第4話 沈黙の運営

 間宮くんと仕事を交換したことを紙に書き、食堂の入口付近の壁へ掲示した。詳細な事情は伏せておいたが、じきに周知の事実となるだろう。敷地面積は広いが、たった十人しかいないのだ。そういう意味ではせまかった。

 食事作りは佐藤さんが中心になっており、その頃には彼女の気持ちもだいぶ落ち着いていた。唐木くんも優しいし、佐藤さんはわたしが入ったことでほっとしているようだった。

「昼間は、本当にありがとうございました」

 調理が終わり、佐藤さんがシンクへ調理器具を置きながら言った。

「いえ、気にしないでください」

「竜野さんにも、あとでお礼を言おうと思ってます。あんなに怒ってくれると思わなかったから、嬉しくて」

 にこりと笑う彼女へ、わたしは返した。

「すごい剣幕でしたよね。竜野さんはやっぱりしっかりしてて、頼りがいがあるというか」

「ええ、それですそれ」

 彼女に対する評価は一致していた。

「でも、若島さんが一番頼りになります」

「え? わたし?」

「はい。間宮くんと仕事を交換してくれて、本当に助かりました」

 ぺこりと頭を下げられてしまい、思わず恥ずかしくなってしまう。

「いえいえ、そんな。わたしはただ、みんなが心地よく暮らせるようにしたいだけで」

 頭を上げた佐藤さんは、少しきょとんとしながらも言った。

「そうやって、みんなのことを考えられるのがすごいんです。理想的なリーダーだなって思います」

「え、あ……」

 またリーダーだと言われてしまった。自然の成り行きでこうなっただけなのだが、やはりわたしにはそうした気質があるのだろうか。

 内心でそんなことを思っていると、何かに気づいたように佐藤さんが言う。

「あっ、お腹すきましたよね。一緒に食べましょう」

「あ、はい」

 誘われるまま厨房の外へ出る。まだ食堂に人は来ておらず、唐木くんがドリンクサーバーを布巾ふきんいているだけだった。

 いつもより早い夕食になってしまったが、今回は佐藤さんと一緒だ。そう思うと嬉しくて、やっと友達ができた気がしてほっとした。

 献立こんだては唐木くんの作ってくれたハンバーグとオニオンスープ、佐藤さんの作ったポテトサラダにピクルス。わたしの炊いた白いご飯だ。

「若島さんの炊いてくれたご飯、美味しいです」

 と、佐藤さんは言ってくれたが、わたしは申し訳なくて仕方なかった。

「ごめんなさい。わたし、自炊はしてたけど全然料理ができなくて」

「そんなことないです。それに、料理はちょっとずつ覚えていけばいいんですよ」

 佐藤さんは優しい人だ。間宮くんが好意を抱いたのは、そうしたところだろうか。

「ありがとうございます。でも、ご飯しか炊けなかったのは、本当に申し訳ないと思ってます」

「いいえ、気にしないでください」

 くすりと笑う彼女に救われつつ、わたしはポテトサラダを口にして驚いた。

「うわ、美味しい。こんなに美味しいポテトサラダ、初めて食べました」

 佐藤さんは嬉しそうに微笑んで言った。

「ありがとうございます。隠し味にお砂糖を使っているんですよ」

「え、砂糖ですか? それは知らなかった」

 初めて聞いた。びっくりしつつも感動して、わたしはまたポテトサラダを口へ運んだ。


 後片付け担当の佐藤さんを残し、わたしは部屋へ戻るべく食堂を出た。

「何だ、これ」

 と、声がしてそちらを見やると矢田さんだ。彼が見ているのは、わたしの掲示した紙だった。

「ああ、係を交換したのでそのお知らせです」

 答えるわたしの顔をじっと見て、矢田さんはぽつりと言う。

「オレ、何の係にもなってなかったな」

「あっ!」

 そうだった。そもそも彼のいない状態で決めたから、矢田さんには何の仕事も与えていなかった。

 すると、どこからか乱橋さんがやってきて口をはさんだ。

「可能なら、風呂係がもう一人欲しいんだが?」

「風呂係?」

 と、矢田さんが嫌そうな顔を向けるが、乱橋さんは気にする素振りもなく返す。

「あの広い浴槽を掃除するのは、骨が折れるんだ。竜野さんも大変そうにしているし、もう一人くらいいれば――と、思ってね」

「ふぅん」

「よければ手伝ってくれないか? 毎日十七時までに風呂を沸かし、入れる状態にできればいい。掃除は午前中に終わらせているが……」

 そこまで言ったところで、乱橋さんは気づいたようだ。

 矢田さんもにやりと笑って言い返す。

「無理だな。午前中に起きられた試しがねぇ」

「生活リズムが違うんだったな。まったく」

 呆れて息をつく乱橋さんを見て、わたしはふと話題を変える。

「そういえば、運営のしっぽはつかめたんですか?」

 矢田さんがこちらへ視線を戻すが、舌打ちをした。

「まだだ。夜中に建物中探ってみたけど、何もでてこなかった。運営からの接触もねぇしな」

「ああ、そういえば初日だけでしたよね」

 モニターは遠隔操作で起動するらしいが、運営からの接触は初日以来、一度もなかった。リモコンもないため、テレビとして使うことすらできず、モニターは沈黙していた。

「外は探したのか? 建物がもう一つあるらしいぞ」

 と、乱橋さんが言い、矢田さんは返した。

「教会だろ? もちろんあっちも探したさ。けど、収穫はゼロだ」

 わたしは落胆して肩を落とす。

「そうでしたか」

 これではどうしようもない。運営の正体が分からず、何のヒントもないのでは。

 乱橋さんはため息をつくと、さっさと食堂へ行ってしまった。

「クリアするしかなさそうだな」

 と、言い残して。

 矢田さんは少々不機嫌な顔になりつつも、「オレだって、三日かけて何も得られないとは思わなかったぜ」と、ため息をついた。


 お風呂上がり、わたしたちはまた竜野さんの部屋に集まっていた。

「あたし、間宮さんとは無理かもって思いました」

 と、切り出したのは梨央ちゃんだ。昼間の件ですっかり嫌いになったらしい。

 佐藤さんはもちろん、わたしと竜野さんも気持ちは同じだった。

「他人の気持ちを想像できない人間って、いるわよね」

 竜野さんの言葉に梨央ちゃんがうなずく。

「まさしくですね。なので、あたしは矢田さん一筋にしたいと思います」

 思わずドキッとしてしまい、わたしに注目が集まる。梨央ちゃんはわずかばかり不安そうにたずねた。

「月葉さんはどうですか?」

「え、えーと……まあ、そうだよね」

 彼女の気持ちは分かるし、わたしも少し揺らいでいたところだ。正直に言うことにした。

「わたしも、唐木くんの方がいいかもって思ってたから、それでいいんじゃないかな」

 と、返すと、梨央ちゃんは嬉しそうに言った。

「じゃあ、決まり! 頑張って矢田さん、落としますよ!」

 最年少ながら、すごい肉食っぷりである。

 わたしたちはそれぞれにくすりと笑って、互いにクリアへ向けて覚悟を固めるのだった。


 しかしながら、衣食住が安定しているとは言え、やはりここでの暮らしに少し飽きてきた。

 朝食の後片付けは唐木くんの担当だったため、わたしは三階へ向かった。ミニシアターで映画でも見て時間をつぶそうと思ったのだ。

 三階は静かで、わたし以外には誰もいない様子だ。バーはもちろん、テラスにも人がいない。

 ちょっと不気味な気もするが、かまわずにシアターへ向かって進んでいく。

 扉を開けて中へ入り、室内の電気をつけてから後方にあるプロジェクターの方へ。

「……何、これ」

 プロジェクターのそばに、もう一つ別の機械が置かれていた。平べったくて長方形の、もしかしたらDVDプレーヤーだろうか。

 はっとして下を見ると、機械の置かれた棚にはDVDケースがいくつも収められていた。どうやら、この中から好きなものを選んでスクリーンへ映し出せばいいようだ。

「えーと、何があるんだろう」

 しゃがみこんでタイトルをひとつひとつ見ていく。映画に特別興味があるわけではなく、話題作を年に一度か二度、観に行く程度だった。そのため、聞いたことのない作品が多く、ちょっと困ってしまった。

「うーん、どれにしよう」

 と、悩んでいたら、シアターに誰かが入ってきた。

 慌てて立ち上がったわたしは、入ってきたのが長谷川さんだったことに気づいて、少しびっくりした。

「あ、君も映画を?」

 長谷川さんがにこりと笑ってたずね、わたしは緊張気味に返す。

「そう思ったんですけど、知らない作品ばっかりで困っちゃって」

「そうなのか。俺は知ってるけど、興味のないものばっかりでさ」

 と、こちらへやってきては適度な距離で立ち止まる。

「ここにあるの、ラブロマンス映画ばっかりなんだ」

 と、棚を示した。

 わたしは愕然がくぜんとして聞き返す。

「マジですか?」

「おう、マジだ」

 彼とちゃんと話をするのは、これが初めてだった。どうしても偏見で見てしまうので近づきたくない気もするが、悪い人ではなさそうだった。彼が同性愛者ゲイだと知らなければ、普通に親しくなれただろう。

「でもまあ、映画を見るか、トレーニングするくらいでしか、時間をつぶせないからさ。左から順に見てるんだ」

 と、彼はしゃがみこみ、棚の上段、左から五番目のケースを取り出した。

「君も見るかい?」

 一人で悠々と映画を楽しむつもりだったのに、予想外の展開になってしまった。しかも、彼はこれまでに何度もここで過ごしていたらしい。まったく知らなかったが、そういえば、あまり姿を見かけなかったなとも思う。

「すみません、長谷川さんの邪魔をするのは悪いので」

 そそくさと退散しようと歩き出すが、出ていく前にふとたずねたくなってしまった。

「あれ? 長谷川さん、こんなところで時間をつぶしてていいんですか?」

 振り返ると、彼はケースから取り出したDVDをプレーヤーに読みこませていた。

「ああ、いいんだ。どうせ俺を好きになってくれる男はいないだろ」

 そう言ってプロジェクターの電源をつけ、スクリーンにも光が灯る。

「でも、それだとクリアできないんじゃ……」

 心配になって言うわたしへ、彼が顔を向けた。

「俺が婚活合宿に参加したのは、友情結婚の相手を探すためだったんだ。そもそも、恋愛をしに来たわけじゃない」

「友情結婚?」

「LGBTQ同士で結婚して、世間体を保つんだ。それぞれに恋人を作って人生を楽しめるし、子どもだって持ちやすい。世の中には、そういう家族の形もあるんだよ」

「へぇ、そうなんですね」

 結婚に必要なのは恋愛だと思っていた。しかし、同性愛者である長谷川さんのような人たちには、友情を持って結婚することもあるらしい。

「それじゃあ、失礼します」

 と、わたしは軽く頭を下げてからシアターを出た。


 バーにあった赤ワインのボトルを片手に、テラスへ出た。白い椅子に腰かけてぼーっと過ごす。

 三階にあるため景色はよく、遠くまで見渡せるが、どこまで行っても緑が続いていた。やはり深い森の奥地なのだろう。外界から閉ざされている実感がわき、何だか変な気分だ。

 適当に選んだ赤ワインは美味しかったが、いつもみたいに酔えなかった。長谷川さんとの会話が脳裏から消えないのだ。

「友情結婚、かぁ」

 わたしにとっては新鮮な、結婚および家族の形だ。恋愛をしなくても結婚はできるし、家族になれる。でも、ハードルが高そうでもある。

「でも、家族になったら……やっぱり、それはそれで、愛する相手になるんだろうなぁ」

 家族愛、というやつである。

「友情から家族愛が生まれて……あれ? 友愛って言葉もあったような気がする」

 脳裏に浮かんだのは「愛を育むこと」というクリア条件だ。曖昧あいまいだと感じていたが、それは「愛」という言葉の意味の広さにあった。

「まさか、友愛や家族愛でもよかったりする? いやいや、まさか」

 自分で否定しておきながら、そんな気がしてきた。「愛」を育めるなら相手は誰でもいいわけだし、友愛であれば同性同士でも育める。それなら、男女の数が一致していなくてもいいわけだし――。

「……いっそ、運営に問い合わせられたらいいのに」

 どこかにお問い合わせ窓口はないだろうか? なんて馬鹿げたことを考えつつ、ボトルへ口をつけた。芳醇ほうじゅんで上品なこの風味、癖になりそうである。

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