2 - 3 探偵 ③

「気付いた?」


 間宮探偵が尋ね、鹿野は首を傾げる。


「盗撮されてるのは、不田房だと思いますけど……それは分かったんですけど」

「そっか、じゃあ念の為もう一回再生します」


 と、ノートパソコンを再び鹿野に手渡し、間宮が再生ボタンを押す。

 やはり不田房だ。後ろ姿を盗撮されている。ここはどこだろう。10年前。知り合う以前か、それとも知り合った後の景色か。さすがに10年前のいつ、どのタイミングで不田房がどのような服装をしていたのか、そんなことまでは思い出せない。しかし──


「うん?」

「あ、分かった?」


 不田房の手元で、何かが光った。なんだろう。鈍い輝き。不田房は、遊歩道のような場所を歩いている。街灯に照らされて、ギラリと光ったものは。


「刃物!?」

「イグザクトリィ!」


 間宮は、まるで舞台上のキャラクターのように大仰に腕を広げて言った。


「この動画の中の不田房氏は片手にナイフ、もしくは包丁のようなものを手にして歩いています」

「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや」


 思わず大きな声が出てしまった。間宮の目が笑っている。思うに、この女性はあまり性格が良くない。自分に少し似ているかもしれない、とすら鹿野は思ってしまった。


「待ってください。待って本当に」

「待ちますよ、いくらでも」


 ひらりと片手を揺らして店員を呼び、お代わりのキリマンジャロを注文しながら間宮は微笑んだ。そんな、いつまでも待たれても困る。鹿野にだって仕事がある。そして間宮にも。いや、間宮は今仕事をしているのか。そうだった。でもこの喫茶店に延々と居座る羽目になるのはお互いあまり良くない、と思う。だから。


「不田房は確かに変な人間ですが、ナイフや包丁をこんな風に持ち歩くほどヤバくはないです」

「なるほど。となると、鹿野さん的にはこの動画は……?」

「編集されてるんじゃないんですか? 誰がどういう意図で不田房を盗撮したのかは知りませんけど、とにかくなんか、CGとかそういう加工をして」

「ふむ」


 キリマンジャロの黒いカップと、水の入った新しいグラスが運ばれてくる。間宮が煙草に火を点ける。鹿野も紙巻きを咥える。不田房は変人だ。それは理解している。しかし、この映像にはあまりにも悪意がある。不田房が手に何を持っていたのかは知らないが、刃物であるはずがない。不田房が刃物を持ち歩く理由がない。

 この映像は、いったいどういう意図で作られたものなのか、考えなくてはならない。


「宍戸さんからお聞きになったかもしれませんが」


 半分も吸っていない紙巻きを灰皿にねじ込みながら、鹿野は口を開く。


「手紙、封筒自体は泉堂ビルという私たちの稽古場がある住所に届いています」

「持ち主は泉堂一郎。演劇界では有名な照明技師らしいですね」

「そうです。そして宛名は不田房ではなく、私──鹿野素直」

「全部?」

「全部です。少なくとも、私が確認した四通は」


 間宮に手渡した、SDカードが入っていた封筒ももちろん鹿野素直宛になっている。


「ただ、中身が良く分からない。一通目の『逃げ切れると思うなよ。』には心当たりがありません。私は誰からも逃げていない」

「二通目には不田房氏のSNSのIDが書かれていたとか」

「はい。しかも鍵アカ。あのアカウントを不田房の鍵アカだって知ってる人間は、あんまり多く……」


 ──ない、だろうか? 本当に?


 鹿野も不田房も、SNSをうまく利用できているタイプの人間ではない。世の中にはいわゆるネットストーカーと呼ばれる存在もいると聞く。そういった趣味の人間にかかれば、あのアカウントが誰のものかなんてあっという間に──


「三通目。個人的にはこれも気になってます」


 間宮が話題を変えた。剃刀が入っていた封筒だ。10年前の台本をコピーした紙で包んで、わざわざ。


「鹿野さん、三通目なんですけどね」

「はい」

「四通目もだけど、切手が貼られているんですよ」


 それには気付いていた。最初の二通に貼られていたのは証紙。郵便局の窓口から直接手紙を出したという証明。しかも、証紙には稽古場があるS区の文字が書かれていた。稽古場にほど近い郵便局から発送したということだ。


「消印、ご覧になりました?」

「え?」

「見て」


 間宮が四通目の封筒をテーブルの上に置く。切手の上には丸い消印が押されていて、


「日にちと、時間ですねこの数字は。郵便局で引き受けただいたいの時間が記されています」

「はあ……」


 何が言いたいのか良く分からない。上目遣いで見上げる鹿野に、


「この丸い消印。綺麗ですよね」


 と間宮は言う。


「はい?」

「これ、風景印っていうんですよ。観光地の郵便局なんかに行くと押してもらえる」


 では実際、この封筒は東京から遠く離れた観光地の郵便局から出されたものなのだろうか。眉を顰める鹿野の目の前で、間宮の長い指が風景印を指し示す。


「Q県S村。まあまあ有名な避暑地です」

「ですね」


 風景印にはS村の文字と山のイラストが入っている。それは分かる。


「でも日付が変」

「!」


 言われるまで気が付かなかった。ぼんやりしすぎだ。

 今は8月。8月の最終週。

 しかし、風景印の日付は。


「先月!」

「そう」

「……Q県から送ってもらった封書を、わざわざ今になって泉堂ビルのポストに投げ込んだってことですか?」

「でもそうなると、この宛名もおかしいですよね」


 泉堂ビル、鹿野素直宛。


「誰かが……先月のうちに先回りして、この手紙を回収して……?」

「鹿野さん。あなたの思考に水を差すつもりはないんですけど、宍戸から聞きました。泉堂ビルでは郵便屋さんから直接郵便物を受け取るやり方をしているって」


 つまり、特定の郵便物を郵便ポストから抜き取ることはできない。


「混乱してきました」


 鹿野は、正直に吐いた。


「誰が何のためにこんなことを? 意味不明すぎる」

「まずですね。鹿野さん。Q県という場所に心当たりはありませんか?」


 ミステリ小説に出てくる探偵のような口調で、間宮が言った。

 Q県。


「行ったことはありますが……」

「誰と?」

「父とですね」

「なるほどお父様。不田房さんとは?」

「不田房と旅行なんかしませんよ、……いや」


 思い出す。なぜ忘れていたんだろう。

 ──Q県。


「あります行ったこと」


 間宮が、真夜中の猫のような目でこっちを見ている。


「合宿で、Q県に……」


 そうだあれが10年前。

 鹿野は大学3回生。不田房は講師2年目。の、夏に。

 演劇講座を受講している生徒数名と、Q県で全員自腹合宿を行った。


「間宮さん、さっきの映像もう一度見せてください」


 遊歩道。見覚えのない道だと思った。当たり前だ。これはQ県の山道だ。山道というにはあまりにも歩きやすい、夏休みに避暑地のコテージを借りて過ごす客のために舗装された遊歩道だ。不田房には、当時不眠の気があった。真夜中飲み物を取りに言ったキッチンで、散歩のために水筒を準備している彼に鉢合わせたこともある。


「合宿に参加したメンバーのこと、覚えてますか?」

「はい」


 忘れるはずがない。鹿野素直は、記憶力が良いのだ。

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