『安白ワイントリップ紀』

小田舵木

『安白ワイントリップ紀』

 俺の眼の前には安い白ワインのボトル。

 コイツを今からもうって訳だ。なんぞ良いことがあった訳じゃない。むしろ日々は嫌な事が続いてる。要するにヤケ酒って訳だ。なんとも情けない。

 安ワインってのは大抵、スクリューキャップだ。コルク抜きなぞお呼びじゃない。

 ワイングラスなんて洒落たモノは家にはない。だから安いタンブラーにワインを注ぐ。

 注いだワインは色が薄い。良い白ワインは微かな黄金色をしているもんだが、安ワインはそうもいかない。

 ぐっとあおる。水っぽい味わいと酸化防止剤のえぐ味。

 ああ。不味い。何で俺はこんなモノを呑んでいるのだろうか?

 それは単純に俺がアル中気味だからなのかも知れない。最近は休肝日を設けたりしているが。

 

 ツマミは業務用のスーパーで買ったスモークサーモンと軟骨唐揚げ。なんとも微妙なチョイス。スモークサーモンは良いが、軟骨唐揚げはどうだ?何か焼酎の方が似合わないか?

 

 スモークサーモンの燻製の香りを口に一杯にしながら、安ワインを呷る。いいワインなら良きマリアージュになりそうなものだが、安ワインはそうもいかない。燻製香にワインの風味が負けるのだ。

 

 俺はワインを呷る。

 今度は軟骨唐揚げ。この軟骨唐揚げは揚げる必要がない。コイツはレンジでチンできる。この気軽さが売りの商品なのだが―レンチンした軟骨唐揚げは衣がベシャっとする。

 ベシャついた軟骨唐揚げと安ワインのマリアージュは微妙を通り越して悲しくなってくる。衣に効かせたニンニクの香りばかりが口を覆う。


 俺の今回の晩酌は悲惨なもんだ。それもこれも貧乏が悪い。そして貧乏なのは俺が悪い。

 ああ。神よ。仕事を我に与えたまえ―

 

                   ◆


 安ワインでも酔いはしっかりと来るから不思議だ。

 ワインの酔いはどうにも、酎ハイなんかと違う。単純に度数が違うのもあるが。

 浮遊感が凄いのだ。ふわっふわした感覚に襲われる。

 ふわっふわした感覚のまま、俺は床に寝転がる。

 そして天井を眺める。そこに白い壁紙が貼ってあり。

 コイツをスクリーンに見立ててトリップするのが俺の趣味の一つだ。これはカネがかからないから良い。

 

                   ◆


 ワインとツマミのマリアージュ。

 マリアージュってのは結婚の意だったと記憶している。

 結婚…俺には縁遠い言葉だな。メンタル持ちのデブのおっさんと結婚するヤツが居るだろうか?いや居ない。

 俺は昔はそれなりに女性と付き合って居たこともある。でもどれも長続きしなかった。

 最初の彼女は接客業の時に知り合った大学生。勝手にこっちに理想を押し付ける女だった。

 だから、あっという間に破局した。俺がセックスをせがんだせいもあるかな。

 その間に俺は、年上の女性とあっさりセックスしていた。これには俺も驚いた。

 彼女は知り合いだったが―なんだか知らない間に部屋に上がりこまれ。据えぜん食わぬは武士の恥方式で、童貞卒業した。あれは事故みたいなものだった。後が続かなかったしね。

 

 次は別の年上の女性と付き合ってたっけ。彼女とは関係が少しは続いたが、最終的には破局した。向こうが俺に飽きたらしい。


 俺は。男女の愛というものに縁がない。

 それは性欲にまみれているからかも知れない。性にがっつき過ぎたのかも知れない。

 それを今は悔やむ。今は性欲なんて宇宙の果に消えている。メンタルの治療の影響だ。

 その時必要なモノはその時にはないモノなのだ。

 

 結婚…そう言えば。昔ルームシェアをしていた時に相棒とこういう話をしたっけな。

「お互いが結婚できなかったら、老後は俺達2人で過ごそうぜ」当時は本気だった。

「どうせ。小田くんは結婚するっしょ?」彼はそう言った。当時童貞だった俺はこうこたえた、

「結婚なんて出来るわけねーじゃん。童貞力の高さ舐めんなよ」この言葉はある種の呪いになった。


 さて。この話をした友人は。最近結婚した。

 うん。彼は俺から見てもナイスガイだったからな。

「小田くんより先に結婚してもうたなあ」彼は言ったっけ。

「ま、君は俺よりナイスガイだからな。当たり前の結果よ」俺はこう言いながらも、何処か彼に置いてけぼりにされたような、そんな気分になっていた。

 

 俺は孤独に死す運命にある。女性とは縁遠い。大体。良い遺伝子を持っていないのが致命的だ。俺にはうつの因子が遺伝子に刷り込まれている。ついでに引きこもりの遺伝子も。

 結婚というのは言い方を乱暴にすれば、女性が未知の遺伝子を獲得する過程である。

 そこに不良遺伝子を抱えた俺がノコノコ出ていって勝ち目はあるだろうか?ない。確実にない。

 俺の血脈は。俺の代でストップする。さらば、小田。君たちの遺伝子は環境に適応することが出来なかった。だから淘汰されるのだ。これは自然の習いである。どうか俺を憎むこと無かれ。

 

 …結婚の事を考えてたら、かなり暗い気分になっちまった。

 だが、コイツはついつい考えてしまう問題だ。何故なら、俺達の生は遺伝子に乗っ取られているからだ。遺伝子は増殖し、次代に子孫を残す事を強く志向する。

 

 どうせ手に入らないモノを志向せざるを得ない人生は悲惨である。

 メンタル持ちで失職中のおっさんが望んでいいモノではない。

 結婚は―遠きトコロにある。俺にとって。そして。一生手に入らないモノでもある。

 ああ。生きる意義を何処に求めれば良いのか?


 


 人生は基本、無意味だ。ただ、生物が日々生存していく過程に過ぎない。

 俺はそんな日々に退屈を覚える。物語の主人公みたいに何かに貫かれる人生を送ってみたい。

 だが、話はうまくいかないものであり。

 日々の生活、日々の生存に忙殺される日々。そこに俺は絶望を覚える。

 茫漠ぼうばくとした人生が、未来が、俺の眼の前に広がっている。そこを歩くのは一筋縄ではいかない。

 こういう時に役立つのが、遺伝子の本能である。結婚し、子どもを為し、次代を継いでいく。

 そこには意義がある。少なくともそれを生きる人間には。

 俺は女性とカップリングする男性たちが羨ましい。これで君たちは人生の意義という答えのない難問にわずらわされる事はない。


 結婚とそれに続く過程には使命がある。

 それは崇高ではないが、悩む価値のある使命である。

 君たちは立派に生きている。そして人類という種を保全してる。あるべき動物の姿。俺はそれに嫉妬を抱かざるを得ない。

 俺は満たされない人生に生きている。一生満たされる事がない人生に。

 それは結婚や女性とのカップリングで解決されるようなしょうもないものだが。


 俺は人生の意義。ないものに悩まされている。

 人生の意義を結婚ではなく、個人の幸せに求める事も―今の時代なら可能なのかもしれない。

 

 人は子孫を残す事を強く志向する。それに抗う?それは人生を否定するようなものである。

 

 勝ち目のない戦いを挑むほど、俺は阿呆あほうではない。

 …んじゃあ?結婚できるのか?

 …出来る訳無いじゃん。

 かくして。

 俺のカルマは完成する。そのカルマは結婚という軸を中心にして回る。

 だが、その車輪は役立つ事はないのだ。

 あああ。生きる意味など―ありはしない。

 

                   ◆


 安ワインのトリップは安っぽい。俺は天井を眺めながらそう思う。

 結婚について今さらウダウダ悩むとは。

 。それは不良遺伝子を次代に残さない為である。

 俺の遺伝子を半分継いだ子どもの人生に幸せはあるだろうか?俺はないと予想する。

 

 どうせ産まれない子どもの事を心配するのも変な気分だ。

 だが。俺の子どもってだけで苦労するのは確実で。そんな嫌な目に合わすくらいなら結婚なんてしないか、結婚しても子どもを産まないかする方が良い。

 

 あああ。孤独に生きる運命の俺。老後は悲しく死を待つだけの俺。

 こんな未来をどう祝福すれというのか。

 

 そう。俺は失敗作なのだ。親には悪いが。

  

                   ◆


 俺は変な子どもだった。言葉が姉よりも大分遅れた。

 そして、地域の『ことばの教室』にち込まれた。

 そこで運動神経と引き換えに言語能力を手に入れた。そう、俺は死ぬほど運動神経が悪い。それも言葉を喋るようになってからは顕著に。

 

 言語を手にいれた俺。だが、脳みその何処かにバグを抱えていたのは確実だ。

 俺はどこか人付き合いの苦手な男だった。人との距離感がバグっているのだ。

 初対面の人には愛想が良いが―付き合いを深めると距離を取り出す。それが俺で。

 結局、人付き合いの苦手っぷりは克服されなかった。親が転勤族で転校をかなりしたというのに。

 

 俺は気付くと不登校になっていた。中2の事である。

 その頃の俺は荒れに荒れていた。この世のモノが全て気に食わなかった。

 そして。人生に生きる意義を見いだせてなかった。

 非行をすることで。人生に楯突こうとしていたなあ。当時の俺は。その頃から喫煙者である。犯罪自慢になってしまうが。当時は煙草の販売の規制がかなり緩かった。なんなら自販機で煙草を買うのに、身分証明など必要なかったのだ。


 煙草を吸いながら俺は人生について考えていたが。

 

 そう、未来のある当時から人生に意義など見いだせていなかったのだ。

 当時、太宰治や芥川龍之介やカート・ヴォネガットを読んでいたせいかもしれない。


 『So it goes.』当時の俺が痺れていたフレーズ。カート・ヴォネガットの『スローターハウス5』に出てくるフレーズ。

 『そういうものだ。』全てはこのフレーズに帰着するような気がしていたっけな。当時の俺は。

 

 俺の人生は終わってる。

 この感覚は14の頃から始まり、今に至るまでずっと抱き続けている。


 俺は高校に進学したが。結局辞めた。それも2つの高校を。

 それもこれもうまく社会に入っていけないからであった。

 その後は高認試験を受けたが。結局進学はしなかった。やはりそこでも人生に明るい展望を抱けなかったからだ。

 

 20になるまで引きこもりをしていて。それを見かねた両親が引きこもり専門団体に放りこみ。そこの寮で2年暮らした。ルームシェアした相棒とはここでの同期である。

 寮生活は大変だった。周りは一回り以上年上の連中ばかり。うまく関係を築けたのはさっきのルームシェアの相棒と、同年代の仲間と、あと一人だけ。


 この寮は食わせモノだった。

 寮に入ったからと言って、就職なんかの支援はありもしない。

 結局、全て自分で頑張る羽目になった。月々うん十万の寮費を両親が払っていたのに。


 ここでは―そう言えば人生の意義について悩むことは少なかった。

 とにかく就職しなくては。そういう思いでやっていった。

 とにかく猪突猛進がその頃の俺のモットーで。いろんな事に首を突っ込んだっけなあ。思えばあれが俺の青春だった。

 

 俺は人生について思い悩むのを辞め、とにかく明るく、強引に暮らしていた。

 だが。そういうスタンスは反発を招きやすい。

 俺は寮の連中に嫌われていた。気が付いたら。

 まあ?鈍感な俺はそれに気がつくことなく、退寮していった。嫌われていた事に気が付いたのは後からである。

 

                   ◆


 安ワインのトリップは俺に人生を振り返らせる。余計なお世話だっつうの。

 人生を振り返ってみても、特に新しい発見はない。

 俺は14の頃に人生に絶望し。そこからずっと変わっていない。

 少しは、少しは努力した方だと思う。就職関係については出来る限りの努力をした。

 だが。人生はままならない。

 俺は仕事を続ける事が出来なかった。俺は仕事で一段落着くと思い悩む男なのである。



 そうして仕事を2つも辞め。今はクソ垂れニートである。

 最初に戻った感が拭えない。

 俺には何もない。生きる意義の答えもない。

 このままのうのうと生きていて良いのだろうか?

 

                   ◆


 死を考えた事は幾度もある。

 だが。俺はそれに踏み込む勇気がない。

 それには理由と言うか、ある思い出があるからだ。


 寮で暮らしていた頃の事である。

 寮である先輩がいた。彼は俺と10歳違った。当時の俺は21、彼は31。

 仲が悪かった。些細ささいな事で喧嘩をし。お互いに無視し合う冷戦状態を迎えていた。

 

 ある日。先輩が和解を申し込んできた。

 それは友人の手引もあったが、彼自身が今までの行いを反省した結果だった。


 時は桜が咲きそうな3月末。先輩は寮を卒業したばかり。

 彼は当時、かなりの不安を背負っていた。将来に向けて色々と準備をしている最中だった。

「小田くん、今までゴメン」彼はそう言い。

「いいっすよ。気にせんで」俺はそうこたえた。

 その後は俺達は酒を呑み交わした。そして色々話をして別れた。


 桜は咲き誇る。4月1日の事。

 俺は寮のイベントの花見に参加していて。

 そこで酒を阿呆あほうみたいに呑んでいたのだが。

 その日に先輩は首をくくって亡くなっていた。

 

 その知らせを聞いたのは一週間後だったと記憶している。

 寝耳に水のような驚くべき知らせだった。寮に激震が走ったのをよく覚えている。

 その日ばかりは仲の悪い先輩たちと酒を酌み交わしたのを覚えている。


 それから数日後。彼の葬式に参加し。

 そこで彼の遺体を見て。かなり不思議な気分になったのを覚えている。

 せっかく和解したのに…そう思った。そして視線を落とせば、彼の首には首吊りの跡が微かに残っており。

 ああ。彼は自分で自分を処したのだな。そう思い。

 ああ。俺は彼の真似をすることは出来ない。そう思った。

 それは俺が思い切りのない人間だからである。

 死ぬにも勇気は要るものだ。そして彼は―勇気を持っていたのかも知れない。持ってなかったのかもしれない。

 どっちにしろ。彼は道を選ぶだけの気概があった。

 そして。俺には道を選ぶ気概がない。


 それは俺の人生を貫いている。

 俺は流されるままに人生を生きてきた。

 何故なら、自分の意思以外で環境が変わる事が多かったからだ。

 転勤族の家庭。それは常に環境が変わりうる事を意味する。

 俺はそれに過剰に適応して生きてきた。中2になるまで齟齬そごを起こす事はなかった。

 だが。俺は段々と適応力をなくしていき。結果として不登校―引きこもりコンボを決め、親から言われるがままに引きこもり専門団体の寮に入寮し。

 今も親からの就職しろという圧力のもと、就職活動を頑張っている…


 

 だから。自分の死を自分で決める事も出来ない。

 これが俺が自殺出来ない理由である。


 …自分の人生の責任を他人に擦りつけてばっかだな。俺。

 

                   ◆


 安ワインは俺を過去に誘い。そして絶望させる。

 俺はしょうもない人間である。自殺した彼と比べてもしょうもない。

 何一つ自分で決められない男。それが俺だ。

 そんな俺に誰がかれるってんだよ。結婚なんて出来るわけねえだろ。

 

 気分がやさぐれてくる。

 俺はどうしようもない焦燥感に襲われる。

 ああ。どうしたら―俺は意義のある人生を送れるのか?


 ここで。この文章を読んだ奇特きとくな君はこう突っ込むかも知れない。

「行動せよ。それで全ては解決する。今すぐ職を探し、生きるのだ。自らの力で」

 おう。そりゃ正しい意見だ。んな事言われんでも分かっとるわい。俺は安ワインをあおる。

「そう言ってもなあ。もう二度も職を辞した男だ。その上メンタル持ちだぜ?どう就職しろってんだい?ブランク持ちの30代を雇うトコロはあるのかい?」

「それは君が贅沢言っているからだ」

「言ってねえ。むしろ行動してねえ」俺は職探しをしているが、どうも次の一歩を踏み出せない。

「だから行動しろってんだろ!クソ製造機め!」君はウダウダ言い訳する俺をしかる。

「ああ?舐めんなよ?無気力な俺を」俺は開き直る。こんな事をしても無駄なのに。君が言うことを聞いた方がマシなのに。

「無気力なのは。君が生きようとしてないからだ!」

「生きる意味があるのか?俺の人生に」俺は問わざるを得ない。

「ないね」君は言い切る。

「ははっ。改めて言われると―腹が…立つ?」おかしい。俺は自分に生きる意味など認めてないはずなのに。

「腹が立つだろ?それは君がそれでも生きたいからだよ」君は優しい。根がいい人なのだ。こんな雑文クソに付き合うくらいなのだから。

「でもよお。俺は…俺はカスだぜ?」いい加減鬱陶うっとうしい。諦めの悪い屁理屈こね程うざいモノはない。

「この世の中のみんなも…自分に価値を見出すのに苦労してるんだぜ?」君はよく人を観察する人だ。

「そうなのか?俺だけじゃないのか?」世間知らずな俺は。そんな当たり前の事すらよく知らなかったのだ。

「ああ。人生に意義なんてないさ。それでも日々を生きるため、それに目をつむって頑張っているのさ」

「それが詰まんねえんだけど」俺は根がひん曲がった男である。

「そこに楽しみを見出さねば。人ってのは想像力が深い。どんなモノにでも意味をひねり出せる」

「俺は想像力が貧困なのかい?」

「そうだよ。想像力が貧困だから、人生の意味を捻り出せない」

「おお…」俺は言葉を失う。そうか。俺は想像力が貧困だったのか。

 

                  ◆


 いつの間にか。俺はトリップからめる。

 帰ってきたのはきたねえ床の汚え部屋。

 その天井を眺める俺は阿呆みたいだ。

 だが。妙に気分が晴れやかなのは何でだろう。


 俺は床から起き上がり、部屋のカーテンを開ける。

 そこには見事な夕暮れが。昼から呑んで今までトリップしていたらしい。

 茜色の空がなんだかいつもより綺麗に見える。

 明日から―生きる意義を探す旅に出よう。

 …つってもカネがないから、ハローワークに通うのが先決かな。

  

                  ◆


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『安白ワイントリップ紀』 小田舵木 @odakajiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ