職業適性:占い師




 目を覚ますと、冷たいコンクリートの上にいた。目が悪いために視界がぼやけていて周囲がはっきり見えない。しかし、どうやら知っている場所ではなさそうだ。


(ここは……地下室?)


 意識がはっきりしてくるにつれて異臭を感じ、うっと吐きそうになった。床には誰かの血液が広がっている。その向こうには、ぐったりと倒れている若い女性。その腹には何本もの刃物が刺さっている。

 早く救急車を呼ばなければ、と体を動かそうとした時、自分の手足が縄で固く縛られていることに気付く。身動いでみたが無駄だった。


(この縛り方、かなり慣れてる……素人の犯行じゃない)


 自分は何かの事件に巻き込まれているらしい、と気付くのにそう時間は掛からなかった。こういう時どうしたらいいかは学校で習っている。ひとまず周囲の人間の生死を確認せねばならない。足を伸ばし、倒れている女性を揺らしてみるが反応はない。

 目を凝らしてよく見ると、彼女は同じ学校の制服を着ている。そのポニーテールと大きめのシュシュを見れば、視力がなくても分かってしまう。――親友であり寮のルームメイトの、咲だ。

 動揺で動けなくなっていた時、背後からこつりこつりとこちらへ近付いてくる靴音があった。



 振り返るとそこにいたのは、異能力犯罪対策警察の第一課エース、エリート中のエリートである志波高秋しばたかあき――異能力犯罪が蔓延るこの日本で知らない人間はいない、一般市民の希望とも言える優秀な存在だった。


 異能力高校で日々異能力犯罪対策警察を目指して鍛錬している紫雨華しうはな仄香ほのかの、長年の憧れの人だ。

 彼はそのゾッとするほどの美しい顔の上に貼り付けたような美しい笑みを浮かべる。助けに来てくれたんですね、と言おうとしたが、そのような空気でないことに気付く。彼の顔に返り血が着いていたからだ。


 そんなはずない。

 そんなはずない。

 そんなはずない。


 あの志波先輩が、人を殺すなんて――。




 ◆



 後頭部に強い痛みが走り目を覚ます。次に、顔の上に目覚まし時計が落ちてきた。そこはいつもの学生寮の一室。仄香は二段ベッドの上から落ちたようだった。


「痛っっっったぁ…………」

「ちょっと、何してんのよ。仄香」


 頭を押さえて痛みに呻いていると、全身鏡の前で服装チェックをしていた様子のルームメイトのさきが訝しげな顔でこちらを見下ろしてくる。学生寮は原則として二人部屋だ。


「……咲……生きてる……」

「何よ、勝手に殺さないで」

「咲が殺される夢見た……」

「あたしがそう簡単に死ぬとでも?」


 咲が馬鹿にしたように鼻で笑った。


 一迅咲いちじんさきは、仄香が通う武塔峰むとうみね異能力高校でもトップクラスの実力を誇る異能力者だ。能力種は瞬間移動。触れた物体を別の場所に転移させられる異能で、国内でも珍しく扱いが難しい能力種だ。咲ほど移動させられる物体の総重量が大きい能力者もいない。

 咲の言う通り、これだけの実力の異能力者を殺すことができる人なんていない――一人を除いて。


 夢の中の愉しげな志波の表情を思い出す。


(変な夢見ちゃったな……あの人が犯罪に手を染めるなんて、あるはずないのに)


 時計を見ると、時刻は七時。一時間目開始は八時五十分なのでまだ余裕がある。


「咲、何でこんなに早く起きてるの?」

「今日異能力検査の日だから八時に保健室集合でしょ。あんたも前期の最初は無能力判定だったけど、そろそろ発現するんじゃない? 武塔峰に受かるくらいだし」


 異能力者法が改正されてから、国民全員に遺伝子検査が義務付けられるようになった。遺伝子によってこれから発現するであろう異能力の強度のみは分かるようになったのだ。受験の際もその遺伝子検査のデータを参考に推薦などが受けられる。

 武塔峰は、あの志波高秋も在学していた程の名門校。そこへの推薦資格が得られたということは、仄香も必ず強い異能を発現するはずなのである。


 床に落ちた分厚いメガネを拾い、耳にかける。


(私も早く自分の異能を発現したい。それで強くなって、あの人みたいな警察になるんだ)


 自分の能力種は何だろう。身体強化系でもいいし、遠視などのサポート系でもいい。いつか志波の隣に立てるような一人前になって彼の役に立ちたい――それが仄香のモチベーションだった。





 時は明成五年。

 世界で〝異能力〟と呼ばれる、人間の基礎的な能力以上の不思議な力を持つ人口が半数を超えてから五年が経つ。

 日本でも異能力者の割合が三十歳以下の若年層では八十パーセントを超えた。炎を操る者、空を飛べる者、犬以上の嗅覚を持つ者など、本来の人間以上の力を持つ者が増え、その分犯罪も複雑化している。

 そんな特殊な状況下で新たに警視庁内部に設けられたのが、【異能力犯罪対策課】だ。彼らは異能力犯罪対策警察と呼ばれ、大きく三つに分けられる。

 第一課は反社会的集団や犯罪組織を取り締まる。第二課は組織的ではない異能力犯罪を中心に取り締まる。第三課は重要人物の護衛などを任される。

 いずれも職員それぞれの持つ異能力を利用して活動を行うため、能力別に適切と思われる場所、本人の希望などを考慮して上から配属されることになる。


 異能力犯罪対策警察に最も多くの生徒を輩出している武塔峰異能力高校の新入生である仄香は、憧れの志波が所属している第一課を目指しており、第一課に適した異能を欲していた。




 しかし、そんな仄香の期待はすぐに裏切られる。


「【未来視】……ですか」


 保健室。カーテンで仕切られた簡易的な個室で、仄香は予想外の能力種について告げられた。

 養護教諭は笑顔でお祝いの言葉を伝えてくれる。


「ええ、発現おめでとう。この能力はねえ、最初は夢などで未来を見ることができるようになるのよ。訓練次第では意識的に特定の未来を視ることだってできるわ。この能力を活かして占い師なんかやってる人も多いわね」

「占い師……」


 仄香は異能力犯罪対策第一課の警察になりたくてここへ来ているのに、適性のある職業は占い師と言い切られてしまった。

 ショックを受けその場で固まってしまったが、「次の人お願いします」と早々に次の生徒との交代を指示されたので、ふらつきながら保健室を出る。


(アクション系が良かった……)


 仄香の憧れの存在である志波は、国内でも珍しい能力二種類持ちであり、そのどちらも戦闘向きのものだ。

 【切断】と【打ち消し】。前者は手を振るだけで空気を刃物のように尖らせ相手を斬ることができる能力で、後者は条件付きで他者の能力を打ち消せる能力。条件の詳細は志波自身が明かしていないため謎に包まれているが、どちらも前線で戦うのに向いている。

 いつかそんな志波の隣に立って戦いたかったため、蓋を開けてみれば未来視などという後方支援系の能力であったことに少し落ち込む。


 検査結果のシートを見ながら、ふと先生に言われたことを思い出した。


(……夢などで未来を視ることができる?)


 今朝見たのは妙に鮮明な夢。確かにあの夢だけいつもの夢とは感覚が違った。自分に未来が視えるということは、もしかしたらあの夢は――。


(……まさかな)


 仄香はシートを折りたたんでスカートのポケットに仕舞い、自分の教室へ向かった。





 仄香が教室のドアを開けると、しんっとわざとらしい沈黙が流れる。


「あ、ごめんねえ。当たっちゃった」


 席へ向かおうとすれば意地悪な同級生に足を引っ掛けられ、よろけて床に倒れることになる。周りも見て見ぬふりか、一緒になってクスクスと仄香を嘲笑っている。

 咲は他クラス所属のため、仄香はこのクラスで一人ぼっちだ。


「相変わらず、気持ち悪ぃ目の色」


 近くに座っている男子生徒が吐き捨てるように言った。

 生まれつき、仄香の瞳は紫陽花のような紫色だ。数ある色の中でも、紫だけは不吉らしい。恥ずかしくて一日中カラーコンタクトで誤魔化し続けているうちに角膜炎になり、それ以後コンタクトの使用を親からも医者からも止められてしまった。

 現代では髪の色や目の色も多様化しており、生まれつきオレンジやピンクの髪をした子も生まれてくる。隠さずとも何も言われないのではないか――そう思って初めてメガネをかけて登校した仄香の期待は裏切られた。その日から、中学の同級生たちは仄香に近付かなくなった。

 それは高等学校に進学しても同じだ。


「暗いしダサいし。あの茜さんと双子とは思えねーよな」

「向こうは神童なんて言われてるのにねぇ?」


 仄香は何かと双子の妹である茜と比較される。彼女もコースは違えどこの武塔峰の生徒であり、天才として全校生徒から持て囃されている。それもそのはず、茜は幼い頃から大人顔負けの頭脳を持ち合わせており、わずか十二歳で日本最先端の研究に携わり成果を上げている。それに、茜の瞳や髪は可愛らしい桃色。みんなから愛される色だ。

 それに比べて仄香は――。比較するたび、仄香は暗い気持ちになった。


 もう学校に来たくないと思う日もあるが、異能力対策課に入るには出席日数も関わってくるため休むわけにはいかない。仄香は毎日真面目に授業に参加していた。

 嫌なクラスメイトたちを無視して一番後ろの席に着き、一時間目の教科書を机の上に出すと、下品な言葉がマーカーで大量に書かれていた。


(典型的……)


 仄香は溜め息を吐き、中身を確認する。幸いにも中までは書き込みされていなかった。まだ使えるなと安心する。今日からは寮まで教科書を持ち帰った方がいいだろう。

 その後鞄からノートを取り出し、その間に挟まっている昨日の夜書いたファンレターの宛先に間違いがないか再度確認していると、ノートの上に自分ではない誰かの影ができた。


「無能力のくせに真面目にベンキョーして、健気だなぁ」


 仄香は、幼稚園からの幼なじみの伊緒坂尚弥いおさかなおやにまでいじめられている。きっかけは、尚弥が仄香の妹である茜を好きになったことだった。

 悪気はなかった。尚弥が茜と話す時だけ声がうわずっていたり顔を赤らめたりしていたから、漫画で読んだ知識で「尚弥は茜に恋してるの?」と茜の前で聞いてしまったのだ。今考えると申し訳ないことをしたと思う。尚弥の顔はみるみるうちに真っ赤になり、「んなわけねーだろ、こんなブス!」と言って走り去っていった。それ以来気まずくなったのか、尚弥と茜は話さなくなった。

 仄香の純粋な質問のせいで尚弥の恋は散った。だからこそ彼は仄香のやることなすこと気に入らないらしい。同じ武塔峰に入学してからはもっと仄香に対する当たりが強くなった。嫌いな仄香が自分と同格の高校に入学したのが気に入らないのだろう。


「……私、今日の検査では能力発現してたよ」

「今更発現したって遅ぇだろ。このクラスの連中は皆もう自分の能力種に合わせた授業選択して日々努力してんだよ。遅れてんのはお前だけ。それにどーせ大した能力種じゃねぇんだろ?」

「そんなことな、」

「あ? じゃあ俺に勝ってみろよ」


 バチンッと威嚇するように電気が発生し、仄香の体に痛みが走った。これをされると仄香は怖くて反抗できなくなってしまう。

 尚弥の能力種は【電撃】。電気を自在に操る攻撃的な能力だ。応用として、電気で動いている機械を壊したり、ハッキングしたりすることもできる。武塔峰の一年生の中では咲に並ぶトップクラスの能力者として扱われており、成績も常に上位である。悔しいが優秀な生徒だ。


「お前が武塔峰に受かったのなんてたまたまなんだからな。調子乗んなよ」


 怯えて黙り込んでしまった仄香に対し、尚弥は満足気に口に弧を描いて言った。顔の造形だけは整っているのに、吐き出す言葉は悪意に満ちていて醜い。


 尚弥は仄香が大切に持っていた手紙を奪い取り、内容を読んで鼻で笑った。


「なぁ! こいつあの志波さんにラブレター書いてるぜ」

「はぁ~? きっも」

「アンタなんかが志波さんに相手されると思ってんの?」

「よくそんな夢見れるよねー。釣り合わないっつーの」


 ラブレター、ではない。解釈によってはラブレターに近い内容かもしれないが、仄香にとってはファンレターだ。仄香は月に一回、必ず志波にファンレターを送っている。

 何故なら志波は仄香が異能力犯罪に対応する警察を目指したきっかけとなった人――小学生の時、命を助けてくれた恩人である。




 銀行強盗犯に人質にされ、自分の身の安全を諦めた時、志波を先頭とする異能力犯罪対策警察は颯爽とその場に現れた。後に聞けば、彼らの一部は実は当時正式な警察だったわけではなく、たまたまその場に居合わせたまだ見習いの少年たち――武塔峰の生徒だったそうだ。

 志波は小さな仄香を抱える犯人に何の躊躇もなく攻撃を仕掛け、一瞬にして仄香を取り戻した。仄香の両親も泣きながらお礼を言っていたのを覚えている。


 咄嗟の判断力、迅速な行動、かっこいい異能力――その全てが仄香を魅了した。


「あ、あのっ」


 人見知りだった仄香が自分から年上の男の子に話し掛けたのは、その時が初めてだった。


「私も貴方みたいな、強くてかっこいい異能力者になれますか?」


 ――仄香の憧れはここから始まる。

 志波はこの問いに眉を寄せ、冷たい目で仄香を見下ろしこう答えた。


「無理だろう」


 思えばそれは優しさだった。自分に憧れの目を向けてくる幼き少女に、はっきりと現実を知らしめる言葉。

 志波ほどの能力者は国内を探してもそういない。確かに、人質にされて怯えているような何の力もない少女が安易に目指せるレベルにはいない人だった。


 しかしその発言は仄香の心により火を付けた。いつか絶対にこの人の隣に立ってみせる、認めてほしいという思いから誰よりも努力した。


 遺伝子検査で自分に武塔峰の推薦資格があることを知ってからは、推薦入試に向けて勉学に励み、できるだけ豊かな経験を経て自分のアピールポイントも沢山作り、プレゼン能力なども養った。

 結果、仄香は武塔峰に受かったわけだが――。




 目の前に散らばっているのは、びりびりに破かれたファンレターだ。


 昨夜何度も書き直しながら丁寧に書いたファンレターは、尚弥や他のいじめっ子たちの手で滅茶苦茶にされてしまった。


「身の程弁えろよ。ザーコ」


 意地悪く笑う尚弥の顔が歪んで見える。同時に授業開始のチャイムが鳴り、クラスメイトたちが自分の席へ戻っていく。


 惨めな気持ちでただの破られた紙と化したファンレターを見た。



 ――志波先輩。貴方はまだ遠いです。







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