Episode.Ⅰ-Ⅴ:地下の家族

二一一二年六月二十日。

白昼堂々と起きたテロ事件から数日後。

湿気が多く汗ばむ季節となるのは地下も同様で、

こと湿度に関する不快感は地上のそれを遥かに上回っていた。


「フロッグたちは名誉ある死を遂げた。そうさ、あれは名誉の死だ。あいつらははじまりの扉を叩いた英雄たちなんだ!」


柵の向こうで叫んでいるのは、いつもの浮浪者。

男は自分のことを「『傷』に選ばれた革命家だ」と豪語するが、ほとんど骨と皮だけになったやせ細った身体と歯の抜け落ちた口元をみるに、到底その言葉を信じるに値しない。それは善悪・正誤の判別が困難な子供たちにとっても同じだった。


「またスネおじさんが騒いでら。」


「けど本当に皆殺しにされちゃったんだな、地上に出てた抵抗軍のひとたち。」


「怖いなぁ、やっぱり地上は怖いところなのかな。」


「地上の「せいふぐん」ってのは悪者で、俺たちはそれをたおさなくちゃいけないんだぜ!」


「はい、はい。そこまで。」


ひとかたまりになって騒いでる子供たちを、

両手をぱんぱんと叩いて解散させる。

青年の名前はジョーといった。


「じょー!まだ外で遊んでいい時間だろ!」


「今日はもうダメだ。雨が来る。身体に悪いから、はやく教会の中に入るんだ。」


地下のネノクニでは、

地上の天候や事情に合わせ月に数回「黒い雨」が降る。

地上での自然の雨がアスファルトに溶け込んだものはもちろん、地上住民の生活排水の一部が混ざり、汚染され変色した水が地下の天井から染み出る。

それは人体にとって無論悪影響であり、

免疫力の低い子供にとっては特に有害であった。


「ジョー、いつもありがとう。手伝ってくれてるのに、満足な手当も出してあげられなくて…ごめんね。」


子供たちの手を引き教会へ戻ると、

救護室で咳き込んでいたシスターが弱々しく微笑んだ。


「何言ってるんだよ。ここは俺の家でもあるんだから、これくらい手伝わせてくれよ。」


ジョーはそう言ってはにかんだ。

ここは地下に住まう孤児たちを保護する教会。

子どもが生まれてもその飯代も払えないものがほとんどの地下では、孤児の数はどんどんと増えている。その大半は栄養失調や流行り病に命を落とすが、運良く拾われた者たちはこうして身を寄せ合って生きている。

ジョーもまた、この教会で育った一人だった。


「これ、サツマイモ。さっき物々交換でもらった。大した量はないけど、チビたちの腹を膨らませるくらいにはなるぜ。」


「まあ、今日のは立派。いつも本当にありがとうね、負担ばかりかけて―――」


「いいって。そういうのやめろよ。俺は好きでやってんだ。」


扉が開くと、汚れた布を両手いっぱいに抱えた

二つの影が駆け込んでくる。教会で世話係をしている

ミライとアンナが、干していたシーツや衣類を慌てて取り込んでいたところだった。


「もう降ってきたか?」


「うん。今日はいつもより激しめ…ゲリラ豪雨があったんだろうな。」


「ママ、みんなにも手伝ってもらって、教会の窓は全部閉めたよ。年長者のみんなに見てもらって、外にも出ないように言いつけてあるから。」


ミライとアンナも、この教会で拾われた孤児だ。

今年でミライは十五、アンナは十四になる。

二人はシスターのことを母と呼ぶ。物心がついた後に拾われたジョーと違い、乳飲み子の頃に拾われた二人からすればシスターは実の母親も同然であった。


「さて、と。この様子じゃあ今日はチビたちも暴れられないだろ。俺は戻るわ、シスター。」


「この雨の中じゃ体に毒よ、もう少し待てば―――」


「あいにく用があるんだ。心配してくれるのは嬉しいけど、俺はもう子供じゃないんだぜ?立派に自立してるし、こうして教会ココも手伝える。また薬を見つけたら持ってくるから、絶対に無理するんじゃないぞ?」


「あなたもまだ子供なのよ」

そんな言葉がシスターの口から出かかったが、

直後にやってきた喉の不快感と吐き気がそれをかき消す。

咳き込んでいる姿を心配するように、子供たちが駆け寄ってきて背中をさする。


「ジョー、俺たちも行く。いつもの『手伝い』だろ?」


教会を出ようとしたジョーを見て、

ミライが弾かれたように立ち上がった。アンナもそれに続くが、ジョーはその声に反応したり、立ち止まる素振りを見せることはなかった。


「それじゃ、また来るよ。今度も手土産持ってくるから、みんなちゃんとおとなしくして待ってるんだぞ?」






藁で編んだ笠を頭に被り、濁った雨の中を歩く。

ミライとアンナが駆け寄ってくるのを、ジョーは背中で感じた。


「何度も言ってるけど、お前らは教会うちにいてシスターの面倒を見てやれよ。稼ぎに行くのは俺だけでいいって言ってんのに。」


「ジョーだけに任せておけないよ。俺だってもう十五だ。立派な稼ぎ口になれる。」


「ばーか、十五なんて子供だよ。生意気いうな。」


「ジョーが十五歳の時は、「もう大人だ」って言ってたよ。」


「忘れたな。どっちにしろアンナは十五ですらないだろ。」


ジョーと二人は四つ以上も年が離れている。

それでも彼らがジョーを呼び捨てし、親しみを込めて接しているのは彼自身がそれを望んだからであることと、教会に入ったのはジョーの方が後だったりするからだ。


「とにかく、今日は帰れよ。土砂降りの中でシスターのこと心配させんな。」


突っぱねて追い返そうとしたが、二人は動かなかった。

言葉を紡ぐより早く反論が返ってくる。


「母さんの症状、どんどんひどくなってる。もっといい薬が必要だ。」


「…」


「お金が足りないの。ママ、食べ物も私たちに優先して配るから満足に栄養も取れないし、一人で稼ぐなんて限界があるし…私たちも、出来ることしたいよ。」


誰よりも長く近くで教会の実状を見ている二人の言葉は切実だ。ジョーはため息をついて再び歩を進めた。止めても無駄なこともいつものことである。


「今日は、本当にお前たちを連れて行きたくないんだけどな。」


「いつもの炭鉱に行くんだろ?」


呼びかけに対し首を横に振る。

ミライとアンナは顔を見合わせた。


「抵抗軍のところへ行くんだよ。入隊を志願してくる。」







地下抵抗軍。

先の敗戦後、地下へと追いやられたジェパーニの民たちの一部が徒党を組み結成したのが始まりであり、その主張は一貫して「自由の獲得」と「新しいジェパーニの建国」である。


地上政府は統治された西部地方の奪還と

不平等条約の撤廃・徹底抗戦を謳っているのに対し、

地下抵抗軍はその主張と鏡合わせで対立している。

先の敗戦から学ぶことは、無益な戦争行為を二度と引き起こさないこと。そして、強国であるフォーテへの属国化を図ることで、未来を生き抜くことだ。


「抵抗軍の物資の提供元スポンサーはフォーテだ。裏で手結んで武器や食料を調達してるから、抵抗軍の構成員は命と引き換えに食い物や薬にありつける。」


「抵抗軍って、そんな簡単に入れるものなの?」


ジョーは指先に挟んだコインを見せた。

一瞬銅貨と見間違うが、よく見るとそれはジェパーニの硬貨ではない。


「抵抗軍が秘密の会合や互いの素性を伝える証。この銅貨はまだ紹介状みたいなもんだけどな。ずっと時間をかけて、ようやくこぎつけたんだ。」


「へえ、初めて見た…!」


「そ、そういう問題じゃないよ。抵抗軍に入るなんて、危ないよ…!」


興味を引いているミライに対し、アンナは否定的な立場だった。


「お金のために、そんな危ないことするなんて―――」


「金がなきゃ食い物も着るものも、薬だって買えない。そうだろ?炭鉱での作業だって同じさ。落盤に巻き込まれたら死ぬんだ。」


「それは――そうかもしれないけど。」


「それに、何も金の為だけじゃないぜ。抵抗軍が地上を奪還すれば、この劣悪な環境からおさらばできる。シスターの容態だって、地下こんなところにいたんじゃいつまでもよくならない。ジリ貧なんだよ。」


「俺も一緒に入る!」


「バカ言うな。紹介もなしに入れるわけないだろ。だからついて来たって意味なんてないんだよ。さっさと帰れって!」


問答をしているうちに、教会からもさらに奥地、街全体が寂れているネノクニの中でも、ひときわ薄暗く、人の気配のない路地へと三人は進んでいく。

しばらくすると、お世辞にも堅気とは呼べない男たちが屯しているのが見えた。


「あ―――ちょっと、ものを尋ねたいんだけど。」


ジョーの呼びかけに返ってきたのは、返事でも愛想でもなく割れた空き瓶だった。


「きゃっ――!」


「ガキ同伴で来るとこじゃねぇんだよ。失せろ。」


無精ひげの男はそう言って凄んだ。

「まあ待てよ」と、酒瓶をあおっていた隣の男が制止する。その右腕は生身ではない。「からくり」改造されている。


「ここのことを誰から聞いた?素直に喋れば袋叩きで勘弁してやるよ。」


「ちゃんと紹介を受けてきてる!」


憤慨したようにコインをかざしたが、男たちは聞く耳を持たなかった。


「礼儀がなってねぇな。」


「ああ、身体に教えなきゃわからんらしい。」


「この――――!」


悪態をつきながら後ずさった。

ミライとアンナを巻き込むわけにはいかない。

ジョーは何とか二人だけでも逃げ出せないか経路を探った。


「俺の客だよ。」


その時だった。勇み足で三人へ近づこうとしていた腕を掴み、男が路地からぬるりと姿を現す。


「おじさん!」


「よお、ジョー。子連れとは聞いてねぇな。」


「ちっ…こんなガキを呼びつけるなんて、何考えてやがる。」


舌打ちをして掴まれた手を払いのけた男に対し、

「おじさん」と呼ばれた男は「ウチは若年層が多くてね」とかわした。


「歩きながら話そうか?」


「いいよ。要件は変わんないから。」


バツが悪そうに歩く男にジョーは一抹の不安を覚えた。

このままいいようにはぐらかされてしまうのではないか、そう考えたときに移動をする手間を割きたくなかった。


「おじさん、約束通りに紹介状を持ってきた!これで俺のこと、抵抗軍の仲間として推薦してくれるんだろ?!」


「あーー、ジョー。その話なんだがな。」


「男に二言はないはずだぜ!」


有無を言わせまいと続けた。

三人は男と面識があった。男はアシタカと呼ばれる。

昔から定期的に孤児院に訪れては、古びた衣類や生活用品を届けてくれる。童話の「あしながおじさん」をもじって子供たちがつけたあだ名だ。ジョーとは仕事に関する関係でさらに親密であり、ことあるごとに行動を共にしていた。


「ああ、分かってる。そうなんだがなぁ。」


「俺、もう入隊の準備はばっちりなんだ。ロックでもリバースでも、誰でもいいから紹介さえしてくれりゃあ―――」


後ろの男たちから怒号に近い声が聞こえるが、

アシタカが「止せって!」といさめる。


「まあ、結論から言うとだな…期待させといて悪いんだが、今回は見送りだ。」


「どうして!!」


ジョーの反論は男たちの怒号に負けず劣らずの迫力が込められていた。


「なんでってだなあ、そりゃあお前…いろいろこっちにも、事情があってだな。」


「紹介状を持ってくれば推薦をしてくれるって、そういったじゃないか!」


「言った、言ったさ。けどそりゃあ、あくまで『かもしれない』って話だ。それに、何も話がまるっとなくなったわけじゃない。少し待ってくれれば―――」


「俺は時間が惜しいんだ。わかるだろ?!それに、抵抗軍は万年人手不足だ。俺みたいな若手を拒む理由がどこにある?」


「てめぇみたいな小便しょんべんガキ、戦力にならねぇんだよ!」


「うるせぇな、外野は関係ないから黙ってろよ!」


「おいジョー、あんまり刺激すんな!」


口論の末にジョーは踵を返した。

二人は慌ててその後ろについていく。背中からアシタカの「おい!」という声が聞こえた。


「話すことなんてないね!アンタとは絶交だ!」


アシタカはずんずんと進んでいく背中を見送り、

ため息をついて被っていたシルクハットを弄った。


「ガキだなぁ、全く…」






地下で生きていくには金が要る。

地上でもそれは変わりないが、日常的に生活の安寧が保証されていない地下ではそれはさらに色濃く影響を及ぼす。


ジョーは何より孤児院の子供たちのために、ほとんど生き急ぐかのように金を求めていた。地下での劣悪な生活からの脱出、そしてその問題の根である地上政府からの地上永住権の奪還を悲願とする抵抗軍への入隊は、ジョーにとって一石二鳥の選択肢だった。


「私は安心したよ。だって、抵抗軍に入るなんて命がけの仕事になるんだもの。」


「言ったろ。今こうしてることだって、命を懸けて日銭を稼いでる。何もかわりゃしないよ。」


「けど、危なくなっても逃げることも出来ない。事故で死ぬのと、誰かに殺されるのは違うよ…。」


アシタカと別れた後、三人はいつもと同じ旧炭鉱跡に来ていた。かつて黒鉱石の採掘に使われていたとされる炭鉱は、今も手付かずのまま地下空間に残っている。そこで珍しい鉱物や資源を掘り当てて売りさばくのが、三人が出来るもっとも効率のよい日銭稼ぎだった。


「理由を聞くべきだったかもよ、ジョー。おじさんは今回は見送りって言ったんだ。」


「何にしろ約束破ったのは事実だろ。」


説得に失敗したミライは肩をすくめた。

二人にとってジョーは頼れる兄貴分であるが、世間で見ればその実二十歳に満たない、成人したての青年である。


「お前らも口より手を動かせよ。当てが外れた分、いいもん掘り出さないと。」


ジョーの目を盗んで、アンナはミライに耳打ちした。


「あのまま話が進んでたら、ホントにミライは抵抗軍に入るつもりだった?」


「そりゃあ、もちろん。俺だって地上の永住権が欲しいからね。」


「もう、二人とも危ないことばっかり。」


武力に訴えかける革命活動にアンナは否定的だった。


「アンナは、地上そとの景色見たことあるか?」


「地上…?ううん、ないよ。それはミライもでしょ?」


ミライは首を横に振った。


「俺はある。実物を見たわけじゃないけど。」


「昔、ジョーと一緒に鉱物を換金に行ったとき、地上うえの役人が煙草をふかして家族の話をしてた。仲間に写真を見せてたんだけど、俺たちそれを盗み見たんだ。」


記憶をたどるように語るミライの目は、羨望と希望で輝いていた。


「頭の中の空想じゃ思いつきもしないような、輝いた景色だった。その景色が忘れられないんだ。」


「へぇ…!私も見てみたい!」


「きっとアンナも気に入るよ。俺もあの景色を自分の目で見たい!孤児院のみんなを連れていきたい!でもそれは、今叶わないだろ?」


「うーん、そうだね…」


曖昧な返答だった。アンナは地上の世界を知らない。

漠然とした憧れや好奇心はあっても、実際に見聞きしたわけでないそれは、ジョーやミライにとっての地上とは意味が違った。


「ジョーに言われるまで考えたこともなかったけど、きっと抵抗軍の人たちも同じだよ。」


「それじゃ、ミライの未来のためにも、今日は頑張らないとね。」


「うるせぇよ。」


笑い混じりにミライはシャベルを側面に叩きつけた。


「…ん?」


「どうしたの?」


「これ、見てみて。見たことあるか?」


ミライの指先に視線をやる。

そこにはこれまで見たことのない、銀色に輝く何かが蠢いていた。

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