異聞・新島の大踊と怪異と

柴田 恭太朗

伝統芸能には何かが隠されている。と先輩は言う

 ヤバイ。まさか台風が来るとは思わなかった。

 いや正確にいえば台風そのものは襲ってきていない。台風の進路が関西方面へそれたからこそ、チャンスとばかりにここ伊豆諸島の新島にいじまへ渡航してきたのだ。

 ところがオレたちの目論見はみごとにはずれてしまった、これほど遠く離れた離島にまで台風が悪さを仕掛けてくるとは。空は真っ青に澄みわたっているのに激しい風が吹きやまず、ついに目的の祭りが中止になってしまった。


 オレはテレビ局取材チームの下っぱメンバー。チーフである伊岡いおか先輩とともに、新島の本村ほんそんと呼ばれる集落を訪れていた。目的は、昨年ユネスコ無形文化遺産に登録された『大踊おおおどり』を記録することだ。それが気まぐれな台風のせいで、撮影ができないばかりか、帰る船も飛行機も全面休航。つまり、オレたちは完全に島に閉じ込められたわけである。


 それでも舞台の雰囲気だけでも押さえておこうと撮影機材をかついで、大踊が行われる長栄寺ちょうえいじへと向かった。それは新島の中心部に位置する大きな寺なのだが祭りの気配はひとつもなく、カメラを手にしたオレたちが見たものは閑散とした境内と、長栄寺からゾロゾロと行列をなして引き揚げてゆく警察のパトカーと白バイ隊だけだ。この小さな島にしては妙に警官の数が多いように思えた。


 仕方なしに宿へ戻ったオレたちは畳の上で大の字になり、こうして天井を見上げている。

「入社したての佐野さのは初めての経験だろうけど、取材に行ったら肩すかしなんてよくあることなのさ」

 伊岡先輩は電子タバコをふかして、うそぶいた。吐いた煙で器用に円を描く。たしか水族館の白イルカがこんな芸をしていたなと、オレは可笑しく思った。

「映像どうします? 撮れなかったじゃすまないですよね」、番組に穴が開く。

「まぁ、なんとかなるさ。心当たりはある」

「またまたァ、伊岡さん適当なんだから」

 このユルいところが先輩の親しみやすさでもあり、アラサーになってもチーフ職以上に出世できない障害でもあるのだろう。

「疑うなら証拠を見せてやろう」

 伊岡先輩は畳からムクリと起き上がると、手を伸ばしてかたわらのノートパソコンを引き寄せた。あぐらの姿勢で電子タバコをくわえたままペチペチとキーボードを叩いていく。


「これ見てみ、この動画を借りればいいよ」

 先輩が差しだすノートパソコン画面に映し出されていたのは、新島の大踊を映した動画である。ただそれはオレがこれまで見たどんな舞踊とも異なるものだった。


 踊り衆が舞う場所は縄で厳重に仕切りがされ、内部は細かな玉砂利が敷き詰められ、清浄に掃き清められていた。それはまさに儀式のための聖域に思われる。

 玉砂利の聖域の中では、頭に大きな笠をかぶり、笠のへりから紫紺色の布を垂らした異様なの男たちが輪になり、扇を手にユルユルと緩慢な動作で舞を舞っている。男たちの顔は笠と全周を覆う布でさえぎられ、その表情をうかがうことはまったくできない。たとえて言うならその風体ふうていはクラゲに似ていた。またその緩やかな動作もあいまって、さらにクラゲ感を増している。その紫色のクラゲたちが薄手の紋服もんぷくを着流し、腰から印籠を、そして背にはカラフルな組みひも、いわゆる真田紐さなだひもをふくらはぎのあたりまで長く垂らしていた。足元は屋外であるというのに草履をはかず白足袋のままである。

 踊りの輪の外には巨大なビーチパラソルのような傘と長い竹竿が立てかけてある。竹竿の先に取り付けられているのは鎌だろうか。鎌はみっしりと縄でぐるぐるに巻かれ、鋭い刃は覆い隠されていた。


「これが大踊おおおどり、ユネスコの無形文化遺産ですか」

「そう、2022年に日本各地の風流踊ふりゅうおどりがセットで登録されたんだ。それぞれに特色があるけれど、こんなユニークな踊りは新島以外にはない。踊り衆は事前に選別されていて、踊りに参加するには身分証明書である各家に伝わる『印籠』を必ず身につけていなければならない。誰でも参加自由な祭りではないんだ。このゆったりとした踊りを見て、佐野は正直どう思う?」


 突然感想を求められてオレはとまどった。求められるように正直に答えていいものだろうか? 少しためらってから正直な感想を口にした。

「なんというか退屈……いやディスるつもりは全然ないんですけど、一般的に踊りって観客も見ていて楽しくなったり、気分が高揚してくるものじゃないですか。ところがこの大踊は気持ちが鎮まるというか眠たくなるというか」

「ソレ。ソレだよ」

 伊岡先輩はわが意を得たりとばかりに人さし指を立て、ニッコリした。

「ソレですか」

「私が思うに新島の大踊はかを慰撫するために舞われるんだ。何が対象だと思う?」

「そりゃあ時期的にお盆ですし、先祖の霊を供養するためとか」

「それも当然あるだろう。しかし、新島の大踊はもっと別の意味があるんじゃないかと私は思っている」

「具体的には?」

「古来からこの島に宿る大いなる力」


――『大いなる力』ときたか。

 オレはその言葉に思わずニヤリとして、伊岡先輩の顔を見つめてしまった。だが当の本人はニコリともせず、いたって真面目な眼差しでオレを見返してくる。それで思い出した。以前、伊岡先輩の机の上にオカルト雑誌が何冊も積まれていたことがある。そうだ、先輩はアラサーにもなって不思議系の信奉者だったのだ。


 やや居心地が悪くなってモジモジするオレの様子を見ると、伊岡先輩はたたみかけるように目撃談を話しはじめた。内容をかいつまんで記述すると、こんな具合だ――


 ◇


 いまから十数年前、先輩が大学生のときのこと。今回と同じお盆休みに、ここ新島へ旅したことがあるそうだ。昼間、島をあちこち巡り、夜になると大踊の見物に長栄寺へと向かった先輩は、境内に近づくにつれ聞こえてくる大きなダミ声に気がついた。足を早めて境内に入ると、いならぶ観客の中でひとり騒いでいる酔っ払いの姿があった。

 タチの悪い釣り客であろう、派手なアロハシャツに夜だというのにサングラスをかけてイキがった酔っ払いは缶チューハイを片手に大声で叫んだという。

「こんな地味でつまんねぇ踊りがあるかよ! ああ分かった、これは流人るにんの芸だな、そうにちげえねぇ」

 長栄寺の境内はまさに幻想的な大踊が舞われている最中である。場内に張り詰めた透明かつ厳粛な雰囲気をやぶって酔っ払いのダミ声は山門に跳ね返って大きく響いた。周囲の観客は酔っ払いの愚行に眉をひそめたが、祭事の進行中である。見かねた観客の一人が警備の警察に連絡したのか、ひとごみをかき分けて二人の警官が酔っ払いを目指してやって来る姿が見えた。


 警官の制服が目に入ったと見えて、酔っ払いは視線を左右に振って逃げ場を探した。あいにく観客席は住人や観光客でいっぱいである。男が唯一選択できる逃走ルートは縄で仕切られた大踊の輪の中しかなかった。


 男の動きは素早かった。聖域を仕切る縄の外で警護をしている張り番があわててのばした手の下をかいくぐり、印籠を持たない酔っ払いは大踊の輪の中へと飛び込んでしまった。

 大勢の観客からアッともキャッとも聞こえる言葉にならない悲鳴が上がった。

 すぐに静まる境内。皆が続いて起こることを予感して、息をひそめ身を固くしている様子が会場の松明たいまつに照らされて浮かび上がった。


 そのときだ。寺の背後にそびえる山の方から、低くきしむような咆哮が轟いた。もし体育館ほどの大きさの牛がいるなら、きっとそんな鳴声になるだろう。の咆哮は長栄寺の境内に集まった人々の臓腑をつかみ震わせるような低い周波数で長く長く軋み、島内にこだました。


 正体のわからない怪異に先輩は身をひるがえして逃げようと試みた。

「動いちゃなんねぇど!」

 隣で踊りを見物していた老婆が先輩の腕をしっかと握りしめ、その場に留まるよう言い含めた。老婆のいうことには、とがのない者は決してその場から動いてはいけないのだそうだ。おそらくその咆哮の主は動く者に襲いかかってくるのではないだろうか。


 怪異は歩みはじめたようだ。規則的な地響きと荒い鼻息が近づいてくる。

 姿こそ見えなかったが、境内の空気を圧して、何か巨大なものが移動している気配が伝わってきた。地響きとともに境内の玉砂利の上にクッキリと巨大な丸太でつけたような窪みができてゆく。

 その足跡はまっすぐアロハシャツの酔っ払いを追っていた。男は踊りの輪からいったんは南の山門へ向かい、門が警官らで封鎖されているのを見て取ると、門の左隣に立つ鐘楼へと駆け上がった。


 酔っ払いは鐘楼の上で境内を振り返った、皆には見えない怪異が男には見えるのか、虚空を見つめ長々と悲鳴を上げながらズボンに失禁した。彼の悲鳴が消える前に、何者かにちぎられたかのように重さ1トンを超えるであろう巨大な梵鐘がアロハ男の頭の上に落ちていった。


 怪異を呼び出した原因が取り除かれると、不気味な咆哮は瞬時に消え失せ、境内は静まり返っていた。そのとき先輩は長い竹竿の先につけた鎌の縄がほどき取り去られ『臨戦状態』で踊り衆の手に握りしめられていることに気づいたそうだ。


 ◇


「それで、どうなったんですか?」

 オレはすっかり伊岡先輩の話に引き込まれ、興奮状態で続きを促した。

「どうって、それっきりさ。酔っ払いの死亡原因も明白だし、その場に警察もいた。粛々と現場検証が行われるかたわらで、大踊はつつがなく全演目を終えた」

「先輩先輩? 聞きたいのはソコじゃないです、見えない怪異はどうなったんです?」

「私も不思議に思って住民に聞いて回ったんだけど、どうも要領を得ないんだよなぁ。彼らが口をそろえたように言うのは、どうやら寺の裏山、島の人々は寺ン山てらんやまって呼んでるけど、その崖が崩落した音らしい。地層がもろくなっていて、よく崩れるんだってさ。きっと口に出すことが憚られる事情があるんだと理解した」

 そんな説明ではオレは合点がいかなかった。それでもオカルト好きな伊岡先輩は先輩ならではのロジックで納得しているらしい。伏せられた事情があるなら、いつか暴いてやるまでさとオレは思い、質問を変えた。

「じゃあ、その臨戦状態の鎌は? 銃刀法違反とか凶器準備集合罪とかなんとかに」

「ならないって。だって祭りに欠くことのできない演出アイテムだぜ?」

「ホントにそうなんですかね」

 新たな秘密の暴露を期待していたオレはがっかりした。


「……というのはあくまでも表向きの迷彩で、たぶんこれは私の想像だけど、イザというときには使うんだろうな。死神のサイズを」

「死神の鎌! なるほど何かに似ていると思ったら、あれは死神の鎌そのものじゃないですか」

「だろ? 大踊の進行を妨害する者が現れたら、死神の鎌で直接の原因を強制排除するんだ。さもないと面倒なことになるんだろうな。知らんけど」

 先輩は肝心なところになると、あいまいに言葉を濁してしまう。あるいは、その怪異を思い出すことを意図的に避けているのかもしれない。PTSDを起こすほどの恐怖であろうから。


「もうひとつ質問いいですか? 住民2500人ほどの小さな島の祭りになぜ白バイ隊やら大勢の警官やらが集まって警備をしているんですかね」

「私が来島したときは機動隊までもが出張でばってきて警備をしていたよ。つまり、島のアレの存在を知っているのが村民のみならず、国家機関も周知している証拠ってことだろうな」

「それでも隠し続けていると。先輩、不思議に思うのはですね、釣鐘に潰された酔っ払いのように外から来た観光客が島の秘密を暴露してしまうこともあるじゃなかろうかって」

 オレは当然のように浮かんできた疑問を伊岡先輩にぶつけた。


「キミは行旅死亡人こうりょしぼうにんって言葉、聞いたことある?」

「旅先で亡くなった身寄りのない人のことでしたっけ」

「ご名答」、先輩はニッコリとしてから一段声をひそめた。「この島に限ったことじゃないけど海に面した土地では、しばしば行旅死亡人が浜に打ちあがる。そういったご遺体にはたいてい鋭い刃物でザックリ切られたような跡がついているという……」

「やめてくださいよ先輩、それは波で岩場にこすられてできた傷では」

 オレの声は思わず上ずった。

「普通はそう思うだろ、だから島の秘密はバレることがない。いつまでも、いつまでも」

 伊岡先輩はニヤリと笑い、電子タバコの白煙を細くゆっくりと吐き出す。


 そしてふと思いついたように不気味な告白をはじめた。

「実はね、今回の大踊で、キミに怪異の姿を目撃レポートしてもらおうと思っていたんだ。つまりその『印籠』を持たずに踊りの輪に乱入してもらってだね……」


 先輩の声をうつろに聞きながらオレは脳裏にある光景を浮かべていた。

――後ろから強い力での輪の中に押し出される無防備なオレの姿を。そして驚いて振り返るオレの眼に映る半笑いの伊岡先輩の顔を――


 オレは激しく身ぶるいしながら決意した。

 今度新島に来るときは、忘れずに『印籠』を持参しようと。


 完


参考資料


「「新島の大踊」ユネスコ無形文化遺産に決定」新島村

https://www.niijima.com/facility/community/hakubutsukan/news/2022-1217-1103-48.html

「大踊」東京イチオシナビ

https://www.chiikishigen.metro.tokyo.lg.jp/introduction/details/introduction_123.html

「新島の大踊り」文化庁

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/161491

「新島村 若郷の大踊り」一般財団法人 地域創造

https://bunkashisan.ne.jp/bunkashisan/13_tokyo/7097.html

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異聞・新島の大踊と怪異と 柴田 恭太朗 @sofia_2020

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説