蜘蛛の巣

【蜘蛛の巣】

長い夢だった。

ぼんやりする意識でそんな事を考えた。

愛生院・・・

就職した私は職場の寮に住むようになったが、職場となった小さな印刷工場は定時退社は確保され、残業は全くないような所だったが、給料も安く日々の生活で精一杯のため、ある目標はあったもののそのための貯金も全く出来なかった。

工員も男性ばかりだったが可愛くも無く愛想も無い私のことなど相手にもせず、動く空気とでも言うべき存在だった。

介護施設に就職した杏奈も最初の頃は毎週会っていたが、やがて彼女が法人内の別の施設に移ることとなり、それからは会うことも無くなった。

そのストレスからか、料理を作ってはそれをむさぼるように食べる日々が続いた。

そのため、就職して半年もしないうちに元々小太りだった私の体型は明らかな肥満となり、顔も吹き出物が目立っていた。

寂しくて仕方ないとき、先生からもらったお守り袋を見るが、今の自分を見られるのが恥ずかしくて施設にも顔を出さず、年賀状のやり取りのみになった。

そうだ・・・お守り。

ハッと気付いた私は慌ててベッドから飛び降りたが、その途端目が回り思わずベッドの端に座り込んだ。

そうか、あれは鎮静剤・・・

ぼんやりする意識を必死に保ちながら、私はふらふらと洗面所に向かった。

改めて鏡を見る。

やっぱり・・・

そこに写っているのは嫌というほど見た忌々しい顔。

山浅美空の顔だった。

なんて事。

私はこれからどうすれば・・・

だが。

ふと私はあることに思い至った。

なんで私は絶望してるんだ?

違う。

神様は本当にいるんだ。

どんな奇跡が起こったか分からない。

でも、医師や看護師の様子を見るに私が狂っている訳ではなく、本当にどういう原理か分からないが山浅美空になっている。

鏡を見ながら改めて、自分の顔を撫でる。

なんて小さな顔。

片手で収まりそうだ。

憎しみのフィルターを通して見てたために気づかなかったが、本当に可愛い。

小さいがプックリした唇。

大きくパッチリした瞳と長いまつげ。

小さく形の良い鼻。

これらは紛れもなく飛び抜けて魅力的な容姿を保証する物で、私が壮大な幻覚や夢を見てるので無ければ・・・

「これが、私」

そう、私は今までの人生で死ぬほど欲しくてたまらなかった物を手に入れたのだ。

整形手術をしようと僅かずつお金を貯めていたが、それが手に入るとは本気で思っていなかった。

いつになったら貯まるか分からないほどの安月給に元々の顔の骨格。

だが、今はどうだ。

こんな顔、きっと百回手術しても無理だ。

鏡の中の私は引きつった笑みを浮かべていた。

ああ、引きつった顔も可愛い。

私は薄く目を閉じ鏡に向かってキスをするそぶりをした。

背筋に甘い電流が走る。

なんて官能的な表情なんだろう。

私は心の底から湧き上がる感情のままに小声で笑い出した。

やがてその笑いは止まらなくなった。

笑える。

可笑しくて仕方ない。

ひとしきり笑った私は目の前にあるコップを手に取って鏡に投げつけた。

鈍い音を立てて目の前の鏡に蜘蛛の巣のようなひび割れが入る。

私は蜘蛛の巣の中心に写る山朝美空に向かってつぶやく。

今から私があなた。

カンナの糞みたいな人生はおしまい。全ておしまいなんだ。

「ざまあみろ」

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