第2話 口唇口蓋裂として生まれて

 僕が生まれてきた時の状況を、のちに親父はオオカミが泣いているようで、口は裂けてるし鼻は潰れているしどうなるのだろうと心配したそうです。幼い頃はとてもおとなしい子だったと話していました。


 苦難の始まりは僕が保育園に入園した時です。


 幼いながら他の園児と違うと感じていました。喉チンコが無い為、言葉を発する時に声が鼻から漏れてしまうのです。この頃から僕は苛めにあうようになりました。僕の障害をまねる園児が現れたのです。


 自分の鼻を押しつぶし、喋り方をまねるのです。僕は恐ろしくなり、いつも独りでいるようになりました。それでも僕は日々をなんとか過ごしていました。


 僕が小学校に上がる時、一つの問題が出ました。園児の時に一言も発しない僕の事を、障害者や問題のある子供を集めてみる特殊学級に入れないかと学校が言って来たのです。


 これに僕の親父は反発しました。普通学級に入学させろと学校と対峙したのです。 僕は学校から知能テストと発音の試験を受けて合格しました。しかしこれが不幸の始まりでした。


 小学校に入学する頃に、僕は喉チンコの代わりとなるモノを喉に入れていました。スピーチエイドと呼ばれるこの装置は僕を苦しめました。イメージとして、総入れ歯に針金を付けて、それの先にボール状の物が喉の喉チンコに当たる部分に入る感じです。


 僕は産まれつき前歯の3本が変形していてすぐに虫歯になりました。その3本を抜いて入れ歯でした。笑うと入れ歯だと分かるので、僕は全く笑わない暗い子供でした。


 小学生になると、僕はすぐにいじめっ子たちの標的になりました。保育園時代の時のような苛めを受けました。鼻を押しつぶし、喋り方をまねるのです。この苛めは僕が小学校を卒業するまで続きました。


 苛めの対抗策として、僕は徹底的にいじめっ子たちを無視しました。僕が無視すれば無視するほどいじめっ子たちは僕に絡んできました。


 誰に相談すれば良いのかわからなくて、先生や親父にも話す事はありませんでした。僕の家は食堂を営んでいました。


 僕の親父はとても厳しくて、僕が小学校に上がる頃からお店で皿洗いをさせられていました。遊び盛りの僕には苦痛でしかありませんでした。僕は4人兄弟姉妹なのですが、みんな何かしら手伝いをしていました。


 中学に入学してからも苛めはありました。


 僕は野球部に入部したのですが、同期の奴に嫌がらせを受け退部しました。僕はピッチャー志望だったのですが、この同期の言った言葉が致命傷になりました。奴はこう言いました。


「このみつくち野郎、喉チンコが無いなんて人間じゃない。お前なんて家で皿でも洗ってろ」みつくちとは口唇口蓋裂の俗語です。この同期の奴もピッチャー志望でした。


 僕は野球部を退部してすぐにバスケットボール部に入部しました。この判断は正解でした。バスケ部の仲間は僕を歓迎してくれました。中三の時にはレギュラーになり、楽しい思い出を作る事ができました。


 僕の母親は精神分裂症で精神病院に入院していて、ほとんど家にいませんでした。僕が中二の時に離婚しています。


 高校受験も厳しいものになりましたが、なんとか入学する事ができました。高校に進学すると、すぐに僕の事が好きだという女子が現れました。僕は戸惑いました。僕のようなこんなに醜い男のどこが良いのかと。


 僕は子供の頃一つの誓いをしました。子供を作らないという事です。もし生まれてくる赤ちゃんが僕と同じ様に口唇口蓋裂で産まれた時、苦しむと考えたのです。だから彼女も作らないし、結婚もしないのだと。


 僕は高校3年間で少なくても10人の女子から告白されています。その都度僕は断り続けました。僕がバスケ部のエースだったために好かれたのでしょう。


 今ならわかるのです。口唇口蓋裂程度の障害なら、その子を愛する事ができるのだと。そう思うようになったのは、僕が40歳を超えたあたりです。気がつくのが遅すぎるのです。


 僕の親父はこう言いました。「昇、お前のそれは障害のうちに入らない。世の中には目が見えない、耳が聞こえない、歩く事もできないなんて人は山ほどいるのだ。もっと自分に自信を持て」親父の言っている事は正しいと思います。


 少なくても、僕には健康な体があります。僕が若い頃に口唇口蓋裂に理解があれば、もっと幸せな人生を歩んでいたでしょう。高校に上がる頃には完全に苛めを受ける事は無くなりました。


 今回1話目で紹介したコラムの家族は、間違った選択をしたと思っています。人間で生まれる事ができる確率ってどれくらいでしょうか?


 僕がもし生まれ変わる時に、口唇口蓋裂で生まれると神様に告げられたなら、喜んで受け入れるでしょう。そしてもし僕の子供が口唇口蓋裂で産まれてきても、大切に育て愛していけるでしょう。


 僕も幼い頃は生きるのがつらくて死にたいと思った事が何度もあります。しかし僕は生きていて凄く良かったと思う体験をたくさんしています。この想い出が僕の生きる力になるのです。


 口唇口蓋裂で生き抜いて来た、僕の成長記録に興味のある方は、僕の作品の代表作である【人間のカケラ】を読んで頂ければ幸いです。


 僕は障害があっても楽しく人生を謳歌できると信じています。生れてきて良かった。いろいろ体験できて良かった。面白かった。亡くなった親父と母親に、感謝する気持ちが芽生えたのです。


 しかしこの後僕が27歳になる時に、統合失調症という最悪な病になりました。口唇口蓋裂を克服して幸せを掴んだばかりでの事でした。


 ここから本当の命懸けの闘いが始まるのでした。

 

                



    完

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口唇口蓋裂として生まれて 龍神 昇 @non39yesican

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