Episode.Ⅰ-Ⅳ:ありがとう

鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュの攻撃を受け止めたワタルの上着の袖は破れ、内に隠されていた「それ」は露わになった。銀色に輝く流動体は飴細工のようで、ワタルの腕を中心に広がり、その表面を包み覆っていた。


「耐久性能はお察しのとおり。」


ワタルは挑発するように言った。

ぎちぎちと音を立てるそれは、大鎚の攻撃を

容易く受け止めていた。

しかし、鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュは笑みをこぼした。


「素敵だ…本当に素敵だ!こんな珍しいものを…絶滅したハズの伝説の代物を持った少年を!この場ですり潰せるなんて!!」


言い終わる前に、ワタルの腕を覆っていたそれは複数に枝分かれして伸び、鉄鎚の半魚人の腕に絡みついた。


「よいしょっと!」


右腕を中心に「からくり」改造を施している鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュの重量は、百キロを優に超えるものとなっていた。実際には本人の抵抗やあらゆる要素が組み合わされるため、彼を投げ飛ばすにはさらに力が必要になる。


「っ!」


しかし、ワタルはそれをやってみせる。

腕に絡みついたそれが手助けをしているのか、メイヒにはほとんど右腕ひとつでその巨漢を投げ飛ばしたようにすら見えた。


「何あれ、まるで生きてるみたい―――」


感心する間もなく、鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュからするすると「それ」は離れていき、ワタルの腕に吸い込まれる。


「メイヒ、さっさとここから―――」


そうして踵を返しメイヒのもとへ駆け寄ろうとしたワタルだったが、倒れざまに振り抜かれた大鎚がその左脚を強打した。


「いってぇ!!」


頭から地面に倒れ込む。折れた脚を掴んで、鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュはワタルににじり寄った。


「ふふ、いい音がした…骨が折れたね?ふふふ…!!」


ワタルは掴まれた手を振りほどこうと暴れたが、足に激痛が走り思った通りに力を出すことが出来ない。敵は既に何度も強烈な衝撃を受けてダメージを負っているはず。呼吸する石ケミカルアースで虚を突いたにもかかわらず、ワタルは敵を仕留めきれずにいた。


「ほぉら、次はもう片方の脚だ―――」


振りかざした大鎚を振り下ろす前に、ワタルの右腕から再び呼吸する石ケミカルアースが伸縮しそれを絡めとる。鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュは両腕を塞がれている。が、ワタルもまた片足を潰され右腕を封じられたことで、身動きが取れなくなっていた。


「うふふ、君は、まだその石を十二分に使いこなせていないね?もしそれが効力を存分に発揮しているのなら、全身に纏い鎧にすることも、さらに引き伸ばして私を攻撃することも出来る。まだまだ未熟、まだまだ卵だ…」


「ほんっと、気持ちわりぃやつ―――」


鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュの見立ては正しかった。

ワタルは軍人でもなければ、革命家でもない。

日常に戦闘行為のない彼にとって、石を手にして操ることは強力な武器になるとはいえ、それがすべての敵を退けるほどの力になるわけではなかった。

呼吸する石ケミカルアースは意思を持つといわれる鉱物。凄まじい応用性に優れ、一騎当千の力を持つとさえ言われてきた。


「君の石は不完全。威勢はいいが戦い慣れしているわけではない…戦闘経験で私に分があったね。」


鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュは逃げ延びてきた。地上の警官から、地下の抵抗軍から。その中で培われた勘と経験が、劣勢の中でも勝利の糸を手繰り寄せていた。


ワタルは激痛に耐えながらも、その視界と思考はクリアだった。優先すべきは自分とメイヒの命。折れた脚、駆け寄ってくる庇護対象メイヒ、眼前で笑みを浮かべる殺人鬼。なにを選択すべきかは明確だった。


「やるよ。」


予告された痛みに耐えんと大きく息を吸い込むと、

ワタルは思いきり上半身を起こして伸び上がり、転がっている風車板エア・シューターへと腕を伸ばす。


「今更逃げられるとでも!?」


「逃げやしないよ!言ったろ、やる・・って!」


右腕から枝分かれした呼吸する石ケミカルアースが噴射口の中に吸い込まれていったかと思うと、再び風車板は大きな音を立てて起動を始めた。主のいないそれは半ば暴走気味に跳ねたと同時に、二人めがけて猛スピードで突進してくる。


「(あらかじめ来ると分かっている衝撃、絶対に放さないとも!君の身体をすり潰すまでは―――)」


鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュが自身の腹に満身の力を込めたとき、ワタルは直進を仕掛けてきた風車板をがっしり掴むと、機体はそのまま弧を描いて軌道を変え、上空へと浮上した。


「がああああっ!!!」


めきめきと骨が砕ける音がした。

ワタルは風車板エア・シューターの馬力を使って、掴まれている脚に頓着せず自分の身体を持ち上げた。不意の力と予想外の行動に、鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュの手から足が離れる。決して曲がらない方向へと曲線を描いた左脚は痛々しく、ワタルの叫び声が周囲にこだまする。


『逃げやしないよ!言ったろ、やる・・って!』


「(足一本、捨てる覚悟で動いたと―――?!)」


「俺たちの勝ちだ。」


宣言とともに、鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュの頭上に風車板が降り注ぐ。頭蓋骨に大きな衝撃が走り、その巨躯は糸が切れた人形のように崩れ落ちた。






「これ…死んだの?」


倒れ込んでいる殺人鬼から距離を取りつつ、

メイヒが尋ねた。ワタルは苦悶の表情を浮かべながら、折れた左脚をさする。


「いや、きっと気絶してるだけだよ。あれだけタフなやつだから、頭蓋骨にヒビはいったくらいじゃ死なない。」


ホッと息を付けるようになったのもつかの間、

メイヒの意識はすぐさまワタルの脚へと注がれた。

おぼつかない足取りで駆け寄っていくと、どうすることも出来ないと分かっていてもその場にかがみこむ。


「脚!ひどい…!痛む…わよね?ああ、当たり前のこと聞いて、私―――!」


「ああ、いってぇ…めちゃくちゃいてぇ!けど、死なずに済んだから、結果オーライ…それに、メイヒのことも助けられた。」


無理やりはにかんで見せる少年を見て、

メイヒは「どうしてそこまで」という言葉が出かかった。しかしその答えは、尋ねられるの

を待たずして告げられた。


「本当に、信じられないような無茶して…ありがとう。それに、ごめんなさい。一人で勝手に飛び出したりして、結局あなたに迷惑かけることになっちゃって―――」


「謝ることなんてないよ。この街には殺人鬼がうろついてます、なんて俺も説明できてなかったんだから。それに―――」


痛みに顔を歪ませながら、

ワタルは精一杯の笑顔をメイヒに向けた。


「『ごめん』より先に『ありがとう』が聞けて、俺はすっごく嬉しい。」


「それは―――」


再びメイヒは言いよどみかけたが、

一度詰まった言葉を喉から絞り出した。

彼には、ワタルには正直に思っていることを伝えたいと心の中の自分が言った。


「…一番伝えたいことは、一番最初に言わなくちゃいけないと思ってるから。自分勝手よね。本当なら真っ先に謝らなくちゃいけないこともきっと沢山あるのに。けど…」


「けど?」


メイヒもまた、精一杯の笑顔をワタルに向けた。


「ワタルは、先に『ありがとう』を伝えたほうが喜んでくれるって、何となくそう思ったから。直感だけど。」


「…はは、じゃあ、大当たりだ?今日あったばっかなのに、メイヒはちゃんと俺のこと見てんだなぁ。」


しゅるしゅると伸びて薄くなる呼吸する石ケミカルアースが、ワタルの脚を覆い象っていく。まるでギブスのように見えた。


「それじゃ、俺もまずは伝えそびれてた、一番言いたいことを言おうかな。」


「伝えそびれたこと?」


折れた脚を庇いながら、ワタルは座った体制のまま深々と頭を下げた。


「メイヒ、ありがとう。あの時、俺のことを庇ってくれて。」


「ええ?」


地上そとで、警官から俺のこと庇ってくれたろ?俺がどこに行ったのか見てたのに、知らないふりしてくれた。助かったよ。」


「そんな。そんなこと、なんてことないのに―――」


「なんてことあるさ。俺の夢が懸かってたんだから。」


「ワタルの夢?」


頷いて、ワタルは天を指さした。

街灯は消え視界は相変わらず暗いが、うっすらと重苦しい天井が見える。


「ここ、ひどいとこだろ?ここで生まれ育ったから慣れっこだけど、日の光は入らなくて病気はすぐ流行るし、大雨の日には下水道を通って黒い雨が降ってくる。だから、初めて地上に出たとき、俺は感動したんだ。」


その着色のない言葉は、メイヒもよく分かった。

この異邦の地に降り立った時に感じた高揚感。そして、クニウミを見たときの興奮と感動。


「いつかこの街に住みたい。いつか家族全員で、地上の暮らしを手に入れたい。心の底からそう思ったよ。地下は衛生環境も悪いし、爺ちゃんももう若くない。俺はそう思って、ずっとその準備をしてたんだ。」


仕事があるといっていたワタル。彼はジェパーニの地上へ、出稼ぎへと赴いていたのだ。彼の言葉で合点がいった。


「地上での永住権は、金で買えるんだ。実例はほとんどないし、それには法外な費用が必要なんだけど。でも金で解決が出来る。『からくり』技師は地上でもほとんどいないから、見習いでも仕事は多いし、結構な額が稼げる。」


「だからあそこで警官に目をつけられて、そのまま捕まりでもされたら二度と地上へ行き来できなくなるところだった。本当にありがとう。」


自分のことを命を懸けてまで救ってくれた赤の他人が頭を下げている光景を呆気に取られてみていたメイヒだったが、やがてすぐに頭を上げるよう促すようにワタルの両肩に手を置いた。


「素敵な夢ね。とっても素敵。きっと叶うわ。」


ワタルは目を丸くしてメイヒを見つめた後、

今度は痛みを忘れたかのように満面の笑みを浮かべた。


「だろ?そうだろ?メイヒなら分かってくれるって、そう思ったんだ、俺って!カイトも爺ちゃんも、無駄な努力だの絵空事だの、散々な言いようでさ――――」


夢を肯定されてはしゃぐワタルの姿は子供のようで、先ほどまでの血気迫る修羅場を潜り抜けた少年と同一人物とは思えないほどだった。折れた脚はくっついていないし、命を狙われメイヒの服は泥だらけだ。それでも、二人は何もかも解決し安堵したかのように笑い合った。


「急いで迎えにきたはいいものの、どういう状況だろーね、ありゃ。」


そんな二人を見ながら、カイトは呟いた。

ハカセとともにワタルの軌跡を追い現場まで駆けつけてみれば、眼前には倒れている殺人鬼に、重症の義弟。それとフォーテ人の少女の姿があった。


「…まあ、とにかく無事なら、いいや。俺はメイヒの介抱するから、ハカセはワタルおぶって帰るぞ。」


「は?お、おい何で俺が―――」


「だってお前、風車板エア・シューター運転できないだろ。あれも一緒に担いで帰るなんてそれこそ地獄だぜ。」


ハカセは不服そうに顔をしかめた。

言い返してこないということは、反論できる余地がないということだ。


「それより、いいのかよ?鉄鎚の半魚人ハンマーフィッシュをそのままにしておいて。」


「ああ、心配ないよ。」


そういったカイトの声色は心なしか暗かった。


「騒ぎを聞きつけて、そのうちに政府の役人たちがここに集まってくる。抵抗軍の連中も、鉄鎚の半魚人コイツの身柄を追ってるからな。どっちにしろこの状態じゃしばらく動けない。俺たちが手を汚す必要もなく、殺されるよ。」


今は、大切な家族の無事を喜ぼう。

そういってハカセの背中をバシッと叩き、カイトは二人に駆け寄っていった。

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