死のカレー



 警戒する仄香に対し、宵宮はあっけらかんと答える。


「異犯の権限で監視カメラの人物検索機能をハックしただけよ」


 どこかで聞いたセリフだ。

 ほっとしていいのか悪いのかよく分からず呆然としてしまう。


「こっちに夏菜っち来たでしょ?」

「夏菜っち……夏菜子さんのことですか?」

「そーそー。夏菜っちからほのぴと会ったって聞いたから、僕の知らない間にそんな面白いことになってるなんて許せないと思って、仕事早めに終わらせて来ちゃった」


(そんな冷やかしのために!?)


 女同士の修羅場がそんなに見たかったのだろうかと複雑な気持ちで宵宮を見上げる。

 まだ【追跡】を使われていると危惧したのは杞憂だっただろうか。帰ったら念のためもう一度全ての私物を確認しておこうと思った。


「夏菜っち怖かったでしょ~。大抵の女の子はあいつの一睨みで黙るからね。高秋みたいな優秀な奴の周りに女があんまりいなかったのは、夏菜っちが女避けになってくれてたからってワケ。ねぇねぇ、夏菜っちと会ってどんな気持ちだった?」


 何が楽しいのかニヤニヤしながら仄香は覗き込んでくる宵宮。

 仄香は躊躇いがちに今日感じたことを言う。


「……夏菜子さんはまだ志波先輩を狙ってるんだなと思って焦りました。あと、凄い美人さんだったから、あんな美人と付き合ってた志波先輩はきっと目が肥えてるんだろうなと……私ももっと美容にも気を使わないとって思いました」

「ああ、いい女だよねあいつ。一回抱いてみたいけどああ見えてガード固いからなぁ。浮気は絶対しないし」


 宵宮がとんでもないことを言うので慌てて隣にいる咲の耳を塞ぐ。

 咲にこのような下衆な話は聞かせられない。


「だ、だ、抱いてみたいって。同僚の元恋人のことそんな目で見てたんですか?」

「え~? 少しもそういう目で見ない男の方が少数派だよ。エロいじゃん、夏菜っちの体」

「駄目ですよ! なんてことを……! 一回逮捕された方がいいです、宵宮先輩は!」

「だから僕が警察なんだって」

「そうだった……!」


 咲から手を離して頭を抱える仄香と宵宮を、咲が混乱した様子で交互に見つめてくる。


「……宵宮さんと仄香、いつの間にそんなに親しく?」

「んふふ、内緒~。僕たちただならぬ関係なんだよね。ね、ほのぴ?」

「違います……」


 誤解されても困るのでその冗談には乗らず、即座に否定する。

 宵宮はくっくっと笑いながら仄香と咲から荷物を奪った。


「車あっちに止めてるから、二人とも付いてきてよ。これからどっか連れてってあげる。たまには後輩を可愛がってあげないとね。先輩として」


 何か悪巧みをするような顔だ。


「いや、私達この後ジムで体を鍛える予定で……」

「土曜に外に遊びに来てもう帰ろうとしてんの、いい子ちゃんすぎでしょ。武塔峰の寮の門限ってそんな早かったっけ。夜遊びくらい覚えなよ」

「いや、でも……しかしですね」


 必死に断る理由を探す仄香の隣で、咲は〝夜遊び〟という言葉に反応して目をキラキラさせていた。


(駄目だ……)


 一度こうなった咲は止められない。

 咲はとても育ちが良い分、その反動か漫画やドラマで観る不良という生き物に憧れている。生まれ変わったら暴走族の総長になるのだという妄想を語っていたことすらある。そんな咲にとって夜遊びという単語はとてつもなく魅力的だろう。


「サッキーは乗り気みたいだね。どうする? ほのぴは先に帰っててもいいけど」

「……行きます」


 宵宮が仄香の心の内を見透かすように笑った。

 咲が行くなら、一人にさせるわけにはいかない。


 歩き出す宵宮に早足で付いていき、こそっと耳打ちする。


「……あの、咲に妙な真似しないでくださいね」

「自分がサッキーに僕らのことバラそうとしてたから、サッキーが殺されるんじゃないかって不安?」


 ――やはり、さっきの会話は聞かれていたらしい。


「残念。ほのぴってほんとおバカさんだよねー。僕、読心能力者なんだけど? ほのぴのことなんてお見通しだよ」


 仄香は拳を握り締め、絞り出すような声で訴えた。


「……もう二度と言おうとするつもりはないって言ったら、信用してくれますか?」

「それは僕の気分次第かな」


 にっこりと、冗談とも本気とも取れる笑顔を向けられる。


「僕の機嫌取り頑張ってね?」


 そうこうしているうちに宵宮が止めている車に到着した。

 何も知らない咲はワクワクしているのか車に乗り込むのが早い。

 仄香は咲と同じ後部座席に座り、前方にいる宵宮の様子をじっと観察する。

 殺意があるようには見えない。しかし殺すつもりがないのなら咲と仄香をわざわざ連れ出す理由がない。絶対に何か仕掛けてくるはず――と警戒し、走り出す車の座席には背を預けずにいた。


 都心に近付くにつれて黄昏が降り、空から明るさが消えていった。

 光り輝くビルの明かりの間を車が進む。武塔峰は都心からは少し外れたところに位置しているため、仄香が大都会の夜を近くで見るのは初めてだった。


「咲、ヤバい! 光の中を走ってるよ!」

「ヤバすぎる! 語彙消える!」


「そんなに喜んでくれて嬉しいよー」


 運転席の宵宮がくすくすと笑っている。

 つい本気で道路脇のイルミネーションに見惚れていた仄香はハッとして座り直した。


(いや私、本当に楽しんでどうする!)


 気を引き締めろと自分に釘を刺し直した。

 前方にはいつ咲を殺すかも分からない宵宮がいるのだ。仄香が夜景を見上げている間に撃ち殺される可能性もある。

 そんなことを警戒しながら宵宮を見つめていた時、ミラー越しにバチッと目が合った。

 宵宮は仄香を見透かすように目を細めている。この状況を楽しんでいるのだろう。


(機嫌取りって何すればいいんだろう……。宵宮先輩の好きなもの……煙草? いやでも、煙草は未成年の私には買えないし……)


 思えば、彼の好きなものをほとんど知らない。だから何をすれば喜ぶのか分からない。


「宵宮先輩、好きな食べ物ありますか?」


 こういう時は本人に聞くしかないと思い、少しだけ身を乗り出してみる。

 宵宮からもらったバイト代はまだ残っている。このお金で何か奢って媚びを売るくらいのことしか、今の自分にできることが思い付かなかった。


「んー。辛いものかなぁ」

「辛いもの! ちょっと待ってくださいね。宵宮先輩、晩ごはんまだですよね?」


 すぐさま端末で近場の辛いもののお店を調べる。

 『死のカレー』というカレー屋さんがヒットした。名前はちょっと物騒だが、口コミには『辛さレベル100を食べきると無料にしてくれます』『味覚細胞が死んでいる私にはぴったりのカレー屋です』『一瞬意識を失いかけましたが、これが辛いものを食べる醍醐味です』『辛すぎる。二分で店出ました』『他の店の辛さを基準にしてはいけません。この店は辛さレベル1でも辛いです』『これがクセになるんだなぁ。文句なしの★5!』などの声が寄せられている。

 仄香はシアターモードにして宵宮の横に画面を映して提案した。


「ここどうですか? 運転してくださってますし、もしよければ私、奢りますよ」

「あはは、口コミやべーじゃん。星五と星一の両極端。一部のマニアには好かれる店って感じ」


 口コミは冗談だと思うが、宵宮が辛さで意識を失ってくれれば咲を寮に帰すことができるのでそれはそれでラッキーである。


「ぜひぜひ! 私も咲も晩ごはんまだなので」


 必死におすすめすると、宵宮はちょっと可笑しそうに笑った後、「いーよ。寄ってあげる」と言って道を曲がった。




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