お盛んだったね




 事が済んだ後は、甘い時間も何もなかった。

 尚弥は動けない仄香を放って帰った。

 しばらく寝転がったままだったが、重たい体を何とか起こす。

 このテンションで咲のいる部屋に帰る気になれず、ジムに隣接しているシャワールームでシャワーを浴びた。

 髪を乾かし、体を拭いてから、ようやくさっき起こったことが現実なのだと受け入れることができた。


 転がったままのスポーツドリンクを拾って一口飲む。もう冷たさはなくなってしまっていた。

 椅子に座って最上階からの景色を眺める。遠くに高い建物が見えた。


(異犯の本部、夜はここから見えるんだ……)


 ぼうっとしていると、ブブッブーーーと端末が連続的に震えた。

 宵宮からの着信だ。


『ほのぴ、お盛んだったね~』

「ぶッ」


 仄香は飲んでいたスポーツドリンクを吹き出した。

 会話は宵宮に全て聞かれている。おそらく、端末に付着した物体を介して。


 ということは。先程の情事も、宵宮に丸聞こえだったということだ。


『〝志波先輩とがいい〟だっけ? やっぱ女の子って初めては好きな人とがいいもんなんだ~』

「……もう土に埋まりたいです……」


 泣きそうな声が出る。

 まさか、憧れの異能力犯罪対策警察第一課の人物に初めての性行為の声と音を聞かれるとは。死んだ方がマシかもしれない。


(私、そんなこと言っちゃってたんだ)


 志波と恋仲になりたいだなんて、おこがましいことは考えていないはずだった。ましてや性行為などできるわけがない。……なのに、さっきは咄嗟にあんな言葉が出た。自分でも不思議だ。


「私やっぱ、志波先輩としたいんですかね……?」

『うん? 何を?』

「……えっちなこと……」


 一拍間があった後、電話の向こうで、ギャハハとあの可愛らしい顔に似合わない笑い声が響いた。


『ふ、ははは、ひぃ、面白すぎる。いや知らないし。僕が分かるかよ』

「そ、そうですよね。すみません」

『ああ、でも、そういやあいつ、なかなかの不能らしーよ?』

「不能……?」

『勃たないってこと。第一課にあいつの元カノがいて、酒飲んでる時に聞いた話だけどさ。相当頑張らないと勃たないって愚痴零してたもん』

「……」


 最後に会った日のことを思い出す。その割には大きくなっていたが……。

 少々疑問を感じつつ、志波の元恋人が第一課にいるという事実にもモヤモヤした。


 仄香の心情などつゆ知らず、電話の向こうの宵宮は愉しげに話を続ける。


『にしても、最近の高校生って色々早いんだね~』

「別に、早めたくて早めたわけでは……」

『あーでも僕も武塔峰にいた頃は色んな意味で荒れてたなあ。むしろそういうのは高校生の方がお盛んか。バカだから』


 荒れていたというのは性的な意味でだろうか。言われてみれば、以前車でキスされた時も相当うまかったような覚えがある。

 宵宮がそれほどプレイボーイだったのなら、性行為の音など聞いても何も感じていない……かもしれない。宵宮からすれば環境音を聞くのと同じようなものだろう。そうだ、きっとそうに違いない――仄香は自分にそう言い聞かせて羞恥心を殺し、本題を急かした。


「これって、私のことからかうための電話ですか?」

『違うよー。伝えたいことがあってかけてんの。ほんとはもっと早く電話したかったんだよ? ほのぴたちがおっぱじめるから気を遣って終わるの待ってたんだよねえ。僕って優しくない? 感謝してほしいな~』

「……すみません……」


 謝るのも変だが、何だか申し訳なくなって謝罪した。

 電話の向こうの宵宮はくすくす笑った後本題に入る。


『ほのぴ、バイトしたいんでしょ?』

「……はい。ただ、ちょっとリスキーではあるなぁと悩んでるところで……」

『だったら僕の手伝いやらない? お金もあげるよ。対価としてだけど。高秋とのクリスマスデートも近いんでしょ~?』

「……」


 正直、少し警戒してしまう。

 現段階で異犯を裏切っている宵宮の誘い。ろくなものではないような気がした。


「手伝いの内容についてだけ先に聞いてもいいですか?」

『大雑把に言えば、第一課で引き受けてる僕の仕事の手伝い、かな』

「……現場のことを学べるという意味でも有り難いご提案ではありますけど、そそれって一般人である私が手伝っていいものでしょうか……?」

『正式な手続きを踏めば必要に応じて外部の人間の協力を仰ぐことは許されてるよ。どの課でもね。少なくとも、ほのぴがバイト禁止なのを無視して普通のバイトをやるよりはリスク少ないと思うけど? 僕なら報酬は現金でこっそり渡してあげるし』

「…………」


 いざとなれば【未来視】もある。

 それに、仄香が知りたいと思っているのは志波のことだけではない。志波をテロリスト側に誘った中心人物であろう宵宮のことも、未来を変えるために知らなければならない。


「……分かりました。授業はサボれないので対応できるのは放課後と休日だけになると思いますが、私にできるお手伝いがあればやらせてください」


 仄香は覚悟を決めて、宵宮からの提案を受け入れた。



 ◆



「あんた、怪我治るの早すぎじゃない? 異能力軍医に治してもらったとかじゃないわよね?」


 翌朝、咲がじろじろと仄香の顔を見つめて不審がる。

 治癒関係の高レベル異能力者は軍に勤務することが多い。武塔峰の保健室にも治癒を促進する異能力者はいるが、さすがにあれだけ腫れていた顔をたった一日で治せる程の実力ではない。咲がおかしく思うのも分かる。

 異犯本部の治癒班直々に治してもらったとは言えず、曖昧に笑って返す。


「顔は治ったんだけど、筋肉がめっっっちゃ痛い……」


 昨日いきなりハードなトレーニングメニューを課せられたせいで動く度に痛い。足や腕を動かすだけで激痛だ。


「筋トレが効いてる証拠よ。あたしランニングしてくるけど仄香も来る?」

「……行く」

「ええ? ほんとに? 仄香筋肉痛そうだし、冗談だったんだけど。まぁ、やる気ならウェルカムよ。ひとっ走りしましょ」


 咲は朝、授業開始までにランニングしていることが多い。疲れている日は仄香より起きるのが遅いこともあるが、大抵は眠気覚ましに走っている。

 これまでそれに付き合うことはなかったが、強くなりたい欲が高まっている仄香は咲に付いていった。来年二月にはマラソン大会があり、その順位は成績に影響する。今のうちに体力を付けておいて損はないだろう。



 気温はすっかり冬だ。吐く息が白い。

 グラウンドに到着した仄香は、この寒さの中走るのか……と最初は少し憂鬱だったが、咲と並んで走っているうちに体の方は温かくなってきた。

 咲はずっと一定のペースで走り続けている。それに付いていく仄香の方はだんだん息が上がってきた。

 咲も尚弥も――当たり前だが、武塔峰の成績優秀者は努力を継続している人が多い。仄香も勉強は頑張っている方だが、体はあまり鍛えられていない。筋トレもランニングも二人のように継続していこうと心に決めた。




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