 文字を追っていくと、文字自体が動いているのが見えた。インクの濃淡がゆれる。何かが見える。そこに何かがゆれている。ゆらぎが広がり、インクをひたした刷毛はけでさあーっといたように色が生まれ、形が生まれ、そこには——

 風景が見えた。草原くさはらが見えた。丘が見えた。雲が流れていく。街が見える。人が歩いていく。人々が向こうの方へ歩いていく。遠くへ、遠くへ、歩いていく。

 そこから映像が暗転した。

 薄暗い――壁? いや穴だろうか……?

 そしてスミカは気づいた。目の前にぽっかりと、暗い入口が開いていることを。


(何これーーーーっ!?)



 ◇



「何だろね、これ……」

「こんなの聞いたことないわね……」

 ニケが不審げに目をこらし、レインは難しい顔になっている。

 目の前には入口ゲート

 もちろんそれは、さっきスミカが手に取った本から生まれた穴だ。


 スミカからあわてた様子のメッセージを受け取った二人は、急いでスミカのもとに向かった。二人とも900番台の書架になじみがなくて、ちょっと迷ったりしたけれど。

 ともあれ図書館内の空間がいきなり変質し、出入口のようなものが出現したのだ。すぐに大騒ぎになりそうな現象である。しかし幸か不幸か、今のところ近くには三人のほかに誰もいなかった。


「というかさ、ふつうに考えたら〈イベント〉だよね。でも……」

「こんなの聞いたことないわね……」

 ニケが考え考えしゃべり、レインは難しい顔のままだ。

「というかさ、広場のゲートを通って、外の各エリアに行って、そこで新しいルートを見つけた――とかならわかるけどさ。ここ街の内側だよ? しかも図書館だよ? 室内なんだよ?」

「こんなの聞いたことないわね……」

「というか……レインちゃん、さっきから同じことばっかり言ってない?」

 ニケがつっこむ。

「こんなの聞いたことないわ……ハッ! ごめんなさい。考えごとしていて聞いてなかったわ」

 それを聞いてニケは苦笑いしつつ、

「まあ、みんなの考えてることはだいたい同じだろうしね。『わけがわからないよ』!」

「あはは……」

 スミカも笑うことしかできない。

「これはもう、私たちだけで考えてもどうしようもないわね。図書館の人を呼びましょう」

 レインが冷静な判断をくだした。まるでどこかの先生のような的確な判断だ。

「そだねー。リチルちゃんか、マニユスさんに……」

「――呼びました……?」

「「「!!!」」」

 ひょいっと書架のエンド部分から顔を出したのは、司書見習いのリチルちゃんだった。


「ちょうどよかった! リチルちゃん、あのね――」

 スミカは、今までのあらましをざっくりと説明した。

「おー……」

 返却本のカートをじゃまにならないところに寄せつつ、リチルは大きく目を見開いて不思議な入り口を眺めている。

「これは……。ひと目でわかります。私では対処しかねますね。ここは館長かマニユスさんあたりを……」

 と検討していると、またアナウンスの声が聞こえた。


 ――開架維持の規定時間を終了しました。これよりゲートを閉鎖します。完全閉鎖まであと10……9……8……。


 いきなりカウントダウンが始まった。

「ちょ、これ閉まるってこと!?」

「え? どうしよどうしよっ」

 ニケとスミカがあわてている。

「うーん、かなり特殊なイベントっぽい感じがするのよね。もしかしたらこれ、めったにないやつの可能性もあるわね」

「では、行ってみますか……? どういうものか調査はしておきたいです。図書館スタッフとして……」

 その間にもレインとリチルは検討を重ねていた。


 ――6……5……。


「ええ、そうね。行く価値はあると思うわよ。もしかしたら高レアなお宝!」

「私も同意見です……」

 レインとリチルは行きたそうな雰囲気だ。


(え? これって、もちろん私も一緒にってこと……だよね?)

 とスミカが思うのと、

「よぉし、じゃあ行こうか」

 とニケがスミカの手を取ったのと、

「覚悟はいいわね?」

「行きます……」

 レインとリチルが身をかがめたのが、ほぼ同時。


 ――3……2……1……。


「それっ。行くよ、スミカ!」

「ひゃあー」

「ぃよっと」

「そーれー……」

 そして、ぽっかりと口を開けた入口に、四人は飛びこんでいったのだった。


 ――クロニクル所有者、ほか三名の入廊を確認。計四名のパーティと認識します。

 ――各プレイヤーのランクおよびスキルレベルを測定中……、測定中……。

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