終章

6 - 1 懸命

『若き才能、儚く散る』

『真小田くん、きみの作品をもっと見たかった──とボクは思う。』

『真小田崇というあまりにも複雑な奇跡』


 どいつもこいつも、よくもまあこんなセンチメンタルなタイトルを付けられるものだ。SNSに溢れる演劇関係者、観客、評論家らによる真小田崇への追悼文を眺めながら鹿野素直は溜息を吐く。こっちは、巻き込まれ事故で刺されて死ぬところだったと言うのに。


 真小田崇は死んだ。火事場の馬鹿力で人間は人間を絞め殺すことができるのだと、目の前で実証されてしまった。鹿野素直は田淵駒乃が隠し持っていたナイフで脇腹を抉られ、文字通り生死の境を彷徨った。気が付いたら都内の病院にいて、ベッドに寝かされていた。未だ朦朧とする意識の中ナースコールを押してみたら、看護師、医師とともに不田房栄治が飛び込んできた。もうめちゃくちゃに泣いていた。不田房のこんな顔は初めて見た。面白くて笑おうとしたら全身に激痛が走って、それどころではなくなった。

 不田房より遅れて病室に入ってきた父親・迷宮から詳細を聞くことができた。鹿野素直が田淵駒乃に刺されたタイミングで、宍戸クサリが東京からコテージに到着した。パニックに陥る不田房と、そんな彼に這い寄る田淵、両名を即座に張り倒した後に救急車と警察を呼び、意識不明の鹿野をQ県の病院に運び込んでくれたという話だった。


「父さん、詳しいなぁ」

「そらなぁ。ほら、俺と素直の血液型、ちぃとおかしいじゃろ。輸血相手がよう見つからん」

「ああ……」


 AB型のRHマイナスとか言ったか。たまに気が向いて献血に行くと、大層重宝される血液型だ。


「手術すんのに血ぃが足らんて連絡が来てな。その日のうちにQ県まで行ったんじゃ」

「父さん、前日まで出張しとったんじゃ……」

「ほうよ。大学の事務員さんにチョッパー預けたまんま来たんよ」


 そこまでしてもらって、死ななくて良かった、としみじみ思った。不田房は迷宮が喋っている間中隣で泣いていて、ひどくうるさかった。


 劇団『暗闇橋の向こう』は解散することになるだろう、という噂だった。以前稽古場で丑沼が言っていた通り、『暗闇橋』はだった。真小田崇がその才能を認めた者、人柄を気に入ったもの、もしくは真小田に心酔している所謂信者、そういう人間だけで構成されていた。真小田の才能──もしくはカリスマ性──だけで成立していた劇団なのだ。

 主宰者たる真小田がこの世の者ではなくなってしまった以上、もう誰にも、劇団を動かすことはできない。無理に公演を行ったところで、外部が求めるレベル、内容の作品を吐き出すのは不可能だろう。


 真小田崇を劇作家・演出家として惜しむ者が数多く見られる一方で、彼と田淵駒乃が、劇作家・不田房栄治と演出助手・鹿野素直に対して行っていたストーカー行為、不審な封筒の送付、盗撮、不法侵入といった違法行為が問題となっているのも事実だった。殺人事件の舞台となってしまったコテージも真小田、田淵の持ち物などではなく、赤の他人が遊ばせていた建物に彼らが勝手に侵入した、というのが現実だった。

 鹿野素直の父・鹿野迷宮は旧知の警察官である小燕こつばめ向葵あおいに不審な手紙についての相談をしており、宍戸が雇った私立探偵間宮最の調査と同じぐらいのペースで小燕は鹿野素直とその仕事仲間の身辺を調べてくれていた。調査の過程でまず浮かび上がったのはやはり林壮平で、そこから田淵駒乃、そして真小田崇まではあっという間に繋がったのだという。私立探偵と警察官がだいたい同じルートを辿っていたというのが、意外だった。


「素直。呼び出されたけえ言うて、簡単に着いて行ったらあかんど」

「反省しちょる」

「あんたもじゃ、不田房さん。泣いとらんで、ほら」


 迷宮の手がバシバシと不田房の背中を叩くのを、鹿野は苦笑いを浮かべて眺めた。


 ヘビースモーカーズの新作公演は行われる。鹿野が抜けても稽古は進む。こればかりは仕方がない。退院し、稽古場に入ることができるぐらいには回復したつもりでいたが、まだ体を大きく動かしたり、長く歩いたりすると傷口が痛むし、息切れがする。今回の鹿野素直は演出助手ではなくいち観客だ。初日までに、をできるぐらいには回復していたいと願いながら鹿野は粛々とリハビリをしている。


 真小田崇の葬儀は身内だけで行われた。暗闇橋のメンバーも参加したという。不田房と鹿野にもなぜか声が掛かったが、行かなかった。行く理由がなかった。


「めちゃくちゃ盗撮されたしね」


 稽古を終えた不田房が、シュークリームを持って鹿野家にやって来た。鹿野は今、自宅ではなく父親とチョッパーが暮らす実家でリハビリを行っている。


「そうっすね」

「あ、不田房。きさん何しに来たんじゃ」

「あっお父さん。素直さんのお見舞いを、その……」

「やかましい。帰れ帰れ」


 粗塩の袋を手に不田房に迫る父は手厳しい。気持ちは分からぬでもないが。

 シュークリームをありがたく受け取り、リビングに移動する。紅茶でも淹れようかとキッチンに足を向けたら「俺やる」と不田房が長身を縮めるようにしてキッチンに入って行った。なぜ不田房が鹿野家──実家──の紅茶置き場を知っているのかは、良く分からなかった。


「警察の方でもめっちゃ捜査が進んでるらしくて」

「そうですか」

「盗撮映像、俺らが知ってる以上にあったみたい」

「怖っ」

「ね……」


 シュークリームを食べ、不田房が淹れた紅茶を飲む。「薄い」と迷宮が呻いた。鹿野家のリビングには迷宮と素直のための椅子しかないので、不田房は一段低い座椅子に腰掛けている。


「夭折の天才劇作家か、ヤバストーキング変質者か……後世の評価はどうなるでしょうね」

「どうでもいいよ。田淵も」


 と不田房はくちびるを尖らせて、


「裁判、なんか長くなりそうって聞いたけど」

「なんかあの……私の件以上に真小田の首絞めた方、あの殺人を行った際の精神的錯乱がどうとかで……」


 口ごもる娘の顔をちらりと見た迷宮が「どがぁな手ぇ使つこてでも有罪にするわい」と呟いた。


 十年前。川釣りから戻ってこない鹿野たちをナイフ片手に探しに行く不田房の姿を盗撮した時から、真小田はと考えていたのかもしれない。田淵は、彼の考えとはまた別のところで不田房への想いを遂げようとしていた。どちらも、うまくはいかなかった。

 全員自腹合宿の最後の夜。田淵駒乃と、デジカメを手にした真小田崇、それに林壮平をはじめとした数名の生徒が真夜中の不田房の寝室を襲撃した。初日の晩から毎日のように、田淵は不田房の寝室を訪問していた。不田房は田淵を無視し、不眠を理由に夜になると部屋を空けるようにすらなった。最後の夜も不田房は散歩に出ていて──でも、真小田か、林か、それ以外の誰かなのかは定かではないが、とにかく合宿に参加していた学生が、不田房がコテージに戻る姿を確認していた。田淵が想いを遂げる姿を撮影するのだと言って、学生たちは寝室の扉をぶち破った。

 そこに、不田房はいなかった。不田房は三回生の近藤と、一回生の斎藤が寝ている部屋に転がり込み、寝袋にくるまって床で寝ていた。ヒステリーを起こした田淵と、それに便乗した学生たちが寝室の窓をめちゃくちゃに割ったという話を、翌朝鹿野は、歯ブラシを咥えたままで聞いた。


 そういえば、と鹿野はシュークリームを食べ終えた手をウエットティッシュで拭いながら呟いた。


「入院先に、斎藤がお見舞いに来てくれて」

「斎藤? 斎藤均くん?」

「あ、覚えてるんですね」

「釣り遭難組のことは忘れないよ」

「遭難したわけじゃないっすけど……」


 ともあれ、もう二度と会えないと思っていた後輩が病院まで見舞いに来てくれたのは意外だった。斎藤は今は故郷の山の中に戻り、山の中で見合いをした女性と所帯を持ち、間もなく子どもが生まれるのだという。


「へーめでたい」

「ね。連絡先交換しました。赤ちゃん生まれたら連絡くれるらしいです。何かプレゼント考えないとなぁ。ラッキーなことってあるもんですね、刺された分……」

「それはラッキーとは言わないんじゃない……?」


 鹿野家に二時間ほど居座った不田房が「じゃまた明日」と言って座椅子から腰を上げる。


「明日も来るんすか?」

「鹿野が元気になるまで毎日来るよ〜」

「素直、明日は俺おらんけえドア開けたらあかんど」

「そんな〜! お父さん〜!」


 情けない声を上げる不田房の足元を、チョッパーがぐるぐると周っている。早く稽古場に、劇場に戻りたい、と思った。そうして喫煙所で青春の色の煙を吸って吐き、どうでもいい冗談を言い合って、仕込みには真剣に挑み、初日の幕を開けるために必死で駆けずり回るのだ。懸命に生きることは、恥ずかしいことではない。今も、昔も、ずっと。

 それだけ分かっていれば、何も怖いことはない。


 おしまい

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ブルー・スモーカーズ・ナイト 大塚 @bnnnnnz

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