打ち上げ 二



 てっきり志波が来ると予想していた仄香は彼を凝視してしまったが、音を立てて助手席の窓が開き、そこから志波が首を出す。


「――志波先輩!」


 思わずまた大きな声を出してしまった。

 すると、目の前の男がぷっと噴き出す。何故笑われたのだろうと不思議に思ってそちらに視線を移すと、彼は「ごめんごめん」と軽い口調で謝罪した。


「聞いてた通り、御主人様に超懐いてる犬みたいだなって。君が例の、紫雨華仄香ちゃん?」


 〝例の〟とは。そのように見られているのは少し恥ずかしいが、志波が自分の噂話をしてくれていたのだろうと思うと嬉しくなる。


「はい、私が紫雨華仄香です」

「仄香ちゃんか。じゃあ、ほのぴね」


(ほのぴ……?)


 突然あだ名を付けられて戸惑う。


「学生証の写真だと大きいメガネをかけてたから顔が分かりにくかったけど、かけてないと印象変わるね。可愛い」

「えっ、ありがとうございます」


 仄香の素直な反応が面白かったのか、彼はくすくす笑いながら自己紹介をする。


「僕は宵宮千遥よいみやちはる。そこにいる高秋の同僚です」


 ひょっとすると、志波に打ち上げを提案した同僚というのは彼のことだろうか。初めて見る志波の同僚だが、志波よりも愛想が良く親しみやすいように感じた。


「本日はお忙しい中、お迎えありがとうございます」

「ああ、君は一迅咲ちゃんでしょ。聞いてるよ~めっちゃ優秀なんだって?」


 深々とお辞儀した咲に、宵宮が優しく問いかける。

 異犯の先輩に存在を知られていたことが嬉しいのか、咲の頬がぽっと染まった。


「君は、サッキーね」

「サッキー……。は、はい」

「そっちは伊緒坂尚弥くん? 君も凄い生徒なんでしょ。今年の新入生は豊作だよねぇ~さすが武踏峰。尚弥くんはなおやんでどうかなぁ?」

「無駄口を叩いていないで、さっさと乗れ」


 車内から志波が口を出してくる。志波の言葉に「はいはい」と言った宵宮が運転席に乗り込んだ。その後、後部座席のドアが自動で開く。咲が乗り込んだので、仄香も乗り込んだ。最後に尚弥が入ってくる。宵宮の車は三人座っても十分な広さだ。


「高秋は無駄口って言うけどさ、無駄な話って大事だよ? 俺らプロで年上なんだから、彼女たちも緊張してるだろうし。仲良くなるには積極的に話しかけなきゃ」

「必要性を感じない」

「あ~お前、もしかして職場見学の時もそんな感じだっただろ。高秋らしいけど、もうちょっと愛想良くできないもんかな。三人ともゴメンね~? こいつ職場でもこんな感じなんだよね。でも別に君たちのことが嫌いってわけじゃないから」


 宵宮はバックミラー越しに仄香たちの様子を見ながらにこやかに話しかけてくる。

 思えば、志波以外の異犯の人間とちゃんと話すのはこれが初めてだ。小学生の頃、銀行で事件に巻き込まれた際に少しだけ事情聴取を受けたくらいで、それ以降プロとは関わっていない。故に仄香の中の異犯のイメージは完全に志波になっており、このように友好的な人もいるのかと少し驚いた。皆、志波のように厳しく効率主義な人ばかりだと思っていたのだ。


「君ら何部に入ってるの? あ、当てよっか。サッキーは吹部っぽい~」

「いえ……無所属です」

「えーマジ? 外しちゃった。なおやんは絶対サッカーかバスケでしょ」

「武踏峰、明成四年に部活は廃止されてますよ」


 これまで黙っていた尚弥がぶっきらぼうに答えた。

 実際、武踏峰にも仄香たちの入学前には部活があり、それなりに強豪なところもあったそうだが、去年から異能力の向上に力を入れる方針にしたとして全て廃止されている。


「そーなの? それ、寂しくない? どんどん学校ってよりはただの異能力養成所みたいになってくねぇ、武踏峰。それ程国からの圧力が大きいのかなぁ。世界をリードするような人材を作ろうって必死だもんね、今」

「あの、志波先輩は何か部活には所属してたんですか?」


 我慢できなくて聞いてしまった。高校時代の志波の情報を少しでも得たい。


「高秋は無所属だったよ。でも、スポーツは何やらせても優秀だったなぁ。体育祭でも目立ってたから、あちこちの部活から〝一緒に全国へ行こう〟って熱い勧誘が来たりして……ねぇ?」


 宵宮がちらりと志波を見る。


「あいつらのせいで昼食を取れなかったことは覚えている」

「あはは、そうだそうだ。昼休みになると囲まれてたもんね」


 けらけら笑う宵宮。その後ろで、仄香は高校生活を送る志波を想像して悶えていた。



 他愛もない話をしているうちに車が止まった。目的地に着いたらしい。

 大きな看板に『肉』という文字が入っている。


「や、や、焼き肉……!」


 涎が出そうになった。幼少期貧乏だった仄香の憧れの食べ物である。


「こんな場所でいいのか?」

「食べ盛りの高校生には肉食わせときゃ喜ぶんだよ。ほら、ほのぴ凄い食い付いてるじゃん」


 志波の問いに、宵宮が仄香を見ながら答える。

 はっとして縮こまった。分かりやすくはしゃいでしまったことが恥ずかしい。


「ガキかよ」


 隣の尚弥が馬鹿にしたように吐き捨てた。


「ガキって……尚弥も好きでしょ焼き肉。家族でバーベキューした時野菜そっちのけでお肉ばっかり食べてたし」

「昔の話すんな」


 尚弥がさっさと車を出ていく。咲も出ていったので、慌ててその後に続いた。



 案内された席は完全個室で、隣の部屋の声はまるで聞こえない。メニューにかかれている予想とは桁数の異なる値段を見て仰天していると、宵宮が「ああ、もうコース頼んであるから、追加で何かほしかったら言って」と言ってきた。仄香たちは待っているだけでいいらしい。



 すぐに前菜と飲み物が届き、皆で乾杯をした。アルコールも頼めるようだったが、大人組二人は高校生である仄香たちに気遣ってか、どちらもノンアルコールの飲み物を頼んでいた。


「改めて、職場見学お疲れ様~。色々あったと思うけど、死ななくてよかったね」


 さらっと〝死〟という単語が出てきて驚かされる。しかし、実際なくもない話だ。職場見学で死者が出た事例は存在する。


「あと、殺さなくてよかったね」

「殺……?」

「あ、知らない? 高校生はまだ実戦経験が足りてないから、異能の力加減を間違えて犯人殺しちゃうことがあるんだよ。確か去年も一件あったんじゃないかな?」


 ぞっとする。テロ事件の時、仄香は銃を使って犯人に立ち向かった。できるだけ急所を外そうとしていたとはいえ、もし彼らが変則的な動きをしていたら、当たりどころが悪くて死んでいたかもしれない。


「…………」

「何青い顔してんのよ。異犯になるなら、犯人への殺害許可が降りることは日常茶飯事だし、殺さざるを得ないことだってある。そういう覚悟も必要よ?」


 隣の咲が野菜を食べながら厳しいことを言ってくる。

 卒業は二年後。いつまでも高校生気分ではいられない。けれど。


「私は……極力殺さないようにしたいなって、思う」


 異能力者の人口が増えているとはいえ、その中心は若年層で、少子高齢化の進んでいる日本では無能力者の方が割合が大きい。世論では異能力への恐怖から、〝異能力を悪用した犯罪者はその罪の大小に拘わらず全員殺せ〟という過激な発言も多々見られる。だからこそ異能力犯罪者が殺されてもあまり問題視されないのだろう。

 仄香はその考えに疑問を抱いている。相手は能力を持っているだけの同じ人間だから。


「そうかな? 悪いことした人だよ?」


 しかし、前方に座っている宵宮は試すような口ぶりで聞いてくる。


「ほのぴは、人を殺すことって悪いことだと思う?」

「……殺人だけは取り返しがつかないじゃないですか」


 そう返すと、宵宮は目を細めた。



「本当に、取り返しつかないかな?」



 意味ありげな質問だ。

 意図が分からず黙り込むと、宵宮は「なーんてね!」と急に明るい声を出した。


「ま、色んな考え方があっていいと思うよ。意見を持つって大事なことだし、周りの意見に流されてる子ばかりでもつまんないしね」


 その時個室の戸が開き、店員が焼き肉の皿をテーブルに置いたので、話はそこで終わった。

 咲が率先して肉を焼き始める。仄香も慌ててそれを手伝った。尚弥だけは何もせず、つまらなそうにその様子を眺めていた。




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