(2)

   ※



「――して、あたりを探しましたが、下男はどこにもおらず……」

 城の謁見の間で平伏したまま、法師は涙で言葉を詰まらせた。

「……雪女であろうな」

 一段高く設けた上座かみざにて、城主がぼつりと呟くように言った。広間の両脇にずらりと居並ぶ武家の男たちは、総じてしんと静まり返る。

「今年は立春を過ぎても雪が落ち着かぬ。そんな年は山の神が里に下りて来るさい、女の姿をとるそうじゃ」

 顔を上げた法師に、城主は憐れむように続けた。

「神の御渡りを見れば祟らるるが定め。下男は、そなたの身代わりになったのであろうの」

 そうだ。下男は、自分が殺したようなものなのだ。

(あやつはくなととめたのに……)

 唇を噛んで項垂れた法師の耳に、背後からぼそぼそとした小声が入って来た。

「……とりくんだねっか」

 涙目でちらと見やれば、下座にした男らが扇で口元を隠し、囁き合っていた。思わず耳をそばだてる。

「こんげこなゆきですろう、ばんげあたりこんだくっさきなさるんだねか」

「かあいそげらにのう。いいあんがくはねえろぅか」

 里言葉――。

 何を言っているのか全く分からなかった。ただ、その表情には同情が垣間見えた。

「そんげこといってっと、じっきおらたちがやられんだで」

 別の男が、妙に冷ややかな口調で口を挟んだ。

「しまんですむよう、法師さまにゃかんべしてもらうしかねえろう」

 法師との言葉が聞き取れた。

(……わたしのことを話していたのか? 一体、何と言ったのだ?)

「だってもどうしょもねえこて」

 そう続けた男の言葉には、うち捨てるような響きがあった。

「――雪女も法師殿の連歌会を楽しみに、見逃してくれたのかもしれぬの」

 城主の言葉に、法師ははっと顔を上げた。

「そろそろ日が落ちよう。館まで送らせるゆえ」

 話は終わったとばかりに立ち上がった城主に、法師は縋るような目を向けた。

「お待ちください、下男の捜索は――」

「探そうにも雪解けまでは何もできぬ。かえって死人が増えるばかりとなろう」

「そんな……人が一人、消えたのですぞ」

 法師どの――と城主は憐れむような眼差しを向けた。衣擦れの音を響かせて法師の前に降り立ち、その肩に手を置く。

「残念だが、もう手遅れじゃ。雪女に魅入られたのであれば、決して生きては帰れぬ」

 そんな。

 法師は両の手をついたまま呆然と項垂れた。

「ではお気をつけて戻られよ。雪道は夜といえど月夜をあざむくがごとくに明るいが、いったん吹雪ふぶけば視界はうなりますゆえ」


   ※


 太刀を提げた侍に伴われ、大雪の中を籠で送られた。

 帰路はより吹雪がひどく、一行は雪塗れになってやっと屋敷にたどり着いた。

 若侍は囲炉裏の火をおこし、早々に城に戻っていった。法師は立ち尽くしたまま、ぱちぱちと爆ぜる熾火おきびを悄然として見つめた。

(……城主の申す通り、この雪の中ではもう、生きてはおらんだろう)

 悲しくて、申し訳なくて――再び涙が込み上げてきた。

 雪女。このような奇禍が我が身に起こるなど、到底信じられなかった。

 しかも山の神の化身であるという。

(あれが神なものか! 物の怪のたぐいではないか)

 しかし――美しかった。吸い込まれるような双眸がよぎり、恐怖の中にも心が妖しくざわめいた。法師は慌ててそれを打ち消す。

「――ごめんくださいませ」

 門口かどぐちでひそやかな声がした。

 法師はぎょっとした。この吹雪の中、訪れる者がいるとは思えなかったのだ。

 胴服の袖で涙を拭い、門口に向かった。戸を開けると、雪で真っ白になった蓑を被った女が立っていた。

「身の回りのお世話を申し付けられ参りました。と申します」

 訛りのない挨拶に面食らう。

 城主が下男の代わりに寄越したのだろう。言葉の通じる女を。

 女は雪を払って土間に入ってきた。

 蓑を脱いだその姿に、法師ははっとした。汗が湯気となって立ちのぼり、それが雪女の白い瘴気がけぶるさまとかぶったのだ。

 しかも女は、息を飲むほどに美しかった。青白く透き通る肌に、濡れたような黒々とした双眸そうぼう。ぽってりとした赤い唇。艶やかな黒髪。――そうだ。この色味さえなければ――。

「いかがなされましたか」

 訝し気に見つめられ、法師は我に返った。

 いや、と擦れた声が漏れ、思わず口を押える。

 ハツは、ふうわりと微笑むと「お世話になります」とぺこりと頭をさげた。

 思わずほうと溜め息が出た。春のような女だと思った。厳寒の冬を思わせる雪女とは全く違う。

 それに、よくよく聞いてみれば、発音に多少の違和感があった。その訛りがなんだか素朴に感じ、ほっとさせられた。

(それにしても美しい……。京の女にも負けておらぬのではないか?)

 ただの側女そばめではなく、自分を慰めるために遣わされたのであろう。

 だが。

(こんな事態に女など抱けるものか。下男が、あんなことになって――)

 その時、再び門口の戸ががらりと開いた。

 法師は、息もとまるほどに驚いた。荒れ狂う吹雪を背景に、立っていたのは下男だったのだ。

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